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1970年メキシコW杯「カテナチオ隆盛のなかで」

 エレニオ・エレラ監督のカテナチオによって、インテル・ミラノが1964年、65年と、2年連続して欧州の覇者となり、2年続けてワールド・クラブ・カップを制した。このことが、タイトルを獲得するには守備偏重の作戦が効果的ーという考え方を普及させる。
 66年W杯に優勝したイングランドは、その傾向をさらに強めたチームだった。名GKバンクスをゴールの守護神とし、最終ラインはムーア、、ジャッキー・チャールトン、ウィルソン、クーパー。彼らは、相手のキーマンをマークするスタイルズとともに堅固な守りを築き、ボール、ベル、ピータースのMF陣とボビー・チャールトンとハーストの2トップというラムゼー監督の布陣は、イングランドの古典的なウイングを置かないことで多くの人々の反発を買った。だが、個々の選手の技術と豊富な運動量、競り合った時の強さはワールドカップのタイトルを取っただけでなく、国際舞台でも最も「勝ちにくい相手」と見られた。66年W杯から70年のW杯準々決勝まで、28勝11分5敗。イングランドの、サッカーの母国としての誇りのうえに、実力でも自信に満ちた時代だった。
 厚い守りからカウンターで点を奪い、少ない得点で勝ち上がるという、守りのサッカーの隆盛を打ち破るのが、1970年のブラジル代表チーム。その先頭にペレの姿があった。
 いったん王座から降りたブラジルは、メキシコ大会の予選を戦うことになる。第11組(ブラジル、パラグアイ、コロンビア、ベネズエラ)で、彼らは6戦6勝、得点23、失点2の圧倒的な勝ちっぷりで桧舞台へ上がってきた。66年の敗戦と、悪質なファウルによって傷つけられた心と身体の苦痛から、ペレはワールドカップに出ることをやめようと考えたこともあったが、再び充実した気迫でチームを引っ張っていった。
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