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デュッセルドルフの初めての朝、コーヒーの味とサッカー技術


 テレビのワールドカップの放映は、益々面白みを増し、私の周囲でも見る人が増えている。この号が出来上がる7月25日頃は東京12チャンネルはオランダ対ブラジル戦をやっているだろう。京阪神のU局は12チャンネルより2週間ずれているから、その頃はポーランド対ユーゴを見ることになる。大会から1年の内に、もう一度ビデオが見られるのは誠に有り難い。つくづく、日本も楽しい国になったと思う。

 初めのうち気ままに順不同で書かして貰った私の「旅」もマガジンの体裁が変わった10回目から少し変化してやや旅程を追うようになっている。その順序から行くと、前号で一次リーグが終わり、いよいよこちらも二次リーグへ入って行くことになる。元より、気ままな旅、何処へ脱線するかは保証の限りではないが・・・。



 国内線の機内食

 さて74年6月23日、シュツットガルトで、イタリアの敗退を見届けて、その夜20時15分のルフトハンザ261便で、デュッセルドルフへ飛んだ。前日西ドイツが東ドイツに破れた番狂わせに続いての、イタリアのショック。空港ではやたら喉が渇いて、スナックでジュースを2杯も飲んだうえ、機内食のジュースもお代わりした。

 西ドイツの国内の飛行は、大抵1時間くらいで行けるところが多い。そういう短時間飛行だから機内食は、ごく手軽に小さいケーキやパン類がパックされて配られる。フランクフルト空港では、搭乗口に積んであるのを、銘々が勝手にとって機内に持ち込むようにもなっていた。



 駅前ホテル
デュッセルドルフ空港は、ライン河畔、空港近くにライン・スタジオンがあり、メッセがある。迎えに来てくれたシュロット氏(元1FCケルン監督)の車で、ホテル・リンデンホフへ入った。二次リーグを見る足場はこのホテル。スタジアムや空港からは大分離れているが、中央駅(ハウブトバーンホフ)に近く、ショッピング・センターのケーニヒス・アレーにも歩いて数分である。

 まずは出入りに便利なのが利点だった。



 上手いコーヒー

 翌6月24日朝、私はホテルの食堂に座っていた。例によって深夜、電話で記事を送り、まだ眠気の取れない頭に、コーヒーの香りが心地よい刺激だった。今度のドイツ旅行で意外だったのは、平均して食べ物が美味しかったこと、事にコーヒーが上手いのは嬉しかった。

 帰国してから気が付いたが、メリタのコーヒー入れの装置はドイツ製だし、ドイツで開発されたインスタント・コーヒーはインスタントとは言いながら、結構いけるのだから、コーヒーについてドイツ人はかなり神経を使っているのだろう。私より、更に強力なコーヒー党の日立の高橋英辰監督も「コーヒーが平均して上手いので助かる」と言っていたから、私だけの感じではあるまい。



 コンチネンタル・ブレックファースト

 このコーヒーまたは紅茶とパン、それにバター、ジャムの付く、コンチネンタル・ブレックファーストと呼ぶ朝食は、簡単だが、それだけに、私のような深夜に仕事をする者には、ピッタリだった。フランクフルトのホテル・ヘッシャー・ホフでの朝食はこのコンチネンタルで、これ以上の物を注文すると余分に金を払わねばならぬ(ドイツのホテルの料金は朝食代を含んでいる)が、ベルリンではパンとバター、ジャムの他に卵とチーズと、2〜3切れのハムが付いた。デュッセルドルフのリンデンホフもベルリンと同じようにチーズやハムも付いていた。

 ここの食堂は、気楽で、4〜5人いた先客は皆ノーネクタイ。朝食のパンは、焼きたてで、外がちょっと固く、内が柔らかく、口の中でバターとミックスしてゆく味が何とも言えない。



 生活技術への感心

 食堂に置いてあるコーヒーを入れる機械はシュツットガルトのホテルの食堂で見たのと同じ、イタリア式のエスプレッソだ。蒸気をコーヒーの中へ通すこの機械は、コーヒーを手軽に、素早く濃く入れることができる。これまで、薄いという一日本人にとって通念だったドイツのコーヒーが、高橋ロクさんのようなウルサ型(コーヒーの)に気に入られるようになったのも、あるいはこの機械のせいかもしれない。

 一般に保守的なヨーロッパにあって、ドイツは来てみると、生活技術へ新しい物を取り入れることは随分敏感だという感じがする。コーヒーに限らず、空港や駅の設備でも、家の中でもそうだ。

 そうした、気持ちは、サッカーにも表れているのではないか。かつてはイングランドとともに、頑健さが売り物だった西ドイツのプレーヤーが、今、南米と変わらぬ、柔らかく、素早いボール・テクニックと身のこなしを持つようになっている。一次リーグはチームのまとまりに欠け、その技術が十分発揮されていなかったが、6月26日からの二次リーグではどうなのか──。

 食事を済ませた客達が、次々に食堂を出て行くのを見ながら、私はデュッセルドルフの最初の朝を上手くなったドイツのコーヒーと、ボールテクニックの連想を楽しむのだった。

(サッカーマガジン 1975年8月25日号)

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