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決勝-PK戦のドラマ

 パサディナでのファイナルの翌日、7月18日のロサンゼルスは急に涼しくなった。

 これくらいの気温なら、バレージもあれほど消耗しなくてすんだろうし、PK戦でのミスキックもなかったかもしれない──と私は前日の暑さと、PK戦の明暗を思った。

 ブラジルの優勝はほぼ予想通りだったが、0-0、更に延長も戦った後のPKでやっと決着が着く──とは考えていなかった。

 イタリアがよく守ったということでもあろうし、ブラジルが慎重だったということでもあったろう。太陽が頭上にある12時30分のキックオフという、非常識な真昼のファイナル。しかも24年振りの優勝がかかっている。いや、24年ぶりに必ず勝って帰らなければならないとなれば、いくら攻撃の好きなブラジル人でも第2列、第3列のプレーヤーが果敢に相手守備網を切り崩しに飛び出していく、といったことはしなくなる。いや監督がさせなくなるのだな、と見ていた。そういった多少の不満が残るファイナルではあったが、それだからこそ、延長後のPK戦というドラマを見せてもらうことになった。

 私が旧制中学の選手だった頃、ゴールキーパーの練習でいつも蹴っていたせいか、PK(試合中の)には自信があって、私よりいいシューターがいても、PKのときはキッカーを買って出て、相手GKを反対側へ飛ばせたり、泳がせたりして喜んでいた。このため、この種のプレースキックにはひとかどの理屈を持っているのだが、プロフェッショナルの、しかも世界の一流プレーヤーのPK失敗をこうも沢山見ると、「極度の疲れの後のPK戦」の怖さや「PK戦はサッカーでなく賭けだ」という監督達の言葉を肯定せざるを得ない。


ソクラテスとプラティニ

 PK戦はイタリアの先蹴りとなって、1番手がバレージだった。バレージは大会中に膝を手術し、決勝の前日まで出場するかどうか決まっていなかったほど。実際の試合では休養十分のせいか、ポジションも読みも、全てパーフェクトに近い守りだった。延長前半には足に痙攣を起こしたが、手当ての後はすごいジャンプヘッドでCKを防いでいた。サッキ監督がバレージをトップキッカーに持ってきたのは、その信頼の表れだったろう。

 ところが彼のサイドキックはゴールのバーを越えてしまうのだから…。しばらく地面に伏せたままの彼を、ブラジルGKタファレルが慰める姿が印象的だった。

 トップに蹴ったエースの失敗に、私は86年メキシコW杯準決勝のフランス対ブラジル戦、1-1から延長戦後のPK戦で先攻となったブラジルのトップキッカー、ソクラテスのPKがセーブされたのを思い出した。ソクラテスは代表でもクラブでもPKのキッカーで、助走なしの右足スイングは、ほとんど百発百中だったのに…。このときは疲れ果てて、いつもの感覚が戻らなかったのだろうか。

 相手の緊張は移るものなのか、ブラジルの1番手、マルシオ・サントスのキックは弱く、イタリアGKパリュウカに防がれる。2番手のアルベルティーニが決めて落ち着くと、ブラジルもロマーリオが追い付いて1-1。次いでエバニとブランコ──ともに左利きが正確に決めて2-2。イタリアの4人目はストライカーのマッサーロだったが、ボールに寄るときの角度が浅い。右足のインサイドで右へ蹴るのだったら、もう少し角度を深くしないと難しいぞと見ていたら、キックは弱く、GKに防がれてしまった。

 ブラジルはキャプテンのドゥンガが決めて3-2とリードする。そして登場したのはR・バッジョ。イタリアのエースストライカーが、得意の右足でポンと蹴ると、なんとボールはバーの上へ。準決勝で大腿を痛め、回復しないまま彼はプレーしていた。延長後半にペナルティーエリア内で決定的なチャンスを掴みながら、シュートは弱くGKの正面を突く。おそらく足の感覚が狂っていたのかもしれない。このため「消耗しているから、少し力を入れて蹴ろうと思った」(試合後の話)のが、PK戦では裏目に出て、インフロントはボールの底へ入ってしまった。

