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タウヌス山中の小さな町で見た、スコットランドの練習


 6月17日のフランクフルトは、歩けばちょっと汗ばむような好天気だった。市の北方20キロにあるタウヌスの山塊は、最高点880メートル、神戸の六甲山塊の2倍以上の広がりを持ち、その緩やかなうねりは、市の南方の私有森林地帯(前号参照)にあるバルト・スタジアムから、市の中心部を隔てて、遙かに鯨の背のように遠望できる。

 ブラジルとのゲーム(18日)を控えた、スコットランド代表チームの練習が、タウヌス山中の小さな町のグラウンドである。取材はオープンと聞いて気持ちの動かぬ筈がない。

 元々子供の頃、神戸に住んで六甲の山並みに親しんで育った。今度の旅でも、ライン下りよりも、ツークシュビッチェ(西ドイツの最高峰2966メートル)へ登りたいと思っていた(結局は果たせず)くらいだった。



 迫力満点の大砲シュート

 10時30分、市の中央駅に近いホテル「ヘッシッシャー・ホフ」をスタートしたタクシーは、バド・ホムブルクの美しい町並みを通って、タウヌスへの坂道を駆け上がった。バド(Bad)は浴場の意味で、ホムブルク温泉といったところか、タウヌスにはバド○○○が沢山あり、この山地が西にライン河と接する辺りにドイツ最大の温泉保養地で、またヘッセン州の州部のウィースバーデン市がある。

 ホムブルクも昔はヨーロッパ一のカジノがあり、後にこれが閉鎖されて、モナコのモンテカルロに移ったという。気のよい老人のドライバー市は、ぽつりぽつりと英語で、タウヌスにある古い城の説明をしてくれる。

 練習グラウンドは、確かベールハイムの町だったが、町というより村、その外れの見晴らしの良い丘の上に、周りに陸上競技のトラックを配した、芝生のグラウンドがあった。入口(石の柱が2本立っているだけだが)で、役員らしき人達が1マルク半の入場料を取っている。既に200人くらいの村人が集まっていた。

 「これからどうするかね」とタクシーのおじいさん。「時間が掛かるだろうから、もういいよ」と私はここまでの料金48マルク(5700円)を払う。運転手は「帰りも乗って下さい。私も見ていきます」と車を止め、入場券を買った。

 練習は試合前のいわば身体ならし程度だが、赤毛のブレムナー主将始め、大会最年長のデニス・ロー、ウイングのジョンストン、巨漢ジョーダン、巨砲ロリマーらのスターを間近に見る村人達は実に楽しそうだ。記者は英国人ら十数人。BBC放送が録画撮りに来ていた。

 気の毒だったのは3人のブラジル記者。アシスタント・コーチが、タッチライン際で記者の国籍を訪ね、ブラジルだというと、悪いがトラックの外側の柵まで下がってくれ、と言う。理由はオーモンド監督の指示と言うだけ。2、3の押し問答の末、結局ブラジル記者は柵の外へ・・・・。

 選手が監督の話す内容を聞かれたくないのだろうが、ジャーナリストは公正と決め込んでいる日本なら、ちょっとしたトラブルだなと思うと、何となくニヤリとする。私は「ジャパニーズ・ベリーグッド」でライン際やゴール後ろをうろうろする。

 1時間ほど汗をかいた最後は、FKのパターン。ペナルティ・エリアの外側の地点でロリマーが直接狙うのと、横にはたいて、壁の裏へ走り込むローに渡すのと(ローはブラジル戦に出なかったが)の2つを繰り返した。ロリマーの直接狙うシュートは、ゴール後ろで見ている私の気持ちにズシーンとくる凄さだった。近づいてから一層スピードを増す。いわゆる伸びがあって、重そうで迫力満点。彼らのキャノン(大砲)という表現に偽り無いことを確認した。



 悠容とした自然、楽しげな人々

 スコットランドの宿舎のエルビスミュール・ホテルのあるバイルロッドは、練習グラウンドから10分ほど走ったところだった。高度370メートル。テラスの前の白樺が美しかった。

 スコットランド・チームと別れてから、山麓のブラジル・チームの宿舎までドライブを続けた。6月のこの低山帯は、誠に楽園だった。森は深く、麦畑は広く、そして丘を渡る風は爽やかだった。稜線には古城が建ち、遙か下にはフランクフルトの平野があった。山中の小道には、折からの休日(ドイツ統一を祈念する祭日)を利用したハイカーの姿が見え、森の側の草地には車を止め、ビキニ姿で日光浴をする女性もいた。

 ゆったりとした自然の中での、ゆったりした楽しみ方。やはり山容が悠容としておれば、人もまた油然とするものか?急傾斜の山地で忙しげなハイカーを見慣れた私には、スコットランドの練習のお陰で、また新しい経験をした。

 この日のメモはこう書き残している。

 「もう一度行きたいタウヌス、一度止まりたい白樺のホテル、エルビスミュール」

(サッカーマガジン 1975年6月25日号)

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