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タイムアップ寸前中西の突破も奇跡は生めず

攻め続けたが…



 時計は午後4時15分になろうとしていた。

 日本の左からのコーナーキック。その数分前に相馬に代わって入った平野のコーナーでのキープから生まれたチャンス。キッカーは中田だった。

 ニアポストに井原が、中央に城と秋田、その右外に呂比須(後半20分に中山と交代)、さらに右には中西と平野が開いていた。

 中田が蹴ったボールは、ゴールからやや遠く、PKスポットあたりに落下する。日本側はゴールに殺到してだれもいない。しかしアルゼンチン選手も、このボールへのヘディングを失敗、チャモがようやくボレーキックでクリアすると、日本の山口が、いい位置にいて拾った。
“まだ、いけるぞ”日本人記者席から声が上がり、スタンドのサポーターも、期待する。彼らが沸き立ったのは、山口からボールを受けた中西が右タッチ際から中へドリブルし、相手の2人をドリブルで抜いたときだ。

 エリア内で待ち構える2人の間を、小さなステップで割り込み、すり抜けた中西は、短いドリブルからゴール前のやや後方へパスを送った。それを、呂比須ワグナーがダイレクトでシュートした。この試合での唯一ともいえるビッグ・チャンスだったが、呂比須の右足から繰り出されたシュートはカバーに入ったチャモの左足に当たってゴール右外に転がり出た。

 右コーナーキック、キッカーは名波。彼が左足でたたいたボールは低く、ニアポストの相手がヘディングで防ぐ。



届かないコーナーキック



“うーん、ダメか…”

 すでに90分は過ぎているが、ロスタイム3分の表示が出ていた。

 アルゼンチンがカウンターに出る右サイド(日本の左サイド)で平野のボールを奪ったサネッティがドリブルで進む。90分の攻防で疲れた彼らはすっかり動きが落ちているが、ボールを持つと巧みで速い。平野の追走を振り切り、粘る名波をもスピードで離してゴールラインから数メートル、エリアぎりぎりで中へパスを送る。

 ボールは全速で突進するバティと彼をマークする日本の3人を尻目にその背後から上がってきたオルテガに、きちんと渡る。

 そのオルテガのワントラップ・シュートは、止めたときに浮いたボールを押さえられずにバーを越えた。

 あと1回攻められるか…“秒”を気にするのは井原も同じだった。後方から右へロングボールを送る。

 目標の名良橋に渡らずシメオネのボールとなったが、アルゼンチンのベテランが止め損なってコーナーキックになってしまう。ボールをコーナーにプレースした中田が蹴るのかと思ったら、彼はスタスタと中へ、中央から平野が走ってくる。

 時計を気にしながらも、中田の発案なのか、岡田監督の指示なのか…と、思う。

 そして、その平野のキックは、ニアポストに上がってきた井原にも、ファーポストにいた呂比須にも、中央の城にも渡らず、ライナーというよりもグラウンダーで飛んで、アルゼンチン側がクリアした。そのボールを中田が奪い返したときに笛が鳴り、オランダ人のマリオ・ファンデルエンデ主審はタイムアップの笛を吹いた。

 0―1、名波の足に当たったボールがバティに渡ってしまうという不運な前半の失点の回復は、ついにならなかった。
“やっぱり奇跡は起きなかった”

 ピッチに倒れ伏す、日本のイレブンを眺めながら、私は思った。

 ここ20年間のワールドカップで2度優勝、準優勝1回を記録しているアルゼンチン。この日の出場メンバー13人のうち9人がイタリアのセリエA、3人がスペイン・リーグ、と一人ひとりが優れた素質を世界の一流のリーグで磨いているサッカー王国の代表を相手に、一泡ふかせたいとの、岡田監督やイレブンの野望はならなかった。

 やはりダメでしたネ、プレスルームでT君が声を掛ける。
“そうだね、チャンスは何度もあったように見えても、外からのクロスは、ほとんどが、一番手前の相手DFにはね返される。ラスト5分の攻めにも現れていた。

 Jリーグでのクロスの失敗よりもここでの失敗が多いのは、それだけ相手の接近が早い、つまり読まれているということだろう。

 根本的には、キックのバリエーションと、正確度…パスでつなぐ日本がパスの元のキックが相手よりまずくては苦しい。走る力や頑張る気持ちは素晴らしいが、せっかく奪ったボールを攻めに出たときのミスパスでまた取られると、体力の消耗も多くなる。いい点も悪い点も、そっくりそのまま出てきたから、実力通りの試合だった。…まあ、スタンドから見ていれば、そういう風にあっさり言えるけれど…この大会で、アルゼンチンを相手に、ここまでやれるのは実際は素晴らしいことだと思う”

 この日、マルセイユまで帰る予定の私が、スタジアムを出ると、日本代表のユニホームを着た大群が、バスの停留所へ向かって歩いていた。

 入場券を求め、交渉し、スタジアムで歌い、叫んだツールーズでの彼らの長い一日も終わりに近づいていた。

(サッカーマガジン 1998年9/2号)

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