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フランクフルトの静かな雑踏で思う、過剰アナウンスと過剰コーチ

 まさに青春の高校決勝

 1月8日の高校選手権決勝は、久しぶりで胸のうずく好ゲームだった。帝京の一糸乱れぬディフェンス網、徹底してボールを追う粘り、そして自分のボールにした後の、見事なキープ。故障者が出たせいかややスピードを欠きながらも、ビハインドを跳ね返そうとする清水東。清水東GKが辛うじてセービングした30秒後に、帝京ゴールでFBが懸命にクリアする。その激しい攻防に、これこそ青春を掛けたタイトルマッチと、手を叩いたものだ。

 このゲームは、帝京の3点目、ゴール前に釘付けの状態から右タッチライン沿いに大きくクリアしたボールを、安彦(あびこ)君が、しゃにむに走って、ちょっと処理に手間取った清水東のバックに絡み、奪い取ってドリブルし、中央へ送って、見事にフォローした仲間に合わせたプレーが、帝京の勝因のすべてを語っている。

 ゴール・スコアラーに駆け寄って抱き合う仲間とは一人離れて、フィールドの中央で一人ひざまづいて、芝生を叩いて喜びを表していた安彦君の心中はどんなだったろう。50歳のオールドボーイも、彼らの喜びに、ふと30年余り前の自らの青春を回想したのだった。

 この高校決勝をハイライトに元旦の天皇杯決勝や、1月5日、7日のバイエルン・ミュンヘンのゲームなど楽しみの多い75年のスタートだった。天皇杯決勝は、親善ゲームでない大人のタイトルマッチの面白みがあり、更に、現在の日本では珍しく、ドリブルの多い展開だったから、余計に嬉しかった。もちろん、この面白みは、主としてブラジル育ちのプレーヤー(両チームで4人の)に負うところが大きいことは確かだが、その影響で、ヤンマーや永大のプレーヤーの中に、ボールの持ち方の上手なものが増えてきているのは何よりだ。

 ドリブルと言えば、帝京と清水東に、ちょっとした違いがあった。帝京のは相手に向かって行くドリブルが多かったのに、清水東は相手のバックに向かうより、相手から離れようとする傾向があった。清水東にはレギュラーの故障や、バックスのマークが甘い、と言った弱点があったが、相当なボールキープの技術を持つ個々の選手が、もう少し相手に向かって行くドリブルをすれば、また局面に変化はあったかも知れない。


 いささか75年正月の印象が長くなった。この連載の表題である「ワールドカップの旅」へ、74年のドイツへと話を戻さなければならぬ。



 西ドイツと日本サッカーの縁

 北極回りのルフトハンザ機が、アラスカの荒涼たる原野を越え、スカンジナビアをかすめて飛んで最初に着陸するヨーロッパは、コペンハーゲン。夏の午前4時過ぎ、白々と明るい中でのこの北欧の空港は、いかにも薄ら寒く、ひなびて見える。それから2時間、北ドイツの港町ハンブルグが見えて、いよいよヨーロッパの中心部、そして、また1時間、午前8時に西ドイツ最大のフランクフルト空港に着く。

 フランクフルト・アム・マイン。つまりマイン河のそばのフランクフルト市は、人口70万。偉大なゲーテの生まれ育った町。そして西ドイツの金融、商業の中心地でもある。

 1953年に来日したオッフェンバッハ市は、フランクフルトのすぐ近くにある。同チームの主将だったカール・シュライナーが、神宮球技場(現・国立競技場)で若い日本選手に、インサイドキックを主としたパスの練習を指導してくれてからもう20年経った。今の協会の軸となっている長沼、岡野氏は、この翌年、国際学生スポーツ大会(ドルトムント市)に参加したとき、やはりオッフェンバッハでキッカーズとゲームをしたはずだ。

 この学生チームのコーチであった大谷四郎氏と、東大で同期の福島繁慶氏がその頃西ドイツにいて、チームの世話をしてくれたが、娘・純子さんは、今の釜本選手夫人・・・。

 日本のサッカーと西ドイツの縁は、いろんな所で絡み合っている。

 さて、そのフランクフルトは、西ドイツ・サッカー協会(DFB)のあるところ。ワールドカップの組織委もまたここにあったので、一次リーグはこの町を足場にした。



 犬まで静かに

 フランクフルトの滞在は快適だった。一つには予約したホテルの「ヘッシッシャー・ホフ」が外観はともかく、インテリアは昔ながらのドイツ風で、気に入ったこともあった。

 空港から町の中心に通じるメインロードにあって、中央駅にも近いという足場の良さもあった。が、なんと言っても、嬉しいのは、町全体が静かなことだった。自動車がクラクションを鳴らすこともないから、大通りに面したホテルの部屋も、がっしりした窓を閉めれば、外界の音はまず聞こえない。

 その外界も、日本のように、町全体がワーンと唸っている感じはまるでない。駅のレストランのように沢山の人の出入りするところでも、大阪の駅のレストランに比べると嘘のように騒音がない。幼児もしつけが良いと見えて、やたらと大声を出すのもいないし、わめいているのもいない。すべてが、音について神経を払っている。

 犬までが吠えない。ドイツでの35日の滞在で、犬の鳴き声を聞いたのはフランクフルトで一回(これは急に雷が鳴ったのに対して犬が驚いて吠えた)デュッセルドルフで二回だけだった。



 掲示板だけで

 それはともかく、中央駅に何度も出入りするうちに、日本の国鉄のような過剰なアナウンスの無いのが、静けさの理由の一つと気が付いた。

 駅では列車が到着したとき、係りが、駅名を呼び上げる以外には、殆どアナウンスはない。ドイツ語の不得手な私でも、乗降にさして不便を感じなかったのだから、アナウンスは必要ないとも言える。自分の乗る列車がどのプラットホームから出るかは、掲示の時刻表に書いてあるし、長距離列車なら、何処を経由して(たとえばフランクフルトからミュンヘンまで)行くのかも、表に記してある。

 空港でも(空港は表示も英語があるから、更に楽だが)同様で、親切な表示に従えば迷うことはない。

 これに比べると、国鉄を含めて日本の乗り物のアナウンスの喧しいこと。「×時×分発大阪行きのヒカリ○号は×番線から発車します」に始まって、「お乗り違いのないように」の注意で、列車の中でも、再三アナウンスが繰り返される。

 ドイツで必要もないのに、なぜ日本では喧しいアナウンスを繰り返すのか、考えてみれば、それは乗客に対する過剰サービス、過保護ではないか、東京ー大阪を旅行しようとする人に、列車の乗降について、「ドアが開いたら、順番にお乗り下さい」とまで言わなければならないのか。

 全くバカバカしい話だが・・・・。しかし、サッカーでも、我々は、日常のゲームでベンチからコーチが一つ一つのプレーに「もっと前へ出ろ」「もっと早く蹴れ」「今突っ込め」などと怒鳴っているのを見る。試合をするようになった選手達を捕まえて、やたらと指図するのは、結局は国鉄の騒音アナウンスと同じではないか。どのプレーをするかを選手が判断することも、またサッカーの大きな要素ではないか。ゲーテの町のハウブトバンホフの静かな雑踏の中で、東京駅や大阪駅の喧しさと、日本サッカーの喧しさ(スタンドは静かなのに)が、奇妙に結び付いてくるのだった。

(サッカーマガジン 1975年3月号)

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