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少年時代のペレ〜9試合で53得点

 1958年、スウェーデンで行われた第6回ワールドカップで、世界はブラジル選手の技巧と4-2-4の新しいシステム、戦術に目を見張るとともに、17歳の若きペレの“神技”に驚いた。
 1940年10月23日生まれのペレは、このときサントスFCに入団してプロとなってから、まる2年を経たばかりの小柄でスリムな若者だった。
 ブラジルのミナス・ジェライス州の田舎町、トレス・コラソンエスに生まれた彼は、家族とともにサンパウロ州のバウルーに移る。父ドンジーニョはプロを夢見ながら、故障のため志を果たせなかった元サッカー選手。
 その血を受けたのか、息子のエドソンは幼いうちからサッカーに夢中になる。
 貧しい家計を助けるために、小学4年のときに靴の見習い工となったが、サッカー遊びへの熱中は続いた。
 “ペレ”というニックネームがついたのは、この少年時代。意味は不明で彼自身はこの呼び名がはじめは嫌いで、登校拒否をしたことがあるとか。
 バウルーのルインターニャ・クラブで指導していた、もとプロ選手のバウデマール・ブリト(ブラジル代表)がペレを発見し、1954年、バキーニョ・クラブにペレとともに移った。
 大人も考えつかないフェイントやドリブルのうまさで、彼は相手を突破し、シュートしてバキーニョを地区少年大会優勝に導く。
 9試合でのチーム得点89のうち、ペレは53得点もあげたのだった。ボールを自在に扱うワザに始まり、さまざまなステップで相手を惑わせるドリブルなどは、父ドンジーニョから見ても素晴らしいものだった。
 それは貧しいために、まともなボールを買うことができず、ボロ切れを丸めた“代用ボール”で遊ぶことで身についたボールタッチの感覚のせいかもしれない。また、整地も十分にできていない草っ原や、公園の木々の間でプレーしたために、足腰が粘り強くなったのかもしれない。なにより、好きでたまらないサッカーに打ち込む時間が多かったためといえるだろう。

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