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デンマーク・サッカーを世界に知らしめたラウドルップ兄弟

 U−22日本代表がいよいよオリンピック最終予選へ…1次予選と違って抵抗力のあるチームを相手に戦います。日本のサッカー史上、最良の環境に恵まれて、順調に育ってきた優れた素材にとっては、予選突破やシドニーのメダルは、より高い目標への一里塚だが、何が起こるかわからないのがサッカー。今度の予選でもひとつひとつの試合に全力をあげ、乗り越えるごとに自分たちへのプラスを増やしてほしいものです。

 さて、98年フランス・ワールドカップの旅は、前回に続いて準々決勝のブラジル対デンマーク(ナント)。九州より少し大きい国土に520万人が住むデンマークの代表が、日本の22倍の国土と1億6000万人の人口を持つブラジルの代表と果敢に攻め合う好ゲーム。ブラジル2−1のリードのあとの後半です。

 テレビの画面は後半開始前の両チームの選手たちの表情を映したあと、キックオフのポイントに立つ赤ユニホームの2人をアップにした。

 10番のミカエル、11番のブライアンのラウドルップ兄弟。ワールドカップの舞台で、34歳と29歳の彼らがともにプレーするのは今度が最初だが、同時に最後になるだろうと思う。



ラウドルップのターンと突進



 ブライアンが左足でタッチし、それをミカエルが後方へパス。ヘルベグが一気にロングボールをトップのモラーへ送って、いよいよスタート。1−2とリードされているデンマークは全体に前がかりになる。48分にトフティングのミドルシュートがまず1発。ボールはバーを高く越えたが、トフティングは広いスペースでノーマークだったから、ブラジルのベンチは一瞬ヒヤリとしただろう。

 それはブライアンのドリブルがきっかけ。中央25メートルでボールを受けた彼は、寄せてくるアウダイールを左へ行くと見せて右へかわし、エリア右角までドリブル。追走するアウダイールとカバーに来るドゥンガの間を通して、内に入ったヨルゲンセンにパスを出し、エリア内で少しキープしたヨルゲンセンがバックパスをしてトフティングにシュートさせたもの。ブライアンを追ったアウダイールがドゥンガと接触して(パスが出たあと)両者が倒れたのを見ても、ブライアンの最初のターンとその後のドリブルの効果(彼はこの2人のほかにロベルト・カルロスの注意も引きつけていた)が知れる。

 その2分後、デンマークはブライアンのシュートで同点ゴールを生む。

 ゴール正面25メートルでボールを受けたヨルゲンセンのドリブルをブラジルの2人が囲んで取ろうとして、互いの足にぶつかったボールが高く上がってエリア内2メートルへ。正面やや右へ落下するのをロベルト・カルロスがオーバーヘッド・キックでクリアしようとして空振り、右へ回っていたブライアンの前へ落ちる。バウンドするボールを軽く止めて、小さなバウンドに合わせてニアポスト側にズバリと決めた。

 ブライアンは55分には左サイドでドゥンガを縦に抜いて、ゴールラインぎりぎりから左足でクロスを上げた。右のヨルゲンセンの詰め方が早すぎなければ決定的なチャンスになったかもしれない。



リバウドの強烈ミドル



 しかしリードを奪ったのは、やはりブラジル。同点ゴールから10分後にリバウドの強烈なミドルシュートが右ポストぎりぎりに飛び込む。

 中盤のパス交換から、ハーフウェー・ライン手前でボールを受けたドゥンガが10メートル前のリバウドに渡す。センターサークルの外側4メートルで受けたリバウドはターンしてドリブル、得意の左足の鋭いスイングで蹴った。GKシュマイケルのポジションは良かったが、ボールの速さとポスト際のグラウンダーは彼にもセーブ不可能だった。DFで彼に一番近いのはリーパーだったが、すぐ近くのロナウドを警戒してリバウドへの接近が遅れてしまった。

 3−2。優勝候補、大国ブラジルのリードの後も緊張感は薄れなかった。78分にはリーパーがブラジルのゴール正面でシュートした。3番をつけたDFだが、上背を生かそうと、FWラインへ進出していたのだ。

 191センチのリーパーのヘディングは、あと2分というときにバーをたたいた。相手DFよりも、一際高いところでボールをとらえながら、頭を振るのが少し早かったため、バーの上方に当たったのだった。

 3分のロスタイムが過ぎ、ブラジルの準決勝進出が決まった。ラウドルップ兄弟は静かに抱き合った。

 イングランドとの交流が深く、北欧人の体の強さを基調とする「力」のサッカーが主流のなか、かつてのデンマーク代表だった父親、フィン・ラウドルップに育てられた兄弟は、若いときからテクニシャンでドリブラー。兄はバルセロナ(スペイン)でクライフに出会って、プレーメークの才能を伸ばした。

 弟ブライアンは兄と同様の粘っこい足腰を基盤に、スキーのスラロームを思わせる高速ターンを身に付け、92年欧州選手権優勝の先兵となった。

 兄弟は、そのキャリアの上にワールドカップのベスト8を付け加え、デンマーク・サッカーを世界に認めさせるとともに、ボールを持てる選手のいることが、劣勢のチームをどれだけ優位に立たせるかを示した。


(サッカーマガジン 1999年10/27号より)

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