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スウェーデンの健闘で大会は一気に盛り上がる




開幕ゲーム引き分けて元気づく

 周囲の席の人たちの新聞に見入る顔が晴れやかだった。その新聞は一面で、スウェーデンがフランスと1−1で引き分けたことを伝え、得点シーンの写真を大きく飾っていた。

 1992年6月11日、昼すぎ、ストックホルム空港を11時55分に離陸したSK113便は南のマルメを目ざしていた。「これでEURO'92、ヨーロッパ・サッカー選手権は、ずいぶん盛り上がるだろう。地元のチームが、第1戦で、強敵と引き分けたのだから…」。わたしは例によって、ノートを出して、メモの整理をし、試合のもようを思い出す。

 6月10日の開幕日、ラスンダ・スタジアム一帯は前日までと一変した。金網の柵が、周囲の交通を規制し、キックオフの3時間前から戦闘服の警官が目立った。市の西北部の住宅地、ソルナにあるスタジアムへの市民の足となるTバーン(地下鉄)の車輌にも、警官が乗っていた。

 そんな、モノモノしい警戒体制とは別に、記念グッズや、ホットドッグや飲み物を売るテントが並んで、祭りの縁日のようでもあった。

 記者席への出入りも規制され。300b離れたプレスセンターへいったん入ってから、学校のグラウンドを横切り、特別の通路から入るのだった。

 大会に集まった記者は48か国、1147人。カメラマンは29か国、374人。テレビはコメンテーターや技術者など38か国、745人(テレビ放映する国は130カ国をこえる)。

 わたしの記者席は、2ブロックの8の25。つまり、メーンスタンドの中央から左よりの、一番下から数えて8列目。記者席のなかでは一番低い位置で、前は通路。机はない。

 こんどの大会はスモール・イズ・ビューティフル(小さいことはよいことだ)がモットーで、スタジアムの拡張などもなく、できるだけ金をかけず、質素にゆこう…という方針らしく、記者席で仮設電話の申し込みをしないものにはイスだけで机は与えられない。

 したがって、わたしは、ヒザの上にノートを広げてゲームを追い、記録をつけることになる。1980年のイタリア大会以来、ヨーロッパ選手権で「机なし」は予想してきたから、ノートは大判でなくA5にしているのだが、久しぶりの机なしは、メモの字が汚くて、あとで読みにくい。


久しぶりのトリコロール

 そんなハンデはあってもノートは、久しぶりにフランスのトリコロール軍団や、スウェーデンの黄色のユニホームを見る喜びにあふれていた。そう、試合そのものも、ビッグな大会の開幕試合にありがちな“守備的”なものではなく、スリルに富んでいた。

 フランス代表は、ほとんどが、わたしには新しい顔。DFの軸で、、前への攻めあがりも強いブランが、開始早々から目立つ。そのブランをリベロに、黒人のボリとカゾーニがGB。相手のブロリンとK・アンデルソンをマークする。両翼に展開するアングロマとアモロと、カントナ、ソゼー、デシャンらのMFは、84年黄金期の中盤4銃士と比べられるのは気の毒だが、わたしにはテクニシャンで有名なカントナを見るのがうれしい。2トップというより、左サイド専門のようなタヒチ出身のバイリュアと、中央のパパン。

 パパンはプラティニ時代に一度見ただけだったが、今フランスのトップ・スターとなり、来季はACミランへ移るという話題の主だ。

 はじめのうち、そのフランスの方がボールのつなぎもよく、洗練度では少し上にみえる。



スウェーデン、大型選手の技術アップ

 しばらくするとスウェーデンでは左サイドへあがってくるリンパルがスタンドの注意をひく。イングランドの名門アーセナルで働く彼は小柄で、ドリブルもパスもうまいが、とくに右足でける「ロブ」には自信があるらしく、左へ出て、切り返し、右へけるクロスや、FKはコントロールされている。

 スウェーデンのプレーヤーでは、190aのインゲソンの大きなドリブルがいい。

 このチームはベテランのエリクソンを要にパトリック・アンデルソンと、ビヨルクルンドとニルソンの4FB。インゲソンを含む、テルン、シュバルツ、リンパルのMFは、それぞれの特徴があり、シュバルツの広い動き、テルンの相手のパスのコースを押さえるうまさ、そしてリンパル。彼らの粘りが、少しずつフランスの技巧を封じはじめる。2トップをつくるはずのプロリンは、下りの目で、MFでの攻守にからみ、その動きの早さで相手を悩ませる。ケネト・アンデルソン(193a)は高さだけでも脅威だが……。

