賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >おおナイジェリアオコチャの変幻自在

おおナイジェリアオコチャの変幻自在

アンジェとプランタジネット



 テレビ画面のなかで緑のユニホームが躍動していた。ナイジェリアだった。そのイキイキとしたプレーに帰ろうとする足が止まってしまう。


 6月19日、ナントのボージョワール・スタジアムのプレスセンターにわたしはいた。

 前日、パリ北郊サンドゥニでフランスがサウジアラビアに快勝するのを見て、その夜はパリに帰り、この日、パリ・モンパルナス駅発11時25分のTGVでなんとへやってきた。翌日の20日、ここで行われる日本のグループリーグ第2戦、対クロアチアの取材に備えての移動だった。

 ナント市内のホテルは例によって満杯で、この日も鉄道で30分ばかり離れたアンジェの駅前にあるホテル・フランスに泊まることにして、すでにチェックインを済ませていた。

 アンジェ(ANGERS)という町は、ロワール河の支流のカーヌ川に面し、9世紀からこの地域を支配したアンジュ家(ANJOU)のシャトー(城)があることでも有名で、ロワール河いったいの城めぐりのツアーなどには欠かせぬところだと言う。

 チェックインしたついでに昼食をとったホテルのレストランの名はプランタジネット…日本語になおせば「エニシダ(金雀枝)」。花好きや園芸好きならご存じの植物だが、実はこの名は、私たちは西洋史のなかで英国の王朝として覚えている。

 それはこの地のアンジェ家のアンリがエニシダの枝を紋章として、1154年にイングランド王となったのに由来している。

 お本来なら、城めぐり、旧跡めぐりに時間を取り、イングランドと関係の深いこの地に時間をさきたいところだが、なにしろこの大会は32チームに増えグループリーグは17日間、試合の連続、それにまた記者にとっては入場チケットの確認もあって、試合取材を外した日も開催地のプレスセンターに顔を出してくことも大切…。せいこ



ナイジェリアとアトランタ



 そのボージョワール・スタジアムのプレスセンターで所用をすませ、アンジェへ戻ろうとしたときに、パリでのナイジェリア―ブルガリア戦がテレビに映し出されたのだった。

 時間を気にしながらのテレビ観戦だが、ナイジェリアのプレーを見るのはほんとうに面白い。

 96年のアトランタ・オリンピックで優勝した彼らのプレーは、アフリカ人特有の身体能力の高さを、世界にアピールした。

 いまも覚えているのは、決勝の対アルゼンチン、1―2からの同点ゴールを決めたアモカチのシュート。カヌがヘディングで落としたのを仲間の一人がシュートしたが、空振りし、すぐ近くのアモカチの方へ飛びそれをアモカチが右足で止めてすぐにフワリと浮かせて、前進したゴールキーパーの上を抜いたのだった。

 90年のイタリア大会でカメルーンがマラドーナのアルゼンチンを破ったのも、予期せぬボールに対するオマン・ビイクの反転の速さと、ジャンプの高さ、頭をたたきつける強さの統合による得点だった。

 同じアフリカでも隣のカメルーンはオマン・ビイクやエムボマに代表される強さが表に出るが、ナイジェリアの方はもう少しソフトな感じが出るのが楽しい。

 その代表的なのが、オコチャ。1973年8月14日生まれ、25歳にもうすぐという彼は1 メートル75センチと大きくはないが、ヒザを曲げた大きなストライドで走るフォームがまことに美しい。そのドリブルは右足だけでなく、左の足も使い、相手を惑わして逃げるときも、右にも左にも出る。ときには右でまたいだあと、左のアウトサイドでボールを左へ押し出してからかわしていくこともある。

 そしてまた、切りかえしもパスも相手のリーチによっては、足の間にボールを通すという憎いことを、まことにあっさりとやってのける。

 ナイジェリアにはカヌというスターがいるのだが、94年ワールドカップ、96年アトランタ・オリンピックを経て、いまもっとも充実した時期にあるオコチャのプレーメークを買う人も多い。もっともこうした個人技術の持ち主は、ときにその“遊び”のゆえに監督たちと衝突する。ドイツのアイントラハト・フランクフルトからトルコのフェネルバチェに移ったのもそのため。今度の大会は彼にとってヨーロッパのトップリーグに戻るきっかけでもある。


 「ワーッ」と周囲が沸いたのは、ナイジェリアのゴールが生まれたからだった。左サイドから、オコチャへ、オコチャからアモカチへ、そこからダイレクトパスが中央へ送られ、イクペバが相手DFをかわし、飛びだすGKを前に落ち着いてシュートを決めた。

 リプレーはダイレクトパスを受けるときのイクペバの見事なフェイントを見せ、それに周囲の記者が嘆声をあげるなかで、わたしは攻撃のスタートにオコチャがからみ、さらに左から正面でボールを受けたあと、キックのフェイントをしておいて、右のアモカチにパスを出したオコチャの組み立てに満足していた。アンジェへ戻る時間もしばらく忘れているのだった。

(サッカーマガジン 1998年10/28号より)

↑ このページの先頭に戻る