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変身、充実のイングランド2―0チュニジア

白い髪のカスペルチャク



 青い澄み切った空の下で、英国国歌の大合唱が場内を圧した。大きく口を開けて歌うイングランドのイレブン、主将のシアラーの表情に自信が満ちていた。

 荘重な“ゴット・セーブ”に続いて、行進曲風のチュニジアの国歌。記者席から見て左手のゴール後ろのスタンドで、赤いユニホームを着たサポーター群が高らかに歌った。

 記者席のモニター・テレビには、選手の表情のクローズアップのときに、チュニジアのカスペルチャク監督の顔も映る。

 すっかり白くなった髪と、ふっくらした頬が、かつてポーランド代表でプレーしてきたときからの20年の歳月を表していた。カスペルチャクといえば、74年ワールドカップで3位となった、あのラトー、ガドハ、デイナたちのチームの仲間…。

 欧州予選でイングランドを破り、西ドイツ大会ではアルゼンチン、イタリアといった強国、さらにはブラジルをも破って3位。アマチュアのオリンピック・チャンピオン(72年ミュンヘン)がプロのワールドカップでも強いことを証明した、輝かしい実績を持つ。

 わたしには、カテナチオのイタリアを粉砕した2本のシュート、シャルマッフのヘディング、デイナのデイレクト・シュート、そのいずれもが相手DFの前(ボールが来るニアサイド)へ入っての、クリーンシュートだったが、その動きに合わせたカスペルチャクの右後方からの見事なパスを、いまでも忘れることはできない。

 彼は、仲間とともに78年大会にも出場、すでに4年前の勢いはなかったが、その1次リーグで初出場のチュニジアと戦い、1―0で勝っている。


 そのヘンリク・カスペルチャクが94年からチュニジアの代表監督となり、96年のアトランタ・オリンピック出場に次いで、今大会の予選も突破するという成功を収めたのだが、カスペルチャクたちが彼らの名声を得る、第1ステップとなったイングランドとは…。



FKの工夫とシアラーのヘッド



 岡田正義レフェリーの笛で始まった試合は、イングランドの強いゴールへの意気込みが感じられたが、チュニジアもセリミの巧みなすり抜けから、スクエアのシュートチャンスがあり、20分ばかりは互角。

 その後次第にイングランドの動きが中盤を制圧し、右から左からクロスが飛び、スコールズのヘディングがGKの足下に飛んだのをはじめ、インス、シェリンガムなどのシュートがチュニジアのゴールを脅かし、43分に右ペナルティー・エリア外のFKからついに先制…。

 エリアの1メートル半外側、ゴールラインから約9メートル、記者席の私の位置からすぐ、目の下に見えるポイントは、イングランドにとっては絶好と言えた。

 キッカーは右利きのアンダートンと、左利きのルソーの2人のどちらか。ゴール前、ニアにはバッティとインス、中央には長身1メートル85のキャンベル、その向こう、ファーサイドにシアラーとサウスゲートの配置。

 アンダートンがスタートし、ボールをまたいで通り過ぎると、ルソーが左足で浮かす。キャンベルのジャンプにつられたチュニジアのDFの上を通り、シアラーへ。

 イングランドのエースストライカーは、こういうボールを逃しはしない。肩と頭を小さくひねるようにしたヘディングは的確にボールを捕らえ、左ポストぎりぎりにたたきこんだ。

 かつての日本では釜本が得意だったフォーム。大きく体を振らずに、ほんの少し頭を効かせるだけで角度が変わる見事なヘディング。こういうところで捕らえれば、この形でいう、シアラーの得意技のひとつだった。

“チュニジアもやりますね”

…アフリカでは一番弱いといわれていたけれど、カスペルチャクのまとめ方がいいのかな。

“岡田レフェリーはまずまず”

…僕はいまくらいでジャッジは悪くないと思うが、FIFAのオエラ方は、物足らないのじゃないかナ。チュニジアのファウルに、イングランドが冷静さを失うこともあり得るからネ。

“それにしても、イングランドのヘディング攻撃は迫力ありますネ”

…クロスにも工夫があるからね。

 前日のツールーズ、日本―アルゼンチンの重苦しさはなく、日本の記者たちのハーフタイムの会話も、楽しげだった。

 後半のイングランドの得点は、そのヘディング攻撃ではなく、スコールズのドリブルシュート。暑さのため、やや動きが落ちて、チュニジアに攻め込まれる回数が増えた終盤に、インスからのパスを受けて小さくドリブルして、右足のクリーンシュートを決めた。

 ベテランのガスコインに代わる才能として期待されるスコールズが、テクニックを発揮したゴールだった。そのシュートの5分前に、シェリンガムの交代として入った若いオーウェンも、ところどころでの素早いプレーでスタンドを沸かせた。
“イングランドは見事に変わった”
…かつて彼らの空中戦をはね返して、名を上げたカスペルチャクの前で、サッカーの母国は世界にその変身ぶりと充実をアピールした。

(サッカーマガジン 1998年9/9号より)

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