賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >見苦しい反則を防ぐ?16台のテレビカメラ

見苦しい反則を防ぐ?16台のテレビカメラ

レキップ紙の4コマ写真



「この写真で“ワザあり”だナ」…。

 6月26日付けのフランスのスポーツ紙レキップの16ページ。6月24日のブラジル対ノルウェー戦の決勝ゴールを生んだPKのファウル、ジュニオール・バイアーノがノルウェーのT・A・フロのシャツを後方から引っ張った(連載28回掲載)場面が4コマで載っていた。


 マルセイユのサン・シャルル駅を9時8分に出発したTGV6634列車は、北に向かって走っていた。予定通りなら、12時15分にリヨンに着くことになっていた。

 この日の目的はリヨンでの日本の第3戦、対ジャマイカだが、3時間の車中は新聞に目を通し、メモを整理する格好の場でもある。

 駅で買ったのは、レキップとヘラルド・トリビューン紙。フランス語はダメだから、このヨーロッパで最も権威のある新聞も、もっぱら見出しを眺め、写真を見るくらいだが、克明な試合とチームニュースとともに、イラストの扱いが上手なので助かる。


 この連載の29回で紹介したフランス対デンマークの予想ラインアップなら、両チームの配置図を置くだけでなく、その名前に□を付けてイエローカードを受けている選手を示す。残り11人の控えにも、黄色を受けている者、退場処分で出られない選手、ケガをしている選手にはそれぞれ表示が付いていて、一目瞭然といったところ。

 この日も、まず日本とジャマイカの予想配置図に目を通してページをめくると、そこに前述の4コマがあった。


“1月6、13日合併号”でも触れた通り、フランスで実況中継されたテレビの画面では、ジュニオール・バイアーノのシャツプリングの反則は明らかではなく、メディアの多くはレフェリーの判定を疑問視していたのだが、ノルウェー・テレビ(NRK)とスウェーデン・テレビ(SVT)が、それぞれバッチリ反則を捕らえていた。

 FIFAの審判部は、試合の翌日にこのNRKの画面をインターネット上で公開し、バハーマスト主審の判定が全く正しいものであったことを広く知らせ、フランスのテレビ局も、改めてこの場面を流し出したものだ。



アフリカの不満を抑止



 レフェリーの判定に従う…のが常識とされているのに、あえて「レフェリーの判定はテレビが証明している」と発表したのは、反発があまりにも大きかったから。このPKでノルウェーがブラジルから勝ち点3を挙げ(1勝2分け、勝ち点5)、同じAグループの第3戦でスコットランドを3―0で破ったモロッコ(1勝1分け1敗、勝ち点4)を押さえて2位となったため、モロッコ側から不満の声が上がっていた。

 判定についての不満は、B組のカメルーンにもあった。彼らは6月23日の第3戦、対チリで2人が退場処分を受け、オマン・ビイクが決めた2本のシュートも、一つはオフサイド、一つは協力者エムボマのファウルで認められず、1―1の引き分けとなった。もし2―1なら、イタリアに次いで2位になっていたハズだったから、バグネル主審への語調も強くなっていて、この両国では“アフリカ勢に対する差別”といった政治家たちの発言も出始めていた。

 そうしたレフェリー不信の拡大を抑えるのに、テレビの証拠映像はFIFAにとって、もってこいの材料だったといえる。

 25日のパリでの記者会見で、FIFAのレフェリー委員会のデビッド・ウィルは、「これまでの40試合のすべてのレフェリーに判定にミスがなかったとは言えないけれど、全般的には満足している。バハーマスト、バグネル両レフェリーは第2ラウンドの予備審判に指名された」と語った。

 今度の大会の大きな特色は、各会場に16台ずつのテレビカメラが配置されたこと。通常はメーンスタンド中央の最上階近くに4台、中段に2台、下段に4台と合計10台を置き、ゴール後ろに2台ずつ、どちらか一方のゴール後ろの最上部に1台、さらにバックスタンド中央の最上部に1台が設置されている。この配置によって“死角”はなくなり、これまでスタンドからでは見えにくかった反則行為でも、テレビが捕らえるようになっていた。

 特にGKやスローインの際にボールを受けるための位置取りで、プレーヤーが互いに、いかに“手を使う”かが映し出され、…6月21日付けのロンドンタイムズは、この“死角のない”テレビ画面に衝撃を受けたFA(イングランド協会)が次の年度から、腕や手を使う“見苦しい反則”防止に力を入れる…と報じていた。
「手を使わないフットボール」として1863年にスタートしたサッカーが135年後のいま、抱える、押す、引っ張る…と腕や手を使って妨害する“アンチ・サッカー”的反則が横行し始めている。

 こうした見苦しい行為が、今度の事件で少しは減少するのならいいのだが…、新聞を見ながら私はしばらく考え込むのだった。

 ふと時計を見ると10時、日本のキックオフまで、あと6時間だった。


(サッカーマガジン 1999年2/10号より)

↑ このページの先頭に戻る