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ジャマイカ、ウィットモアの意外性に奪われた2点目
どんどんシュートは打つが…
…逆転できますかネ。
「できるかでなく、逆転してもらわなくては…。しかし、ジャマイカのシモエス監督も、対日本の策を立てているようだ。守りが弱いという評判と違って最終ラインは安定している。穴の開く回数が思ったより少ないものネ」
0―1とリードされているハーフタイム、記者席の会話も晴れやかでない。
98年6月26日、リヨン市のジェルラン・スタジアムでのグループリーグ、H組の最終戦、日本対ジャマイカは後半に入るところだった。
ジャマイカのキックオフで始まった“最後の45分間”は、前半と同じように、日本の攻勢と、それを防いでカウンターに出るジャマイカのパンチの応酬となったが、前半の得点で自信を持ったらしく、ジャマイカのカウンターの回数が増えてきた。
47分にまず中田が長いシュートを打つ。自分が倒されたFKに、山口からのパスを受けてドリブルし、相手DFラインの前から右でシュートした。ボールは高々と上がってバーを越えたのは、中田にしては不思議だった。そういえば、前半には名波が得意の左足シュートを2本とも浮かしていた。
48分に中田が右オープンへ良いパスを送り、名良橋がゴール前へ送ったクロスは左CKとなったが、これを蹴った中田のキックはカーブしながらバーを越してしまう。
そしてまた、51分にも中田からのパスを受けた山口が正面右より20メートルからシュートしたが、これもバーを越える。
この間にジャマイカは左サイドでパスをつないで攻め込み、ボールがエリア内に持ち込む場面があった。彼が中へ送ったのを小村が防いだが、危険地帯へ入り込んでくるジャマイカ側にはスピードがあり、フィニッシュにも勢いが表れていた。
中田―中山の絶好機の後に
中山のシュートにスタンドの日本サポーターが立ち上がったのは54分だった。
相手の2トップの一人、ホールが左サイドからドリブルで入ろうとするのを、秋田が粘ってからみ、山口がボールを奪って名波へつないで、名波は右へ開いた中田に送ると、中田はドリブルしながら、自分の前方に大きく開いたスペースへボールを送り込む。それを中山が走り込みシュートした。オフサイドラインぎりぎりから、いったん後退してスペースを目指す中山と中田の意思がピタリと合ったチャンス。リーチの大きいロウの足も届かず、中山の右足で叩かれたシュートは、左ポストへのグラウンダーとなり、GKローレンスが体を伸ばしてはじいた。
残念だったのは、このリバウンドボールを日本側が拾えなかったこと。城は左サイドから中央に走り込んでいて、名波はまだ後方だった。
大きなチャンスを逃したあとに、ピンチがやってくる。ローレンスがクリアしたボールを受けたのはウィットモア。先取点を挙げた功労者は30メートル中央右よりから、するするとドリブルして右外側へボールを持ち出す。山口が迫って立ちはだかると、彼は斜め後方、中央部のドーズにバックパスをした。そのドーズが自分の前方、シンプソンにつないだとき、ウィットモアは右オープンスペースへ上がっていた。彼の動きはほとんど目立たなかったので、シンプソンからウィットモアに早い的確なパスが渡ったとき、日本はまったくノーマーク。スタンドのわたしたちも仰天したものだ。
広いスペースを走らせばジャマイカ人のものだ。彼は縦にドリブルし中へ持ち込み、縦に出ると見せて後ろへ切り返した。彼のスピードに追いつこうと全速でカバーに入った小村は、間合いの外での切り返しに対応できず、ウィットモアは左足のシュートを妨害されずに蹴った。2―0。
2分後、名良橋が左からのパスに合わせて走り込み、見事なシュートを放ったが、左ポストに当たってしまう。
そして1分後、今度は城がノーマークのチャンス。山口からのパスをインターセプトしようとロウがスライディングで足を伸ばしたが失敗、そのまま城にわたったのだが、城のシュートはゴール左ポストから遠く外れてしまった。
回転して動くボールに対して、自分のスイングを修正できなかったのかもしれない。
技術レベルの上がった現代のサッカーでも、相手のミスによるビッグチャンスは必ずと言っていいほど生まれるもの。これをつかむかどうかが勝敗を大きく左右するのだが…。
59分に岡田監督はDFの小村とFWの城に代えて、平野と呂比須を投入した。
平野はピッチに立つなり、FKを蹴ってCKを取る。この中田のCKの相手のクリアから、平野がオーバーヘッドキックでゴール前へ上げ、相手の頭に当たって落下したところに呂比須がいた。相手のマークを外し半身でボールを受けた彼は、右のアウトでDFをかわして右足でシュート。GKがはじいたところに中山がいた。トラッピングが大きくなってDFにクリアされてしまったが、この試合で初めてといっていい、相手エリア内でDFをかわしてのシュートと、それへのフォローだった。
調子の上がった日本への期待で記者席のボルテージも徐々に上がっていった。
(サッカーマガジン 1999年3/3号より)