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ウレッビは世界に開くスポーツセンター

クリンスマンとリードレ


ワーッという声があがった。テレビの画面は前半29分のドイツのゴールを映していた。ペナルティー・エリア内でパスをうけ、スコットランドのDFゴフを背にしてクリンスマンがキープ。そのボールを斜め後方から走りこんだリードレがかっさらうように右足でシュートした。GKゴーラムには、おそらくゴフの体で、リードレのけった瞬間は見えなかったのだろう。1−0、ドイツがリードした。

6月15日、イエーテボリ市のウレッビ・スタジアム隣のプレスセンター。欧州選手権第2組、スコットランド―ドイツ戦が、ここから320km東のノルチェーピンで行われ、その模様を私はプレスセンターのワーキングルームのテレビで見ていた。

前日、マルメでフランス―イングランド戦を見たあと、この日、午前10時25分発の列車でイエーテボリに午後2時すぎにつき、中央駅のすぐ前にあるスカンディック・ホテルでチェックインした。大会役員やスポンサーたちの泊っているこのホテルから、スタジアムは歩いて10分以内。

初めての会場だから時間に余裕みて、17時15分キックオフの試合のテレビ放送もプレスセンターで見ることにしたのだった。



意欲的なスコットランド


ドイツのリードレは第1戦の対CIS(12日、ノルチェーピン)でナマを見て印象に残ったストライカー。上背にくらべてヘディングが強く、ゴール前のスペースへはいりこんでくるタイミングとてもいい。このゴールもクリンスマンが、相手を背にして持ちこたえているところへ、まったく"突然に"という感じで現れたところが面白い。

今度の大会でスコットランドは、アウトサイダーと見る人もあったが、なかなかどうして、第1戦のオランダ戦でも守りは堅く、攻めに出るときも意欲的。この試合でも立ち上がりの20分は互角以上に攻め合っていた。

スコットランドに不幸だったのは、後半開始後1分に、右からのエフェンベルクのクロスを止めようとしたDFマルパスの足にボールがあたり、高く上がって落下しファーポストぎわのゴールに吸いこまれるようにはいったこと。GKゴーラムは意表をつかれてスリップした。0−2となったスコットランド。第1戦にも敗れて(対オランダ0−1)いる彼らには、世界チャンピオン相手の2点は重い。だれの目にも、1次リーグ敗退が明白…とうつっているのに、彼らは気落ちすることなく、攻撃をくりかえした。その激しい接触プレーに交代ではいったロイターが頭を打って退場(=74分シュルツと交代)それから10分もしないうちにブッフバルトが、ゴール前のせり合いでゴフとぶつかって頭を打ち、続けてプレーできず退場、残り9分間はドイツは10人で戦うハメになった。

テレビ画面でアップになったブッフバルトが頭に包帯を巻いた顔を眺めながら、ドイツの立ちあがりからの気迫と、それに劣らぬスコットランドの攻撃精神に、"計算づく"の試合でないサッカーのよさを感じた。



スポーツの中心施設ウレッビ


テレビ観戦に満足してスタジアムへ。ウレッビ競技場は、記者席の反対側のスタンドの屋根のカーブが特異で、中央の特別席の形が面白い。芝生のフィールドの外側はシンダーのトラックで、1995年には陸上競技の世界選手権も開催するとか。

イエーテボリという町はスウェーデン南西部にあって首都ストックホルムへの距離が、隣国の首都オスロへの距離と同じくらい。スカンジナビアの玄関口ともいうコペンハーゲン(デンマーク)とも同じ距離で、ここの町の地政学的キャッチフレーズは、スカンジナビアのセンター。カテガット海峡へ注ぐイエータ河からやや上流に発展した町は、歴史的にはノルウェー、デンマークと関係が深く、17世紀には町づくりにオランダ人、ドイツ人、イギリス人、スコットランド人なども参加したらしい。

港町だけにスポーツが伝わるのも早く、スウェーデンで一番古いサッカークラブの創設は、この地のスコットランド人による…とされている。かつては、冬には水を巻いてカーリングやアイスホッケーもウレッビで行い、フィギュア・スケートの名花、ソニア・ヘリー(ノルウェー、1928年から冬季五輪3連勝)は1929年の2月に、ここで華麗なスケーティングを披露している。



ペレがデビューした記念の地


貝の形状に似た屋根からウレッビと呼ばれた競技場は1958年のワールドカップ・サッカーを機に大改装した。マルメのスタジアムの屋根の曲線が似ているのは、同じデザインにしたらしい。‘58年大会はブラジルの初優勝、スウェーデンの2位、そしてペレの世界への登場というサッカー史でも、スウェーデンの歩みの上でもエポックメークな大会だが、そのブラジルはイエーテボリでの1次リーグ第4組に属し、ペレは、第3戦の対ソ連にデビュー、つぎの準々決勝のウェールズ戦で1点をあげ、"神の子"のちの"王様"のW杯初得点を記録するが、それもこのウレッビというのが、町のサッカー好きの話のタネ。ブラジルとペレは準決勝からストックホルムに移ったが、ここでの準決勝でスウェーデンが西ドイツを3―1で破って決勝へ進んだ記念すべき場所でもある。

スタンドの記者席で、スタジアムの由来とウレッビが世界と共有する思い出を回想しているうちに、両チームがグラウンドに現れた。午後8時8分、ゲーム前のセレモニー、まずオランダ国歌をフィールドのコーラス隊が歌い、スタンドのオレンジのサポーターが大声をあげた。

ファンバステン、フリット、ライカールト、クーマンらとCIS(旧ソ連)の対戦がいよいよはじまる。

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