 1974年のW杯のスウェーデンには長身のエドストレームと俊足のサンドベリというFWがいて、二次リーグにまで進んだが、こんどのインゲソンたちの長身プレーヤーは、18
 年前の大型プレーヤーよりもさらにフットワークやボールタッチがよくなっている。



リベロ、エリクソンの先制ヘッド

 24分に、スウェーデンが先制ゴールを生む。左CKのリンパルのキックが、ゴールエリアへとび、後方からスタートしたリベロのエリクソンがヘディングで、ゴール左に叩き込んだ。

 リンパルは右でけるロブに自信を持ち、それまでも、狙った高さのボールをゴール前へ送っていたから、当然、この左のFKは“危険”になると予想されたのに、フランスのDFは走りこんでくるエリクソンに対するマークがまったくなかった。

 エリクソンのスタートがペナルティーエリアの外からだったのと、スウェーデンの190a2人に気を取られたことが、ゴール正面をあけた理由だろうが、もともとフランス代表チームは、スタンドからみていて「ヤバイ」と思うときにも、ディフェンダー全体に、それを感じているかどうか、といった場面を見ることがある。危険を予知して瞬間に対応するという点では、ことしのフランスも、また、どこか欠けているのか…などと思う。

 それにしても、エリクソンのヘディングの見事さ、そのエリクソンの飛びこんでくる“場所”に合わせて、正確な強さと高さのボールをけったリンパル、なるほど、こういうところが、“天下”のアーセナルに買われているのか…と想像する。



 “ビューティフル”パパンのゴール

 前線で孤立するパパンを助けるために、プラティニ監督は、どういう手を打つかな、と見ていると、後半にクリスチャン・ペレズが起用される。彼のドリブルは、タテへの突進もいいが、ターンによって“間”をかせぎ、攻めの組み立てに役立つ。

 そのペレズのパスから、フランスにとっての願ってもない同点ゴールが生まれる。

 スウェーデンが左サイドのリンパルから右へ大きく振り、インゲソンが右を突破しようとしたのを、アモロが、あざやかなタックルでボールを奪い前方へ送った。ペレズがキープしスウェーデンDFと向かいあった時、パパンの右前方に大きなスペースが広がっていた。

 パパンが、ちょっと立ちどまるようにしたあと、右へ動いたとき、ペレズはパスを右斜め前方、相手DFラインの背後へ送っていた。ペナルティーエリアぎりぎりにおちたボールをパパンは頭で前へ突き出し、二つ目の小さなバウンドを右足で押えこむようにしてシュート。ボールは左スミへ、低くとびこんだ。

 ボールを奪って、ペレズがキープして、パパンがシュートするまで、パスは2本。その前にパパンは2度オフサイドになったが、このときは、文句のないスタートと、それに続く一連のシュートに入る見事な動作で起死回生のゴールを決めた。

 この試合の前半に、後ろからのボールを相手のDFと併走しながら小さな振りで右足のシュート(左へ外れた)を見て、パパンの成長ぶりと、欧州での評価の一端をのぞいたわたしだが、彼の本領発揮の場面を、第一線で実際に見られたのは、まことに幸いだった。

 それにしても、試合中に訪れた、ただ一度のチャンスをものにするパパンは、さすがに人気絶頂のストライカーだが、同時に、そのパパンを持ちながら、チャンスを一度しかつくれないフランスにも不満は残ったのだった。



 1958年W杯の栄光再現へ



 試合後のインタビューで、プラティニ監督は初戦を落とさずにすんだことを素直に喜び、スウェーデンのスベンソン監督も、ともかく引き分け勝ち点1をあげたことに満足そうだった。
 

 イングランド、フランスあるいはドイツ、オランダ、ソ連といった“大国”にくらべ、人口そのものも、サッカーの実績でも劣るスウェーデンでの大会。

 1958年のワールドカップを開催し、決勝へ進出した歴史を誇りに思っても、ここしばらくのプロフェショナル・サッカーの技術向上には、しばらく追いつけなかったから、この国の人たちは代表イレブンに期待しながらも、どこか“大国に対する“ひけ目”を感じていたに違いない。

 それが、フランスとの互角の試合で「これならいける」という気が強まってきた。

 イキイキとした11日付のスウェーデンの新聞を眺めると、言葉は正確にはわからなくても、紙面づくりを経験したものには、編集の人たちの喜び、そしてその背後にあるファンの国民のうれしさが、そのまま伝わってくるようだった。
「マルメに向かって高度をさげます」機内のアナウンスが、私に新しい土地への接近を知らせてくれる。

 今夜もまた北欧のデンマークと、サッカーの母国イングランドの対戦が見られる…。欧州の新しい息吹きに、心はひとりでに浮き立ってくるのだった。

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