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ホセ・ルイス・チラベルトFKも蹴る個性的GK
仲間をいたわるリーダーシップ
食堂車でイングリッシュ・テイーを買って、シートへ持ち帰る。
飲みながら“チラベルトは2002年にまた見ることができるのか”と思う。
6月29日、パリからリヨンを経てアビニョンに至るTGVの車中(前々号参照)…わたしは、前日の試合を掲載している新聞を広げながらテレビの画面を頭の中で巻き戻していた。
北フランス、ランスでのフランス―パラグアイ戦の延長Vゴール。113分にローラン・ブランのシュートが決まったとき、喜び合うフランス・イレブンや、スタンド貴賓席のジョスパン首相、かつてのスターで大会組織委員長のプティニの抱き合う姿をテレビは映し出していた。
しかし、やがて敗者へ向けられたカメラは、ゴール前のGKチラベルトが立ち上がり、ピッチに倒れ伏すチームメートをひとり、またひとりと声をかけ、抱き起こす…感動的なシーンを見せた。
パラグアイのブラジル人監督、カルペジアーニの「PK戦に持ち込めば、チラベルトのいるわが方にも十分にチャンスはある」という作戦は、アンチ・サッカー的であっても、このチームには大会規則に合わせた生き残りの戦略。それに全力を費やして敗れたチームにあって、最も失望の大きいはずのチラベルトが、仲間をいたわって歩く姿に、彼の人柄とリーダーとしての資質を改めて知ったものだ。
ホセ・ルイス・チラベルト(JoseLuisChilavert)は1965年の7月25日、パラグアイの中南部、首都アスンシオンから12キロ東へ離れた小さな町ルーケに生まれ、15歳で町のクラブ“スポルティボ・ルケーニョ”のGKでデビュー。ついでグアラニへ移り、その素材に注目した“大国”アルゼンチンのサンロレンソが彼を迎える。
アルゼンチンで注目されれば、ヨーロッパが手を伸ばす。1988年、23歳の彼はスペインのレアル・サラゴサへ。1年目にすでに最優秀外国人ゴールキーパーに選ばれるが、会長が代わったこのクラブには3年いただけでアルゼンチンに帰り、1992年からベレス・サルスフィエルドでプレーする。
ベレスでトヨタカップ優勝
そして94年にアルゼンチン・リーグで、FKを決めた最初のゴールキーパーとなる。対デポルディボ・エスパニョール戦、0―0のままタイムアップ直前に得たゴール前23メートルのFK。トロッタ主将が蹴ろうとしているとき、自陣ゴールから駆け寄ったチラベルトは自分にキックさせろと言う。その執ような要請にトロッタが折れると、チラベルトの左足シュートは、7人の壁を超えて、見事にゴール上部ネットに吸い込まれたという。
すでにPKキッカーとして認められていた彼に“FKのキッカー”が加わった。
「GKが試合中に相手ゴール近くへ出ていってFKを蹴るリスクは大きい。しかし、勝つためには危険を冒すこともある」とは、元ベレスのカルロス・ビアンチ監督だが、この監督の下で、チラベルトとベレスのイレブンは、リベルタドーレス杯を制して、1994年の南米クラブチャンピオンとなり、東京でのトヨタカップで、きらめくスター軍団のACミランを2―0で破って、クラブ世界一を手に入れる。
そのリベルタドーレス杯を制するまで、決勝の対サンパウロを含む3度のPK戦を制したのも、チラベルトの力。“ひとつやふたつは防ぐ”(ビアンチ監督)だけでなく、2番目のPKキッカーとして、すべてを決め“攻”の方でも貢献した。
試合の流れのなかのPKを含めてクラブで30得点以上、パラグアイ代表(35試合)で4 ゴールを挙げている彼だが、“自分がPKやFKを決めるのはチームのためになるからで、決して変わったことをしているのではない”…と言い、コロンビアのイギータやメキシコのカンポスといった“変わったGK”と比べられるのを好まないとか。
未来のパラグアイ大統領?
南米の中央部、ブラジルとアルゼンチンの両大国に隣接するパラグアイは、サッカー界では、アスンシオンに南米連盟の本部ビルを持ち、この国のレオン氏が長く連盟会長の重責を負っている。が、国の経済の貧しさ故に、トップ級のプレーヤーは国外に流れ、1部リーグでもセミプロ選手がいるという状態…ワールドカップでも86年メキシコ大会で1次リーグを突破したのが、最高の成績だった。
しかし、わたしには1979年のワールドユース(日本)のときに神戸会場で見せたパラグアイ代表のプレーは新鮮で、とくにロメロ(愛称ロメリート)のパスとカーブシュートは圧巻だった。南米のパリと言われるブエノスアイレスに住む人たちから聞かされていた“田舎”から現れた洗練されたプレーに驚いたものだが、その20年後、同じ土地からやってきた異色のゴールキーパーがフランス人に脅威を与えた末に、去ってゆくのを見ることになった。
かつてのパラグアイの新聞が“この男こそ次期大統領”と書き立てたことのあるチラベルト。その数々のエピソードを思い出しながら、わたしは、しばらく世界のサッカー人の個性について考えるとともに、次の大会にはどのようなゴールキーパーが現れるかを想像するのだった。
(サッカーマガジン 1999年5/26号より)