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アラブの扉をあけるジダンの“開けゴマ”



 45分はアッという間に過ぎた。

“前半はフランスのパスゲーム・ショー”…試合の経過、攻撃の手順を追うだけでA4版4 ページをを要したメモのラストに、わたしは書き加えた。


 6月18日、パリ北郊サンドゥニのスタッド・フランス(フランス・スタジアム)でのグループリーグC組のフランス対サウジアラビアはハーフタイムに入っていた。

 フランスのこの日のラインアップは△GKはスキンヘッドのバルテズ、DFはブラン、ドゥサイイーの2CBに、右にチュラン、左にリザラズと不動、守備的MFが主将のデシャンとボゴシアン、プレーメークのジダンと、左へ開く、ディオメドがMF、FWは右へ展開するアンリと中央のデュガリー。第1戦と違っているのはジョルカエフのいないこと。代わって起用された小柄(1メートル70センチ)な黒人のディオメドが、どれくらいできるか?

 前半2分の、ジダン、ジダン、デシャンの連続シュートに始まった彼らの攻撃は、とくに左のリザラズ、右のチュランの両ウイングバックの積極的な進出が目立った。

 19分にそのリザラズの突進を止めようとしてスライディング・タックルしたアルハラウィが、トリッピングの形となってレッド・カードを出され、サウジが10人となる。

 その1人少なくなったサウジをフランスは間断なく攻めつける。

 彼らのパスゲーム・ショーは、長、短、タテ、ヨコ、浮きダマ、グラウンダー、そして一発のロングボール、右から、左からのクロスと、手を替え品を替え、サッカーの持つ面白さを存分に味あわせて、13本のシュートは、どれもスリルいっぱい。

 とくに左のリザラズ、右のチュランが、いわゆるウイングバックの形でどんどん攻め上がるだけでなく、リザラズは3本、チュランは2本シュートまでいったのが、わたしはとても楽しかった。



ウイングバックのシュート



 1930〜40年代のWフォーメーションを作っていたころ、イングランドにはスタンリー・マシューズというドリブルとセンタリングの名人がいたため、日本では外側から攻め込むときは、正確なクロスを送ることを主に考える傾向があった。

 もちろん、外から中へのクロスパスを正確に送るのは第1条件だが、中へ切れ込んでシュートするのも、有能なウイングプレーヤーの大切な資質だった。そうしたシュートするウイングも見てきたオールドファンの私には、昨今のクロスに専念してこと足りるとするウイングバックに、物足りなさを感じていたのだが、フランスの両サイドバックは、ときにはエリア内に入ってシュートを敢行したから“これこそフランス”とわが意を得た感じだった。

 コパ、フォンテーヌの58年の攻撃力はともかく、現代サッカーの流れとなってからの84 年欧州チャンピオン、プラティニやジレスのチームでも、左バックのドメルグが、相手ゴールエリア近くでシュートして得点したのを覚えている。

 その間断ないフランスの45分の攻めが1点だけにとどまったのは“例によって?”シュートが決まらない…というよりは、サウジGKのアルディアイエの働きを讃えるべきだろう。

 1メートル88センチの体格と94年米国大会を含む100試合以上の経験を持つ彼の確実な捕球や、一度バランスを崩したあとの、立ち直りの早さがなければ、失点は増えていたに違いない。もちろん10人となって押し込まれる形となったサウジの守りの厚さもあったが…。



堅守を崩す得意芸



 こういうゴールキーパーが調子を上げているときに、シュートが決まるのは、至近距離、あるいは、左右からのパスまたは、シュートで彼のポジションや姿勢を一度、動かしておくことなのだが、36分のゴールはそのひとつ。

 リザラズがエリア内まで侵入して左からゴール正面へパスを送り、これをアンリが決めたもの。

 その攻撃のスタートは、相手GKのパントキックをDFが取って、(1)チュラン→デシャンのパス交換から始まった。(2)デシャン・トレゼゲ(30分に足を痛めたデュガリーと交代)へパス、(3)トレゼゲは胸で止め、ボゴシアンにバックパス、(4)ボゴシアンはリザラズに、(5)リザラズは走り上がり前方のジダンに渡して、自分は前進(このとき、ディオメドは左タッチラインいっぱいに開いてスペースを作っている)、(6)相手の1人を背にしてボールを受けたジダンは、半回転して右アウトでタテに流し、(7)それを受けたリザラズがエリア内まで入り、接近したDFの足の間をアグラウンダーで通し、(8)アンリがスリマニに競り勝って左足でたたき込んだ。

 それまで流れるようにボールが動いていたなかで、立ち止まってボールを止めて回転したジダンのために、一瞬、相手DFの動きが止まったときに、リザラズが走り込む…ジダンの得意技を信頼して動きを続ける仲間たちのチームワークと、その局面でのプレーの確かさが、サウジアラビアの堅く閉ざした扉を開いた。

 アジアの仲間であるサウジが10人になった不運も忘れて、わたしはフランスが、後半にどのような呪文(開けゴマ)でアラビアの扉を開けるのかを期待するのだった。
(サッカーマガジン 1998年10/14号より)

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