 前述した86年のPK戦で、フランスのプラティニが、R・バッジョと同じような失敗をしたときも、燃え尽きたという感じだった。

 5人のうちイタリアは3人が失敗。ブラジルは4人のうち3人が成功していたから3-2。5人目ベベットのキックを待たずにトロフィーを手にすることになった。


目前に浮かぶ82年W杯

 W杯にPK戦が持ち込まれたのは82年スペイン大会から。元々は68年のヨーロッパ選手権準決勝が延長戦でも同点だったとき、コイン・トスで決勝進出チームを決めたことに対して一般ファンからの苦情が多く、そのためUEFA(ヨーロッパ・サッカー連合)が、76年からPK戦を採用したのだった。

 82年スペインW杯の準決勝、フランス対西ドイツは3-3のシーソー・ゲームで、それだけでも感動的だったのに、初のPK戦によって歴史に残る勝負となった。フランスはジレス、アモロ、西ドイツはカルツ、ブライトナーとそれぞれ2人ずつ決めた後、3人目のロシュトーが3-2とする。対する西ドイツは、リベロを務めたシュティーリケのキックがGKに防がれてしまう。地面に伏して泣く彼を、味方GKシューマッハが慰めた後、彼はフランスのストライカー、シスのシュートをストップした。リードを失って気落ちするフランスを後目に、リトバルスキーが決めて西ドイツは3-3のタイに持ち込む。フランスの5人目はプラティニ。サイドネットへ確実に叩き込むと、相手もルムメンニゲが同じようにサイドネットへ決めて4-4。5人が蹴った後で、いよいよここからサドンデス。フランスはDFのボッシが登場したが、シュートはシューマッハに防がれてしまう。ドイツはストライカーのルーベッシュ。ヘディングも足でのシュートも強い彼は、この決定的瞬間をきちんとモノにした。


シュートの軌跡を分析

 以来、私はW杯で11回のPK戦による決着を見ることができた。

 ボールを自在に扱い、長短・強弱のパスを見事に使い分ける名手達が、11メートルの距離から幅7メートル32、高さ2メートル44のゴールへシュートする。普通なら極めてイージーなプレーが、肉体的な疲労の後に精神的な重圧も加わって困難なモノにして行く。そのキッカーの心理と、踏み足、姿勢、スイングを読み取るゴールキーパー。互いの駆け引きは、W杯という大きな舞台の中での、格別にスリリングなショーと言えた。

 90年イタリアW杯ではアルゼンチンが準々決勝でユーゴを、準決勝ではイタリアをと、2試合続けてPK戦勝ちで決勝へと進んだ。ユーゴ戦では、あのマラドーナが失敗するという信じがたい「事件」もあった。

 のべ100人を越えるキッカーのシュートの軌跡を見ると、GKが先に動かず(飛ばず)、中央に立っていれば、手の届く範囲にきて防げたであろうと思われるのが5本のうち1本はある。それだけゴールの隅へ蹴るということが、プレッシャーのかかっているときには難しいのだろう(外すことが恐ろしい)。と同時に、統計上、手足の届く範囲にボールが来る可能性があると思っても、ヤマをかけて先に飛んでしまいたくなる何かが、ゴールキーパー側にあるのだろう。いずれにしても、隅へ蹴る勇気、動かない勇気というのも、また難しいことかもしれない。

 こうしたスリルに富んだPK戦も、W杯では、あるいはこれが最後になるのかもしれない。FIFA(国際サッカー連盟)は、どうやら廃しに向かっているらしい。となれば、今度の大会はPK戦で優勝の決まった最初で最後の大会ということになる。

 12年間、大舞台でPK戦のドラマを演じてくれたチームと選手に敬意を表しておこう。

 ドイツ3回(3勝)、アルゼンチン2回(2勝)、ブラジル2回(1勝1敗)、フランス2回(1勝1敗)、イタリア2回(2敗)、メキシコ2回(2敗)、ルーマニア2回(2敗)、スウェーデン、ベルギー、アイルランド、ブルガリア各1回(各1勝)、スペイン、ユーゴ、イングランド各1回(各1敗)。

(サッカーダイジェスト 1994年8/17号より)

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