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ロナウドの初ゴールブラジルの華やぐ第2戦

ほれぼれするシュート



 それはビューティフル・ゴールだった。

 ゴールのほぼ正面、ペナルティー・エリアのすぐ外で、自分の前に落ちたボールが、ワンバウンドして落下するところを右足でとらえたロナウドのシュート。相手DFラインの背後を狙ったストライカーの意図を読んで、そこへピタリと合わせて中距離のロブのパスを送り、予想地点へ落下させたリバウドの左足のサイドキック(ベベットからのバックパスをダイレクト)も見事だったが、それを締めくくるロナウドのシュートもパーフェクトと言えた。


 記者席のテレビは、すぐさまスローでのリピートを映したが、キックそのもの…走り込んで、落下したボールがワンバウンドして、落ちてくるのに合わせて踏み込み、自分の得意な高さまでボールが落ちてくるのを待って、合わせた右足のスイング、その間の体を支えた立ち足(左足)のバランス、ボールを見詰める目、その一つひとつの所作(しぐさ)と、流れるような一連の動きは理想的だった。

 ロナウド・ルイス・ナザーリオ・ダ・リマという長い名を読み上げなくても、ロナウドだけで世界中に知れ渡っている21歳(1976年9月22日生まれ)のストライカーが、ワールドカップでの初ゴールを決めた。

 98年6月14日、午後9時キックオフのフランス98、グループリーグA組第2戦、ブラジル対モロッコ、前半5分だった。

 身長1メートル79センチ、現代の選手のなかでは特に大きくはないが、がっしりしたバランスのとれた体、瞬間のダッシュの速さ、ボール・コントロール。そして得点感覚。

 自ら突破してのシュートも、仲間へのパスも…と、攻撃プレーヤーのあらゆる要素を備えている逸材として、ブラジルで早くから注目され、94年のワールドカップにも、試合には出場しなかったが、ブラジル代表に入り、その後オランダのPSVアイントホーフェンに移ってから、96年にバルセロナ、97年にインター・ミラノとチームを変えた。

 もちろん動くたびに高額の収入が話題となり、インター・ミラノは彼によってシーズンチケットが3万5000枚から、4万8000枚に増えたという。

 FIFAが選ぶ最優秀選手にもすでに2年連続。この大会のひとつの看板であり、大会前に発表されたほとんどの雑誌の特集は、彼を表紙に飾った。

 若いスターのゴールは、チームの気分を高める。それまでモロッコの浅いDFラインに、レオナルドとロナウドがオフサイドを取られていたのが、ロナウドがオフサイドぎりぎりにウラへ出たことで、自分たちの狙いに自信を持つ。

 この日のブラジルのラインアップは第1戦とほぼ同じ、対スコットランドの後半に出場したレオナルドが、はじめから右のMFに入っていた。彼らの息の合ったパスの交換は、それぞれのポジショニングの的確さとともに、見る者を十分に楽しませるサッカー・ショーだった。



フランス風モロッコ



 相手のモロッコは、アフリカで早くからサッカーの普及した北アフリカの西部地域、近世に入って、フランス勢力が浸透し、1912年に保護領となった経験から、いまもフランスとは関係が深い。

 わたしたちの年齢の者には「外人部隊」の兵士の恋を描いた「モロッコ」、ゲーリー・クーパーとマレーネ・ディートリヒの名画が懐かしく、また戦後に見たイングリッド・バーグマンの「カサブランカ」は第2次世界大戦中、ナチス占領下のフランス保護領という背景が、とても面白かったのだが…。

 そうしたモロッコのサッカーは、オリンピックにもワールドカップにも出場を重ね、86 年メキシコ・ワールドカップでは、ティムミやハイリの活躍で、第2ラウンドまで進んだ実績を持つ。

 国王のバックアップもあって、98年大会の開催地に立候補したほどで、代表チームの強化にも力を入れた。今度のチームの監督に、フランス人のアンリ・ミシェルが起用されている。プラティニ時代を築いたミシェル・イダルゴ監督の跡を継いで86年の監督を務めた(3位)。

 チームの主力選手は、スペイン、ポルトガルのリーグ(フランスにもいる)で働いていて、第1戦(ノルウェー)ではハッジ、ハッダが得点しているが、ブラジル相手にはどうだろうか…。



短いパスと外からのクロス



 モロッコも攻める。荒っぽいタックルもあるが、MFで相手のボールを奪うと、細かくつないでゴールへ迫る。その小さなパスは、ややフランス的でもあるが、ラストパスがブラジルDFの位置どりのうまさもあって、うまくいかない。


 相手が攻めてくるとなれば、その攻防のなかでスペースが生まれる…すると上手な方がそこを利用する…47分のリバウドのゴールは、そうしたランプレーのなかで生まれる。右のカフーから中のベベットへと渡り、ゴールに向かってドリブルしながら、ベベットは右に体を開いて、右オープンのカフーへパス。エリア右隅で受けたカフーはドリブルして中へ。これをリバウドが左でピシャリと決めた。

 ブラジルは、いよいよブラジルらしくなった。

 ハーフタイムの笛に、わたしはノートのメモへ書き添えた。

(サッカーマガジン 1998年9/23号より)

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