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プロ化と“冬”の克服2回連続出場ノルウェーの振興策

人口の6%がサッカー登録



 午後8時を過ぎているというのにスタッド・ベロドロームのバックスタンドの上部は、まだ夕日を浴びていた。

 6月23日、グループリーグA組の第3戦を迎え、マルセイユ市の中心部に近いスタジアムは、カナリアのサポーターと、バイキングの子孫たちで活気に満ちていた。

 2勝して決勝トーナメント進出を決めているブラジルに挑むノルウェー(2引き分け)には正念場。同時にサンテチエンヌで行なわれるスコットランド(1分け1敗)対モロッコ(1分け1敗)でどちらかが勝てば、勝ち点が4となり、ノルウェーはブラジルと引き分けではダメ(勝ち点3)で、勝たなければ決勝トーナメントへ進めない。
“フレンドリー・マッチであっても、ブラジルに勝った実績のあるノルウェーだから、面白い試合になるでしょう”とO氏。
“彼らの体格、体力を生かす技術が高まったのだろうね”と、言いながら、気候のハンディを負うノルウェーの急成長とその努力を思うのだった。
“北の国”ノルウェーの名の通り、スカンジナビア半島の西側を占めるこの国は、日本よりやや小さい面積に438万人が住む。

 サッカーの登録人口は28万人で人口の6パーセントだから、1億2000万人の日本にあてはめると、720万人という大きな数字になる。

 冬は雪と氷に閉ざされ、国土の大半が山地のこの国は,ホルメンコーレンのジャンプに代表されるノルディック・スキー発祥の地。サッカーの歴史もまた古く、1936年のベルリン・オリンピックのときには、ヒトラーの面前でドイツ代表を破り、準決勝でイタリア(優勝チーム)に敗れたが、3位決定戦でポーランドを下して銅メダルを獲得した実績もある。このチームは2年後の1938年のフランス・ワールドカップに出場し、1回戦でイタリアに敗れたが、スコアは1―2。それも延長の末、イタリアがやっと勝った。

 第二次大戦後は西欧のプロ隆盛、東欧社会主義国の国家政策によるサッカー推進の「はざま」にあって、アマチュアのノルウェーは“マイナー”のグループに入っていた。



86年からのプロジェクト



 それが94年米国大会に出場して注目されたのに続いて、今度も欧州第3組予選をトップで通過。ワールドカップの“常連”になろうとしているだけでなく、グループリーグ第3戦に、まだ僅かながら決勝トーナメントへの望みを残しているのは、10年がかりの彼らのサッカー普及と強化策「2000年プロジェクト」の成果といえる。

 アマチュアのままでは世界と戦うことはできない…と1993年に日本はプロリーグをスタートした。その2年前、91年2月にノルウェー・サッカー協会(NFF)はプロフェッショナルの導入に踏みきったのだが、その5年前の1986年にNFFは「2000年に向かってのノルウェー・サッカー」のプロジェクトをスタートさせた。

 まず彼らは、国内リーグの勝ち点を改革、1勝をそれまでの2から3にし、引き分けを廃止して、90分を終わって同点のときはPK戦を採用した。これによって試合を攻撃的にして、観客にも魅力あるものにすること、同様にプレーヤーの能力を高めることを図った。PK戦は1シーズンで中止したが、勝ち点3と、引き分けが1、負けが0は続けられ、それが欧州各国を刺激し、94年ワールドカップにも採用された。

 課題の“冬”の克服(シーズンは4月―11月)は、室内ピッチを整備して12月から5 人制の室内トーナメントを開催。2月初めには南の温暖な地でノルウェー代表のトレーニング、また南欧でノルウェーのクラブによる試合を行うとともに、国内では人口芝を持つ3つの室内サッカー場を91年に相次いで開設した。

 少年少女への浸透は、これより10年早く、1972年にスタートした。7月最終週、オスロで開催されるノルウェー・カップ国際少年大会は、13年後には2万2000人が参加するまでになっていた。

 16歳以上のプレーヤーは登録の際に100クローネ(1988年当時1600円)の登録料を支払い、傷害保険の加入料やサッカー協会の広報などをまかなうようにしたのが1988年。この年の登録人口が8万人だったから、10年間で3倍以上に膨れ上がったことになる。

 もともとノルウェーをはじめとする北欧人の体格、体力にはドイツ人たちも一目置く。30余年前にオーストリアのスキーの“大先生”ルディ・マットに聞いた話…「ノルウェーの若い娘が、冬の最中にダンスをするために何キロもスキーを履いて出掛けてゆくのに驚くとともに、こうした女性から生まれ育つノルウェー人の“強さ”を改めて知った」…は、アルペン・スキーといえども、北欧人の彼らが体力を生かして練習すれば、中欧の選手にも脅威になることを意味する。事実シュタイン・エリクセンをはじめとする優れたアルペン・スキーの名手が出るのだが、ノルウェーのサッカー界からも“サッカーのエリクセン”が出ようとし、今度の代表もプレミア・リーグ、それもマンチェスター・ユナイテッドやリバプールなどの名門でプレーする者も少なくないのだ。

 スタンドの歓声とともに選手たちが入場してきた。


(サッカーマガジン 1998年12/23号より)

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