賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >IC急行「ラインの矢」でのサッカー談義 日本とカナダ、アメリカ

IC急行「ラインの矢」でのサッカー談義 日本とカナダ、アメリカ

 西ドイツ対ポーランド戦へ

 74年7月3日朝、デュッセルドルフのホテルを引き払った私は中央駅からIC(インターシティ)107号に乗り込んだ。

 既にワールドカップは二次リーグのABグループ各2試合を済ませ、この日はAグループでオランダとブラジルが、Bグループで西ドイツとポーランドが、ともに2戦2勝のまま対戦することになっていた。大会前に組織委に予約した私のプレス用入場券は、ゲルゼンキルヘンで、この日のカードは東ドイツ対アルゼンチンでどちらも2敗組。これでは商売にならないと、フランクフルトのプレスセンターへ予約入場券の変更を電話で頼み、西ドイツ対ポーランドを見ることにした。

 デュッセルからフランクフルトまで飛行機も良いが、今度はライン河の景色を楽しむため鉄道にしたのだった。

 ヨーロッパの鉄道旅行ではユーレイルパス(欧州13国に通じる周遊券)とともにTEE(国際特急)が有名。西ドイツ国内にも、もちろんTEEは走っているが、これと変わらず速くて設備の良いのがインターシティ(IC)と聞いた。一等料金50マルク、急行料金10マルク、合計60マルク(約7000円)。一等車両は、片側通路のコンパートメント、6人掛けでゆったりしていた(後でミュンヘンまで乗ったときは新幹線のグリーンと同じ形式の4人掛け、中央に通路があった)。日本と同様に列車にそれぞれ名が付いていて、TEEの中には「ゲーテ」や「エラスムス」「モリエール」などの人の名も多い。ICは人の名、土地の名など様々で、我が107号は「ラインファイル」、ファイルは「矢」だから「ラインの矢」、つまりライン特急というところだろう。始発はハノーバーで終着はミュンヘン。そして、ケルンからマインツまでの、いわゆるライン中流部の名勝の核心部を走ってくれる。



 デュッセルからフランクフルトへ

 午後10時26分、我が「ラインの矢」はデュッセルドルフ中央駅を発車した。昔から日本の国鉄が時刻通りに運行するのは世界一正確で、よその国では列車が遅れるのは日常茶飯のこと、と言われている。西ドイツは長く住む人に聞いても「遅れるのはしょっちゅうです」と言う。この大会を観戦するために東ドイツからやって来た一団(東ドイツから特別列車を仕立てて西ドイツへ入り、終始団体行動だった)は自分達の列車運行が、予定通りに行かないので「西ドイツには無いものはないが、東ドイツから何かプレゼントするとすれば、機関車と時計だろう」と皮肉ったとか。まあ、時間に関して余り評判の良くない西ドイツ国鉄だが、それでもヨーロッパでは時間は正確、設備は上々ということになるらしい。幸いに私の「ラインの矢」は、時間通りにスタートし、ケルンへ向かう。ケルンまで30分足らず、ここでラインの右岸から左岸へ渡り、ボン、コブレンツ、マインツを経て、マインツでライン河と別れ、今度はマイン河に沿って東進しフランクフルトへ午後1時9分に着く。



 景色とサッカー談義

 窓側に繰り広げられるラインの景勝は飽きることがなかった。最も、乗り込んですぐ、カナダのバンクーバーに住むケンブ氏というサッカー協会の役員と口を利くことになり、例によってサッカーの話、オリンピックを迎える後進国カナダの強化策を聞き、その件について、同様の経験を持つ日本の事情をいささか先輩顔して語ったり、そこへ、「あなた方の話し声の中にクラーマーという名を聞いたが、それは、私たちの共通の話題になる人ではないか」とアメリカのカリフォルニア・サッカー協会の関係者が隣のコンパートメントから加わってきてしばらくは、ビッグカントリー(日本も経済大国らしい)にして、サッカー後進国の悩みを語る座談会となった。ただし、カナダ人が私に、アメリカ人が私に、ゆっくり語る分には、どうやら通じるのに、カナダ人とアメリカ人同士で討論し始めると、こちらには全くと言っていいほど分からない。西ドイツに入って、ともかく、上手とは思わないが、英語で通じてきた私にとって、目の前で2人が喋っているのを聞き取れないのはちょっとしたショックだった。

 サッカー談義から開放されたのはコブレンツ辺りか、あるいはもう少し手前からか、定かでないが、しばらくは、丘の上の古城にカメラを向け、ブドウ畑にシャッターを押した。落ち着いた景色と、その一部になりきってしまった古い城、蕩々たる流れを往来する船、この河を「父」(ファーター・ライン)と呼ぶドイツ人の心情が、分かるような気がしたものだ。

 列車は正確に走ったのに、西ドイツ対ポーランドの試合は、直前まで降った雷雨のために大幅に開始が遅れた。消防カーが出動してポンプで水を吸い上げたのと、芝生の水を取るローラーの仕掛けが面白かった。

 水溜まりが残ったままでのゲームは、まさにスリル満点だった。マイヤーの奇跡のような働きと、鍛えられたプロの強さが、オリンピック・チャンピオンを抑えた。ベッケンバウアーは滑って珍しくミスもあったが、このようなピンチの多い試合の中で、彼のプレーの上に突然、一つのイメージが重なってきたのだった。(それについては続きの号で・・・)

(サッカーマガジン 1975年10月10日号)

↑ このページの先頭に戻る