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伝統ドイツの退化に暗黙ランスでの対ユーゴ戦

あの先人の技術はどこに



 記者席は緊張が解け、雑然たる空気になっていた。

 6月21日、北フランスのランス市、フェリ・ボラール競技場、1次リーグFグループの第2戦、午後2時30分キックオフのドイツ対ユーゴスラビアは前半を終わって1―0、ユーゴがリードしていた。
“ユーゴに強いいつものドイツも、今年はさっぱりですネ”と臨席のG氏。
「90年もそうだったが、はじめはユーゴの技巧にタジタジとなりながら、途中から激しいプレスでその技を封じて、結局は勝ってしまうのがドイツですがね。今度はユーゴのペースが45分間、続きましたね」と答えながら、96年以来2年ぶりに見るドイツ代表チームの退化にいささか、戸惑っていた。

 ドイツのサッカーは、1930年代のオットー・ネルツ以来、日本のサッカーに大きな影響を与えた。

 彼のショートパス理論に傾倒した慶応サッカー部が30年代後半から40年代はじめにかけて日本のトップチームになったこともあった。また、ネルツの次の代表監督、ゼップ・ヘルベルガーの弟子でもあったデットマール・クラマーが63年から68年まで、日本代表を指導して、東京(64年)、メキシコ(68年)のオリンピックで好成績をもたらすとともに、選手育成の指導法を植え付けた。

 先人たちの積み重ねが、必ずしも歴史や伝統として蓄積されていないところが、日本サッカーの不思議さではある。ゲルマンの勤勉さ、粘り強さを生かす組織サッカーと、そのためにこそ、基礎技術の重要性を説く練習法はだれにも理解できるものであったし、技術習得のためにプレーヤーが反復練習を重ねるよう、そのモチベーションを高め、選手の心に火をつけることに関して、クラマーは比べるもののない“教師”であった。

 クラマーが西ドイツ・サッカー協会(DFB)の育成担当コーチであったときに、若きベッケンバウアーが現れ、66年のワールドカップで準優勝、70年大会に3位、74年大会は優勝という輝かしい記録を作る中心選手となるのだが、当時のドイツの代表は個人技術の確かな選手で占められていた。

 80年代の大会で、連続準優勝ののち、90年に3度目の優勝を握るのだが、それはもちろん、彼らの誇る組織力の勝利であっても、その元となる個人技術が再び高まったことが大きかったと言える。クリンスマン,フェラーの2トップ、サイドから攻撃するブレーメ、攻守の要のマテウスらが、セリエAで揉まれ、自らの素材に磨きをかけたことが底流にあった。



ストイコビッチの気迫と技



 それがフォクツがDFBの第6代表監督となってからのチームは、個人的に魅力のある選手が少なくなってしまった。

 94年のワールドカップの準々決勝でブルガリアに敗れて“ベスト4の常連”から一歩後退。96年の欧州選手権で優勝したため、今度の大会でもブラジル、フランスなどに次ぐ優勝候補に挙げられていた。しかし、ザマーを故障で欠くことを不安視されていた。

 前半のユーゴの優勢は、もちろん、ユーゴ側が対ドイツの意識を強めたこと、特に、ストイコビッチが賢明な動きでノーマークになり、正確なパスで仲間を働かせたことが大きい。ドイツ側が、そのユーゴの巧みなステップやボール扱いに対応できず、また、せっかくボールを奪い取っても、その後のパスがまずかったり、仲間のサポートがなかったりで、よい展開に結び付けられないことが多かった。

 96年以来、期待していた左サイドのツィーゲに元気がなく、左からのクロスも4本ばかりのチャンスがどれも、狙い通りに蹴れていないのも気になった。

 ユーゴの得点は13分に、左サイド25メートルあたりからミヤトビッチがゴール正面へ送ったボールがゴールインしたもの。このボールに合わせてGKケプケの前へ走り込んだスタンコビッチの右足はボールにタッチできなかったが、この動作に惑わされてGKケプケは捕球できず、ボールは右ポスト内側に当たってゴールに転がり込んだ。

 ケプケのミスとも言えるが、その前にユーゴがパスを9本つないで約1分間中盤でキープし、右タッチアウトのスローインから、ストイコビッチがキープし、2人を相手にして左へパス。これを受けたペトロビッチがドイツのハインリッヒを相手に切り返しを見せておいて、左前のミヤトビッチにパスをし、ミヤトビッチがベアンスを前にして、右足で速いカーブパスをゴール正面へ送ったのだった。

 このとき、もう一人のFWコバチェビッチが右に開いていて、ゴール前に大きな空白があり、そこをカバーするはずのトーンは、ミヤトビッチの突破あるいは、ペトロビッチの縦への動きを警威してエリアいっぱいまで出ていた。その空白地帯へのパスと、第2列からのスタンコビッチの走り上がりが生きたのだったが、個人のキープとパスとの見事な調和が、ドイツの守りを悩ませ、そして崩した。

 今年のユーゴは、これまでとは一皮向けていると思ったのは、私だけではなかった。

(サッカーマガジン 1998年11/25号より)

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