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歌と踊り、ステップとターン〜Fussball ist unser Leben

 趣向を凝らした見事なアトラクション

 神戸市の目抜き、トアロードに近い中山手通り2丁目でバーを経営するチリ生まれのタゴベルト・メリヤン・ハラさんは、かつてマラソン・ランナーだったとかで、スポーツには随分詳しい。そして、話がサッカーに及ぶと、とりわけ熱が入る。挙げ句、大事そうに一枚のレコードを持ち出し掛けてくれる。

 それは「クエカ・デル・ムンディアル1962」──1962年チリで開催されたワールドカップで3位になったチリ・ナショナル・チームの歌である。最もこの歌、クエカのリズムに乗せてイレブンの名を唱えるだけ、至極簡単なものだが、その一人一人の名をレコードと一緒に歌うときのダゴベルとさんの嬉しそうな顔。お陰でユーゴとの3位決定戦では唯一の得点を挙げたロハス、準決勝(ブラジル4-2チリ)でブラジルに2点を報いたトーロやサンチェスなどの名が、13年の後も、太平洋を隔てた神戸人の耳に吹き込まれることになる。


 74年ワールドカップの旅は、私にとって申分ない毎日だったが、今、ただ一つだけ悔いることがある。それは、テープレコーダーで、各会場のゲーム前の催しを記録しておかなかったことだ。6月13日のフランクフルトの開幕ゲームの際の16カ国の芸人によるお国ぶりの音楽、民族芸能に始まり、7月7日ミュンヘンでの決勝ゲームの前の、ババリア風のダンスと長いムチのリズム、そして6000人の唱歌隊による世界の歌曲メドレー。それにはちゃんとベートーベンの第九の「ゴーラル」もあったが・・・。大会の開幕からフィナーレまで、ゲームとともにアトラクションもまた見事だった。

 ベルリンでの西ドイツーチリ戦の前は、ベルリン児童合唱隊と警察音楽隊だった。フランクフルトの西ドイツーポーランドの時は、イタリアの警察音楽隊のパレードがあった。シュツットガルトではロックも聴いた。デュッセルドルフは確か少女の・・・。私が回った7つの会場では、それぞれに趣向を凝らし、豊かな地方色を織り込んでいた。サッカーのグラウンドで、その土地の音楽を収録できるチャンスを逃して、つくづく惜しいと思っている。



 「サッカーは我らが生命」

 その生演奏に始まって、各会場のハーフタイム、それも、後3分で選手が出てくるということろに必ず流れるのが、「フスバル・イスト・ウンゼル・レーベン」だった。

 このマーチ、先のバイエルン・ミュンヘンの試合の時にやっていたから当日国立競技場へ行かれた方は、ご存知だろう。

 「ヤー・オー、ヘヤ、ヘヤ、ヘー」で始まるこの歌は、西ドイツのナショナルチームの20人のプレーヤーの合唱を吹き込んだのが受けて、ポリドールから発売されたレコードは大当たりだった。

 ジャケットは20人の選手とシューン監督がブルーのブレザーを着てずらりと並び、全選手のサインをあしらった表紙、裏側にも一人一人の顔とサイン、それに、この吹き込みに参加できなかった(スペインにいたため)ネッツァーのメッセージまであしらってあるから、ジャケットだけでもサッカー好きには答えられない。

 値段は12.5マルクだが、これに国連の児童福祉基金協会費として3.3マルクを加え、合計15.8マルク(約千八百円)だった。

 「Fussball ist unser Leben」は「フットボールは我らが命」とでも訳すのだろう。西ドイツに着いて二日目にタクシーのラジオでこの歌を聴いて、フランクフルトの駅の売店で早々レコードを手に入れ、西ドイツでコーチ法の勉強中の福島君(現住友金属)や、留学生の太田君(ケルン大学)らの力を借りて歌詞を訳してみた。


 サッカーは我らが命

 なぜなら、王様・サッカーは

 世界を支配している

 我らは戦い、すべてを捧げる

 次々にゴールを おとし入れるまで

 

 ヤー、一人は皆のために

 皆は、一人のために

 我らは団結し、立ち向かう

 さすれば勝利は我らのもの

 喜びと名誉は、我ら皆に

 約束されている


 歌詞もいいが、例のヤー、オーで始まる全体の調子が、また、誠に楽しい。聞く方には自然にリズムに乗り、足を踏み、体を動かしたくなるほどだ。



 音楽のリズムが日常にとけ込む欧州

 音楽があって踊りがあるのか、動きがあってリズムがあるのか、門外漢の私には分からないが、歌と踊り、リズムと動きは不可分に違いない。その音楽のリズムが日常にとけ込んでいるヨーロッパ人(南米もまた同じだろうが)によって占有されるワールドカップのスタンドは、常にリズムを追う。

 オレンジ色のシャツを着たオランダ人は、一人が歌い始めると、周りがすぐ唱和して「オランダはワールドカップに勝つ」のメロディが見事にスタンドから湧き上がる。

 ドイツ人の側は、誰かがフォクツを鼓舞しようと「ベールティ!」と呼ぶと、それが万人の大合唱となる。

 人の名を唱えるときの、音の高低、強弱、テンポの長短の使い分けの巧さ、指揮を取る者もいないのに、「ベルティ」や「オベラート」、あるいは「ドイッチェランド」の呼称が、歌声のように一杯になってグラウンドを覆うところは、まさにヨーロッパ、の実感だった。

 音を楽しみ、音に合わせて声を張り上げるのを楽しみ、音に合わせて体を動かせることを楽しむ。開幕セレモニーのショウで見せた見事な16カ国の芸人の踊りと歌、大きなスタジアムの中の、数人の楽手と、踊り手だけで7万観衆を引き込んで行く巧さも確かなら、それにとけ込んで行こうとする観衆の方もまたリズムを心得ているといえる。

 その中で、ブラジル・トロピカルのサンバ、ユーゴのスラブ風の舞を見ながら、彼らのステップとターンが、そのまま、サッカーに入ってゆくのに目を見張った。

 日本のプレーヤーより遙かに大きく、決して柔らかそうに見えないヨーロッパのプレーヤーの見せる見事なステップやターンは、彼らの音楽とともに養われたものなのかも知れない。ユーゴのプレーヤーのドリブルの際のステップ、相手の間合いの中に入ってしまうくらい近づいてから、足の踏みかえで抜ききるステップには、彼らのリズムがあった。



 少年サッカーの指導に歌と踊りを取り入れよう

 少年の頃に見たベルリン・オリンピックの映画で、イタリアのCFのステップと鮮やかなターンに見せられてから、道を歩きながら、駅で電車を待ちながら、ステップとターンを考え続け、ときには友人に見つかってダンスの練習と間違われたこともあった。以来ステップとターンは、私のサッカーの楽しみのポイントの一つとなっている。

 子供達のサッカーの指導にも、歌と踊りを取り入れる必要があるのではないか。シュツットガルトで、フランクフルトで、ミュンヘンで、ゲーム前のショウを見ながら、ターンの下手な日本選手をだぶらせながら、今育てている神戸や枚方などの少年達の将来に思いを馳せるのだった。


(サッカーマガジン 1975年5月号)

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