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クロアチアVSルーマニア前半ロスタイムのPK

やり残したPK



“ここ、ボルドーの試合も悪くないですネ”

「しっかりと守りの組織を作っている相手をどのようにして崩してゆくか…壮烈といった感じはしないが、それぞれが“持ち芸”を生かそうと工夫をこらすのがおもしろい。東欧同士の対戦は、ときに荒れることもあるのに比較的フェアだしネ」

“シュケルはPKのやり直しを落ち着いて決めました。あれはキックの前にクロアチアの誰かがペナルティー・アークへ入ったからでしょう”

「シュケルの利き足…左の型はきちんと決まっている。1回目も、やり直しのキックも右ポスト近くのほとんど同じところへ蹴った。2本目の方が少し強かったかもしれない。古い話になるが、1967年にブラジルからパルメイラスがやって来て、日本代表が3試合したうち第2戦を2―0で勝ったことがある」

“釜元が強いシュートで得点した、駒沢での試合ですネ”

「そのときの1点目が釜元への反則によるPKで、小城得達(おぎ・ありたつ)が蹴った。それも2本をね。1本目は主審の笛の前に蹴ったらしいが、小城は2本目も落ち着いて同じところへ右足のシュートを決めたのを覚えている」


 98年6月30日、ボルドー市のパルク・レスキュー競技場。ノックアウトシステムへ入っての1回戦、ルーマニア対クロアチアは、クロアチアが1点をリードして前半を終わっていた。そのゴールはPK。それも45分を過ぎてロスタイムに入ってから、47分の得点だったから、ルーマニアはショックだったろう。

 PKが生まれた経過は…中央右タッチライン寄りのクロアチアのFKからシミッチがドリブルして、ペナルティー・エリア手前のシュケルへパスをしたところから始まる。(1) 戻ってボールを受ける形となったシュケルだが、さり気なく足を開いてノータッチ。(2)エリア内に入るボールに、(3)アサノビッチが反転して追うのを、(4)マークしていたガブリエル・ポペスクがつかんで引き倒すと、ハビエル・A・カストリーリ主審(アルゼンチン)は笛を吹き、PKスポットを手で示した。

 シミッチのドリブルの間に、中央のシュケルの左前へアサノビッチが前進し、ついでブラオビッチがスピードを上げて右へ開いた。シュケルはボールを止めてキープするか、ダイレクトにどちらかへボールをさばくか…などというプレーの中から、ノータッチでボールをアサノビッチへの後方へ通すことを選び、その意表を突くチョイスによって、アサノビッチの反則が生まれたのだった。

 このチームきってのストライカーであるシュケルがPKを逃すハズはないが、キックする前に、クロアチアの選手がペナルティー・アークの中へ入っていたために、レフェリーはやり直しを指示した。やり直しのキックも同じコース。読まれることを計算してか、1本目(グラウンダーのコントロール・シュート)よりは強く、低いライナーだった。



ゲオルゲ・ハジへの期待



 このPKゴールが生まれるまでは、まずは互角の形。シュートはクロアチアが6本、ルーマニアが5本。CKはクロアチアが5、ルーマニア2。初めしばらくは、むしろルーマニアが少し優勢に見えた。

 そのルーマニアでの私のお目当てはゲオルゲ・ハジ。相手の危険地帯へボールを送り込んでくる読みとテクニックは、4年前の米国大会で実証済みだ。

 1965年2月5日生まれのハジは、黒海に面したコンスタンツァでプレーを始め、15歳でルーマニア・ユース代表に入り、17歳でトップ・リーグ。18歳でフル代表…といわばサッカーの“神童”だった。

 86年にスポルタル・ストデンテスクで1シーズン31得点を挙げた彼を引き抜いたのが、ステアウア・ブカレスト。当時の権力者チャウシェスクにバックアップされていた名門クラブだったが、イタリア・ワールドカップで評価を高めた彼を西欧ビッグクラブが誘う。

 まずレアル・マドリード(スペイン)、次いでイタリア・セリエAのブレシア、そしてFCバルセロナ(スペイン)と6年間に3つのクラブと一ヵ所に落ち着かなかった。その理由の一つとして、現代のアスレチック・サッカーを第一とするビッグクラブと、自由人でイマジネーションを大切にするハジとの折り合いが難しかったと言える。

 96年からトルコのガラタサライに移っているが、この年の欧州選手権で、あまり調子の良くない彼を見た私は今度のワールドカップで、もう一度ハジらしいプレーを見たいと期待していたのだった。


“後半はどうでしょう”

「ルーマニアの攻撃を防げれば、次のステップへ上がってゆくクロアチアには大きな自信になる。すでに彼らはカウンターに一つの形を持ち始めているからね。前半にあった、ボバンのロングパスをシュケルがダイレクトで中へボレーで落とし、アサノビッチがシュートした…あの、アサノビッチの飛び出しと、シュケルのコンビができているようだから…。そうしたクロアチアをハジとルーマニアのイレブンの意欲が崩せるかどうかだろうね」

 暑さの中の選手の苦労をよそに、第三者は次の45分への楽しみにワクワクするのだった。


(サッカーマガジン 1999年7/21号より)

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