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ゲルゼンキルヘンとデュッセル 一日2試合の観戦

 ドッジボールの調査 

 8月6日金沢の松田正三さんという小学校の先生が西ドイツのアーヘンへ向かって旅立った。松田先生は少年サッカーの熱心な指導者で、この雑誌に連載中の大江達氏の指導論に共鳴し、ご自分もなかなかの実績を上げておられる。ドイツ行きの目的は、もちろん大きくはサッカーのためだが、ドイツでの「ドッジボール」の調査というユニークな狙いがある。ドッジボールは小学校で、皆さんも経験されたことがあるはず。手でボールを投げつけ、枠内にいてボールに当たった者が外へ出る遊びだが、松田先生は子供達が足でボールを扱うサッカーにすんなり入って行けない理由を、小学校でのドッジボールの教科とその普及にありはしないかと考えた。ドッジボールは元々ドイツやスイスにあったものを日本に導入し、小学校の教科の一つとしたもの。現代のドイツではどうかと、多くの人に尋ねると、子供達がこの遊びをしているのは見ないとの答えばかり(私も見なかった)──ではドッジボールはその発祥地で、すたれているのか、もしすたれたとすればその原因は何か──幸いアーヘンに教え子が留学していて通訳を引き受けてくれる。ここを足場にドッジボールの盛衰を調べようと、思い立ったという。10月末まで3カ月の予定の松田さんの西ドイツの滞在が実り多く、楽しいものになることを祈りたい。



 中華ランチは8マルク 

 さて私の「ワールドカップの旅」の方は前号に続いて74年6月26日以降の二次リーグ・・・。二次リーグはご存知のように試合日の合間が3日あって、一次リーグほど観戦に飛び歩くわけではない。6月26日の二次リーグ第1日の次の日、27日は1日ゆっくり休養、ホテルに籠もって記録の整理をし、新聞を読む(デュッセルドルフもフランクフルト同様、中央駅の売店に各国の新聞があり、英国の新聞も沢山来ている。ドイツ語の不得手な私には英字新聞が世の動きを知る頼りとなる)。

 ケルン大学に留学中のO君が来てくれ、貯めておいたドイツ新聞、雑誌を読んで聞かせてくれたのは大助かりだった。次の28日は、そのO君とともに、シュロッツ氏を訪ね、ゾーリンゲン市のスポーツセンターや彼が住んでいるモンハイムのスポーツセンターや彼が住んでいるモンハイムのスポーツクラブなどを案内して貰う(75年2月号参照)。

 デュッセルドルフは泊まったホテル・リンデンホフが、駅のすぐ近くで、市電がすぐ側を走り、静寂と言うにはいささか遠かったが、それだけにホテルの近くにレストランや、中華料理があり、10分も歩くと、日本人商社員が利用する日本料理の「日本館」と「やき」もあった。リンデンホフは昼、夕食を出さないのでもっぱら外食だったが、中華料理が手軽だった。お昼は日本で言うランチタイムサービスで8マルク(約900円)でおかずと白いライスとスープが付く。お茶のみの私には支那茶(1.3マルク=150円)を出してくれるのが何よりだった。



 背が低くては立ち見はムリ 

 二次リーグ第2戦は30日、私の用意した入場パスはゲルゼンキルヘンの東ドイツ対オランダ。

 勝負はまず明らかだが、ともかく16時のゲームに間に合うよう、鉄道で出かける。この日は、西ドイツの試合(デュッセルドルフ)を見たいのだと、シュロッツ氏に言ったら、彼は親切にも午後に電話をしてきて、立ち見なら手に入ると言ってくれたのだが、立ち見はファンの雰囲気を知るのによいが、日本人でも小さい方の私が、ドイツ人の中の立ち見席では、ゲームの経過を見られなくなりそうだと考えて断った(後でやはり、どの試合かの立ち見席へ入った共同通信の小山君に聞くと、殆ど見えなかったという)。

 ゲルゼンキルヘンは予定通り、オランダのワンサイドだった。



 ミュラーの持ちこたえ 

 ゲームが終わって外へ出たら、デュッセルドルフ行きのプレスバスが出発直前、これ幸いと飛び乗った。この日の西ドイツ対スウェーデンのキックオフは19時30分。19時にラインスタジアムに着いた私は、強引に記者係に頼み込んで入場券を貰う。ゲームはスリル満点だった。シュバルツェンベックほどのベテランのセンターバックでも、自分より長身のエドストレームに対しては、やはりヘディング戦では負い目を感じるのか(長身プレーヤーは、得てして自分より上背のある者には弱いが・・・)浮き球の処理に乱れがあって、点を奪われたのと、ミュラーが相手を背にした体勢(自分の得意の)になりながら、2人にマークされて反転シュートが出来ないときにちゃんと相手を引きつけ、持ちこたえて、フォローしてきたオベラーツやヘーネスなどを生かすところが、面白かった。ドリブルやキープというのは、何も、相手の逆を付いてスイスイと行くだけではない。不格好でも相手の体を殺してでも、ともかく持ちこたえるということも大切なのだ。


 エキサイティングな攻防の後、4-2の西ドイツの勝利。ライン河に届けと「ドイッチェランド」を絶叫していた観衆は、満足して引き上げた。

 タクシーで相乗りしたスペインと英国のスポーツ記者を中央駅に送った後、雨の中をホテルまで小走りに帰る私の心も、4時間に二つのゲームを見た満足で浮き浮きしていた。

(サッカーマガジン 1975年9月25日号)

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