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カメルーンの不振エムボマの不運

MF・エムボマに大不満



“あと1時間半だナ”リヨンを過ぎたあたり、セーム河に沿った景色を眺めながら思う。

 6月18日、朝9時4分にマルセイユを出発したTGV812号は、北へ向かって走っていた。

 フランス98は6月10日の開幕以来、グループリーグ20試合を終えていた。32チームを8グループに分けたグループリーグの戦いは合計48だから、まだ半分に達していないが、A組ではすでにブラジルが2勝を挙げて、決勝トーナメントへの進出を決めていた。

 6月16日にナントで、そのブラジルがモロッコに完勝するのを見て、17日には空路マルセイユに戻った。モンペリエでのイタリア対カメルーンを取材する予定だったのが、変更してマルセイユにとどまり、テレビ観戦した。そしてこの日、パリ郊外サンドゥニでのフランスの第2戦、対サウジアラビアへ出掛けるところだった。

 例によって一人旅の車内は、メモを付け直し、試合や選手一人ひとりのプレーを思い浮かべる楽しい時間となる。そのメモには…“エムボマ以外にMFでチームの軸になれるものがいないとは”…とある。

 パトリック・エムボマ、Jリーグで活躍し、一躍関西の、というより日本の人気者になり、カメルーン代表のアフリカ予選でも得点を重ねた殊勲者だった。

 パリ・サンジェルマンにいた頃は出場機会も少なかったのが、来日し、一気にその力を見せつけた。

 突破のシュート、反転してのシュート。185センチの長身とスピード、そして頑丈さは、それだけで日本のDFプレーヤーにハンディとなったから、彼はパリにいたときより余裕を持つことができて、それがゴール量産につながったと言える。

 監督と意見が合わなかったともいうが、いまのフランス・リーグはアフリカ系の選手も多く、また、大型プレーヤーも少なくないから、フランスにいる限り、彼の身体能力はずば抜ける…というほどのことはないだろう。

 それに比べてJリーグでは、彼は自分の持つ肉体的な素材が、そのまま大きな特色で利点だったから、いい仕事ができた。前に残るストライカーとして開花した彼をMFに使うのは、まったく損なハズだが…。

 第1戦の対オーストリアでもMFで“もったいない”と思っていたのに、第2戦のテレビの画面でも、やはりトップではなかった。

 後方から持ち上がってのシュートも威力はあるが、彼をトップに置いてイタリアのDFに脅威を与えることが得策だろうし、わたしにとってはイタリアのDFが、大きくて速いエムボマを封じる手を見るのも楽しみにしていたのだが。



再び冴えるR・バッジオ



 午後9時からモンペリエのモッソン競技場で行なわれたB組の第2戦は、わたしの不満をよそに、いきなりイタリアがCKからゴールを先取した。左CKをロベルト・バッジオがショートコーナーにし、ゴール正面へ入るディビアジオにピタリと合わせ、ディビアジオのスキンヘッドが見事にボールを捕らえた。コーナーからボールを戻したときに、マルディーニやビエリの動きに気をとられたカメルーンのDFが、ゴール正面を空けたところを狙った、ディビアジオとR・バッジオの協調の素晴らしいゴールだった。

 もし、エムボマが専門のDFだったら、こういう危険地帯に反応するハズなのだが…。

 0―1のまま前半が終わりに近づく頃、カメルーンのレイモン・カラがレッドカード。ディビアジオがスライディングして取ったボールに足を出した。それも走ってきた勢いそのままに、ソールでいった。

 テレビのリピートを見ると、右足はボールに行ったが、左足が相手の太ももに触れたようだった。

 10人になった後半、それでもカメルーンは1点の挽回に動きの鋭さを増し、チャンスを作り始めた。

 イタリア・ゴール前の空中戦では、オマン・ビイクやエムボマの脅威に対してイタリアDFも体を付け、懸命に防ぐ場面があり、ゲームは緊迫感を増した。

 しかし、そのエムボマが左からの2回目のCKのときに頭から出血。レフェリーに注意されて治療ののち、包帯を巻いてプレーを続けたが、勢いは沈んだ。

 イタリアは65分にディビアジオとモリエロの短いパス交換から、モリエロがビエリの前にボールを流し込み、ビエリが決めて2―0。カメルーンのルロワ監督は、66分に2人の新しい選手を投入、オマン・ビイクとエムボマに代えた。ドイツのヘルタ・ベルリンにいるチャミと、スペインのレガネスのエトオの2人だが、10人で攻撃を続けるうちに、中盤にスペースが広がり、タイムアップ直前にもビエリが3点目を加えた。

 2戦目を落としたカメルーンは、23日のチリとの試合に勝たなければならないが、どんな挽回策があるのだろうか…。

 テレビを見ながら書いたメモには“せっかくのエムボマのチャンス,まとわり付いた不運を払いのけてほしい”とあった。

(サッカーマガジン 1998年10/7号より)

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