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日本語看板の目立つ歴史と温泉の町、エクスレバン
「カジノ」「市庁舎」
「国立温泉治療施設」、「市庁舎…観光局」、「カジノ」。
日本語の看板が街角に立っていた。
その「市庁舎」、フランス語で言うオテル・ド・ヴィユ(Hotel de Ville)の古びた建物内のフリップ・ヴェリナス官房長の執務室の壁には、紺の半纏とサイン入りのJFA(日本協会)のペナントが掛かっていた。半纏の袖には代表チームのユニホームと同じ炎の型どりがあり、右胸に日の丸、左に日本協会のマークが縫い付けられ、襟には「蹴球日本代表」と、当用漢字にないために追放されたはずの懐かしい言葉があった。
98年7月2日、午後4時半、私はマルセイユから車で400キロのエクスレバンにいた。
ヴェリナスさんへの私のあいさつ。
「日本サッカーチームが長い間、この町に滞在し多くの便宜を与えられたこと、そして私と同じ職業の若いジャーナリストたちが取材に押しかけて、これまたずいぶん世話になったことのお礼を申し上げたい」
「私自身は記者クラブの代表でもないフリーランスの一記者で、きょう参上したのはまったくのプライベート。いわば、日本の古い習慣にそった年長者のすべきこととしての訪問なのです」
通訳してくれるO氏のフランス語は折り紙付きだから、よく理解してくれたと見え、市長へのプレゼントと官房長への「力士絵のぐい飲み」を快く受け取ってくれた。
サポーターに感銘の官房長
私の問いにヴェリナスさんがフランクに答える。
「フランス大会の組織委員会がキャンプ候補地を募集し、リストを作って各国へ送ったなかから、日本がここに興味を持ち、12月に視察に来られました。グルノーブルや、もっとスイスに近いところなども調査したようですが、結局私たちの町になったのです。日本語の標識看板は、5月の末からつけるようにしました。市としては、チームの練習に使う競技場の改修を含めて60万フラン(約1500万円)がかかりましたが、フランス地方議会、FIFAからの補助もありました」
「日本のサポーターが、あれほど来るとは予想していなかったが、感心したのは競技場での観戦マナーの良かったこと。スタンドのゴミを集めてから帰ったのには、感銘を受けました」
「AIX-LES-BAINS(エクスレバン)のAIXは水、BAINSは温泉。名前の通りリュウマチに効く温泉で、鉱泉治療法で多くの人が来ます。カルティエの時計工場もありますが、カジノや競技場、18ホールのゴルフ場などがあって、療養地、避暑地の楽しみを備えています。いま、フランスと日本は友好を深めようと互いに日本イヤー、フランスイヤーを一年おきにもっています。昨年はフランスでの日本イヤーで、パークホテルでも日本イベントを行なったのです」
「日本代表の試合は、私の目には素晴らしいものでした。アルゼンチン、クロアチアとのゲームは輝かしい成果であった。ジャマイカ戦は残念でしたが…。チームが滞在していた間は多忙でしたが充実した日々でした。パークホテルからチームが去ってゆくとき、とても寂しい思いをしました」
市庁舎を辞して街をぶらつく。選手たちが泊まったパークホテルの壁には「歓迎日本代表サッカーチーム」と白地に赤の字で書かれた垂れ幕がまだ下がっていた。
サヴォア公国とトリノとサッカー
「この町と日本サッカーとの縁を大事にしたいものですね」
「そう、官房長はこの町は昔サヴォア公国領と言ってましたね」
「そうです。だから、ここはいまでもサヴォア県です」
帰りの車の中でひとしきり、サヴォア公国について語り合う。
11世紀にはイタリアのピエモンテ地方に進出したサヴォア家は、山の向こうではサヴィア家と呼ばれ、やがてサルディニア島をも領有してサルディニア王国となり、1861年イタリアの統一王国となってゆく。
「イタリアのトリノまで200キロくらいじゃないかな。フレージュ・トンネルを通ってね」
ピエモンテの中心のトリノはまたミラノと並ぶイタリア・サッカーの大勢力。私は1980 年のヨーロッパ選手権のときにトリノを訪れ、トリノFCの飛行機事故があったスペルガの丘に登った。その遭難機が衝突したバシリカ(大教会堂)はサルディニア王家(サヴォア王家)の霊廊でもあったのだ。
日本チームの去ったあとのエクスレバンを訪ねる私は、目に見えぬバシリカとサヴォア家とサッカーの縁に引っ張られたのかもしれない。
山間地方の天気は変わりやすく、突如として豪雨がボディーをたたく。練達のドライバーであるTさんは言う。
「これでマルセイユへ帰れば、雨はまったくありませんよ」
まこと、フランスは歴史も多彩、気候、風土もまた多様。ただし、その異なる環境のなかで、エクスレバンをはじめ多くの小都市が各国代表のキャンプ地となるスポーツ環境を維持する見事さ。
前日、ボルドー近くの町々で見た、それぞれのグラウンドと合わせて、この日の800キロのドライブもまた、スポーツ豊穣の国と、わが身とを比べることになった。
(サッカーマガジン 1999年9/8号より)