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オレンジとセレステ ブラジルへの挑戦権を賭けるマルセイユでの戦い

メロディーに浮かぶ対決



「オランダの王、わが国のため、まこと、尽くさん」

 ゆったりと、そして荘重なオランダの国歌をスタンドのオレンジ・サポーターの大群が歌っていた。

 ウイルヘルムス ヴァン ナッソウェ(WILHELMU VANNASSOUWE)と呼ばれるこの国歌は、スペインの支配からの自由を得る戦いで、オランダ人を励ましたオレンジ公ウイリアム(ウイルヘルム)の言葉が歌詞になっている。

 そのウイリアム公の支持者たちがオレンジ色の飾り帯をつけたことが、オランダ代表チームのオレンジ色のユニホームの由来。ついでながら、ナッソウェというのは、ウイリアム家がナッサウの出身であることを表している。

 1974年のワールドカップで初めてこの国歌と、ヨハン・クライフのオレンジ軍団に接して以来、試合前にこのメロディーを聞くたびに、英語のネザーランド、ドイツ語のニーダーラントと呼ばれる低地に住みながら海に向かって国土を広げていった人たちの雄大な構想と知恵と努力、そしてその斬新な発想がサッカーにも表れてくるおもしろさを思わずにはいられない。

 98年7月4日、午後4時25分、マルセイユのベロドロームにわたしはいた。この日、11時6分パリのリヨン駅発、午後3時27分マルセイユ、サン・シャルル駅着のTGVで戻ってきた。その列車にはセレステ(空色)の縦縞を着たアルゼンチンのサポーターがいっぱい。

 降りる直前に話しかけてきた、ローカル・ラジオ局のオーナー夫妻もいま、やはり歌っているのだろうか。

 オランダに続いてのアルゼンチンの国歌も、わたしにはやはり74年、西ドイツ大会のシュツットガルトが最初。独立戦争のときの作だけに、リベルタード(自由)を歌い上げる。このメロディーにはまた、78年大会の象徴ともいえるスタンドの紙吹雪と「ヴァモ、ヴァモ、アルヘンティーナ」の歌声をも、呼び起こしてくれるのだ。

 両国の大会での対戦も74年から。西ドイツではクライフのチームが圧勝、4年後はケンペスのアルゼンチンがクライフ抜きのオランダとの決戦を延長の末に勝ち取った。以来、互いに顔を合わせることなく、久しぶりの対決となるが、この3度目は、勝てば準決勝でブラジルへの挑戦権を持つことになる。



闘犬ダビッツとオルテガ



 両チームのラインアップは、オランダがスタムとフランク・デブールのセンターバックと、右にライジガー、左にニューマン。中盤はロナルト・デブール、ヨンク、ダビッツ、コク。2トップはクライファートとベルカンプ。

 グループリーグの第1戦で退場処分を受けたクライファートの4試合ぶりの戦列復帰、それにノックアウトシステム1回戦の対ユーゴスラビアでロングボールを追走して先制したベルカンプ、ミドルシュートで決勝ゴールを決めたダビッツがわたしの期待。俊足のオフェルマルスも好きだが、2トップにするなら、クライファートと組むほうが、ベルカンプの突破力が生きるはずだ。

 マークする相手に食いつくすごさから「闘犬」とまで言われるダビッツは、96年の欧州選手権のときに監督を批判して代表から外されたほどの理屈屋。

 5年前、まだ彼がティーンエージャーであったころのインタビューで、「わたしはライカールトを尊敬しているが、第2のライカールトになろうとは思わない。エドガー・ダビッツは、ダビッツであってライカールトではない」と 滔々と語られたことがあって、自己主張の強いオランダのなかでも、ひときわ興味を持って眺めていたのだが、ここのところの彼の働きぶりは、まことに素晴らしい。

 アルゼンチンの守りはアジャラとアルメイダを中に、右にセンシーニ、左にチャモ。中盤はサネッティ、ベロン、シメオネ、10番のオルテガがプレーメーカーでバティとC・ロペスの2トップとともに攻撃を作り、締めくくる。

 アルゼンチンと言えば堅い守備が基調だが、イングランド戦でオーウェンにずたずたにされた中央部は堅守とは言えないだけに、オルテガがどれだけチャンスを生み出すかが、ポイントになるだろう。

 メキシコのカーター主審の笛が鳴り、アルゼンチンのキックオフで始まると、オランダが「バンバン」という感じで前からプレスを掛けに行く。

 それに対してアルゼンチンは、ベロンがロングパスを送ってC・ロペスを走らせる。このボールを追ってのライジガーとの激しい競り合いは、記者席からはライジガーの反則に見えたが、主審はC・ロペスのファウルを取る。

 どうやら相手の腕を挟み込んでいたらしい。それでも、相手のプレッシングからくる圧迫をさけるベロンの狙いは、相手のペナルティー・エリアまで押し込んだ(相手のFKでも)ことで、一応果たしたことになる。

 その直後にオルテガが倒される。3人で囲み、トリッピングしたのがベルカンプだった。

 4分にオランダが決定的なチャンス。ヨンクのノーマーク・シュートが右ポストに当たった。相手DFのミスパスをクライファートが奪ったのが発端だが、早いうちから前がかりでプレスを掛ける戦略が、テクニシャンぞろいの相手のミスを誘発した。

 欧州と南米のトップ級の対決は、オレンジ優勢で進み始めた。


(サッカーマガジン 1999年11/3号より)

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