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ナントのスタジアムで14年前のプラティニ時代を思う

84年と不変のスタジアム



「屋根の曲線もスタンドの感じも変わっていない」…と思う。

 立見席をなくして39000の観客席をすべてイス席にした…だけだから、他の会場に比べてスタード・ド・ラ・ボージョワールは改修費の予算は少なくすんだらしい。

 6月16日、わたしはナントのボージョワール・スタジアムの記者席で、14年前の記憶を呼び起こしていた。

 フランス98は6月10日の開幕から15日までの6日間で8グループの各1回戦が終わり、いよいよ、この日から各組の2戦目。このスタジアムで、Aグループのブラジル対モロッコ午後9時から、少し南のボルドーではスコットランドとノルウェーの対戦が組まれていた。

 1984年にフランスで欧州選手権が開催されたとき、パリ、リヨン、マルセイユ、ランス、ナント、サンテチエンヌ、ストラスブールの7都市が開催地となり、今大会は、そのうち、ストラスブールが外れ、サンドゥニ、モンペリエ、ツールーズ、ボルドーが加わった。

 いずれも屋根をつけたり、イス席を増すなど、FIFAの規定に合わせて、改装したのだが、ここナントでは、84年のために新設されたスタジアムで、設備も新しいので、大改装というほどのことはなかったようだ。


 このスタジアムをホームとする「ナント・アトランティク・クラブ」は、設立は1943年と比較的新しいが、FCナントの頃から、フランス・リーグで7回優勝、今季は11位とパッとしないが、ブラジル代表と同じ黄色のユニホームで親しまれているチームだ。



新と旧の混在するナント・アトランティク



 現在のナント・アトランティクの名称は、ロアール河の河口港サン・ナザレ(人口11万)などと合わせたナント・アトランティク(ナント・大西洋)という広域都市圏の呼び名に準じたもの。この日、朝マルセイユ空港8時50分発のAF8760便に乗り、1時間10分のフライトで到着した「ナント・アトランティク空港」の立派なのに驚かされ、84年当時は空港も改装工事中だったことを思い出した。

 アトランティク(大西洋)を名に冠するだけに、この町はロアール河の河川港として大西洋と、内陸部との交通の要衡で、シーザーのガリア戦記の頃、すでにケルトのナムネット(NAMEETEES)人の町があったとされている。

 わたしたちがナントという町の名を覚えるのは、西洋史で習った「ナントの勅令」だろう。フランス王アンリ4世が1598年8月13日にこの城で、長い間続いたカトリック教徒と新教徒の宗教戦争を終結させる「プロテスタントに一定のワクのなかで信仰の自由を認める」勅令を発布したことによる。

 現在の北アイルランドのIRA問題にみられる通り、宗教の争いはなかなか難しく、この勅令も17世紀にはいってまた撤回されるのだが、やはり、歴史上の一つのエポックメークであったに違いない。


 パリから西南400キロ、TGVで2時間だが、マルセイユからは、いささか遠い。

 この日は、ナント市内でホテルを取りそこね、鉄道で40分のところにあるアンジェー市で予約したから、10時すぎにナント・アトランティク空港に着き、バスで鉄道ナント駅に向かった。

 そしてアンジェーへの切符を買い、いったん荷物をホテルに預けてから、スタジアムへという、いささか面倒な旅程となった。ただし、小さなアンジェー駅でチケットを買う際に、親切な駅員に「老齢割引」を教えられ、60歳以上ということで2割引となった。身分証明書(パスポート)を見せろと言われず、顔を見て判断するのはフランス的というのか…。



プレティニ、ジレス、ティガナ…



 このボージョワール・スタジアムで84年にわたしが見たのは、フランス代表とベルギー代表の試合。どういうわけか同じ6月16日、キックオフは少し早く19時15分だった。

 フランスは、ティガナ、ジレス、プラティニの三銃士にフェルナンデスとジャンジニを加えた5人のMF、DFはバチストン、ボッシ、ドメルグの3人、FWはラコンブと俊足のシクスの2トップ。ベルギーは80年の欧州選手権で2位となり、82年ワールドカップの開幕戦にはチャンピオンのアルゼンチンを1―0で破ったクーレマンス、ベルコーテルンがいた。

 試合はフランスが圧倒し5―0の大差となったが、すでにパリでの開幕戦(84年6月12日)でデンマークを1―0で破っていたフランスは、このあとリヨンでのユーゴスラビア戦にも快勝(3―2)する。そして1次リーグを突破し準決勝、決勝も勝って、欧州制覇を遂げるのだが、底力のあるベルギーを粉砕したことで、一気にフランス優勝への機運が盛り上がったのだった。

 今回のフランス・ワールドカップでもフランスは、第1戦の南アフリカ戦で完勝した。第2戦(18日)にも勝って決勝トーナメント進出を決めれば、いよいよ大会は高揚するはずだ…・


 歴史の町の懐かしいスタジアムでのプラティニ時代の回想は、大歓声で破られた。カナリア軍団が入ってきて、優勝候補の第2戦がこれから始まるのだった。

(サッカーマガジン 1998年9/16号より)

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