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終着駅、ミュンヘン バイエルンとバイエルン人

 一対一の自信

 9月に来日したウェールズ代表ラグビーチームの試合は、随分面白かった。ラグビーは子供の時から好きでのオール・ブラックスの試合も見たし、学生時代は校内大会の素人チームのスクラム・ハーフをやったりしたから、大差となった全日本との二つの対戦も、テレビの前で、随分肩に力が入った。

 ラグビー界ではここしばらくウェールズ論で賑わうのだろうが、私には、まず体力の優先するこの競技の中に、ウェールズの一人一人が、きちんとした技術を身に付けているのが良かった。突進するときのステップ、方向転換、ボールの持ち方と状態のヒネリを使ったフェイントなど・・・体格差以外に日本にもまだまだ増やさなければならない技術の多いことがよく分かった。

 チームゲーム、集団のゲームであるこの競技でも、やはり1対1の自信がどんなに大きいかも示していたし、その自信に裏付けられて、ボールを持ったものが突破する突進と、味方が良い位置を占めるまでの持ちこたえのための前進、サッカーで言う突破するドリブルと、持ちこたえのキープを見事にやっていたのも、フットボール系競技共通の技術だった。



 世界の広がりを持つサッカー

 ある地域の大衆に根を下ろし、長い伝統に培われた競技のトップチームを見ることは誠に楽しい。しかし、そのレベルを日本と比べ、日本が追い付くことを考えると、誠に大変という気がする。それはラグビーだけでなくサッカーも同じ事だ。いや、ラグビーのように英連邦諸国とフランスなど、数カ国の国際交流を頂点とするのとは、比べものにならぬ「世界」の広がりと、根の深さを持つ競技で、日本がトップへ上がって行くためには・・・ちょっとやそっとで、出来るものではあるまい。



 冷たい空気と温かい人柄

 さて、そのサッカーの世界の頂点74年ワールドカップを追う私の旅も、前号で、終着駅ミュンヘンに着いた。信州の松本と同じ高度53メートル、7月4日の午後5時過ぎ、昼のような明るさの中に空気はヒヤリとして、日陰ではコートが欲しかった。

 ルフトハンザ航空が斡旋してくれたホテルは、中央駅、つまり市の中心部からタクシーで、15分、南西端にある植物園の側、閑静な住宅街にあった。「女主人」、カリン・ジンガー夫人のカリンという名から、宿の名はカロリーネンホフ(ホフは邸とか宮殿の意味)。この頃日本でもはやりのペンション風と言うのか数寝室の家で、ホテル業者の系列下に入っての経営、赤屋根と白い壁、緑の庭と、ヘルマン・ヘッセのスケッチさながら、プールもあり、全身美容のサービスもできるとか。

 英語の上手なチャーミングな夫人は、寝室はこちら、朝食の際は、この食堂で我が家の「ビッグ・ブレックファースト」を・・・と説明し、「うちは朝食しか出しませんが、もちろん夜でも昼でも、スナック程度なら部屋へサービスします。洗濯物があれば、いつでも出して下さい。地下に乾燥室があって、1日で仕上がります」と付け加える。

 主人のジンガー氏はがっしりとした体つき。半ズボンにサスペンダー、長靴下のバイエルン風。初対面の時の服装を見て、こちらはつい「今日はお祭りがあるのか」と聞いたら「私はバイエルン人、バイエルン風は当然。いつもこれを着用している」ときた。雪上を滑るソリ競技スケルトンのチャンピオンとかで、居間に誇らしげに鉄製のソリが立て掛けてある。それをひょいっと寝かせて見せてくれたが、私には押せども引けども動く代物ではなかった。

 日の高いのにつられて市中へ出る。市電に乗り、地図と町並みを見比べていたら、後ろからニューッと指が出てきた。振り向くとおじいさんがニヤッと笑って、指は地図を指している。今電車が止まった場所を教えてくれている。

 初めからドイツ語の出来ない日本人と見てくれたのか、その爺さん、続いて2つの駅に着くたびに無言で太い指を後ろの席から差し出してくれた。ゲーテブラツェで、席を立った爺さんは降りる際に、振り向いて片目をつぶった。手を挙げてダンケ・シェーンと言うと、寄り添っていたおばあさんも大きく頷いた。



 帰ってきた西ドイツ代表

 ドイツでは多くの親切を受けたがミュンヘンは着いた日から、心を開いてくれた。1つには山の好きな私に、ババリア・アルプスに近い町という先入観と、空気の冷たさが嬉しかったのかも知れない。が、同時に、ホテルの夫婦、車中の老夫婦・・・わずかの時間にふれ合った人々の暖かさが、この町の滞在を楽しいものと思いこませたに違いない。

 人口130万、西ドイツ3番目の大都市ミュンヘンは、人も知るブンデスリーガの名門バイエルン・ミュンヘンの本拠でもある。そしてまた、バイエルン人たることを誇りとするベッケンバウアーやミュラー達6人のメンバーが、西ドイツ代表チームの中心を成している。

 「なるほど、彼らはここで強敵オランダを迎え撃つのか」──7月3日のポーランド戦に勝つと、フランクフルトから、その夜の内にミュンヘンに飛んできた西ドイツ代表チーム。彼らはここのヒヤリとした空気と暖かい気持ちに一刻も早く触れたかったに違いない。

(サッカーマガジン 1975年11月10日号)

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