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イエーテボリの車内で歴史的なセミファイナルを思う

森と湖の国の横断トリップ



 列車は定刻どおり8時6分にストックホルム中央駅をスタートした。「これで、きょう昼ごろにはイエーテボリにつく」

 朝からのあわただしさは、ファーストクラスのシートの心地よさに変わって、思わず、うーんと大きなノビをした。

 1992年6月22日。ヨーロッパ選手権は開幕(6月10日)から12日たち、前日ストックホルムのラスンダ競技場で準決勝のスウェーデン(A組1位)対ドイツ(B組2位)を行い、イエーテボリのウレッビ競技場でオランダ(B組1位)対デンマーク(A組2位)が予定されていた。

 6月7日に大阪を出たわたしは、ストックホルムを足場にマルメ、ソルチェーピン、イエーテボリの各会場で1次リーグを取材し19日からストックホルムに滞在、ヨーロッパ・ツアー中のJリーグ清水エスパルスの練習や準決勝を見たのだった。

 
 ストックホルムからハルスベルク、ファルチェピンをへて、イエーテボリまで459`、4時間半ば日本の新幹線にくらべると遅いけれど、森と湖のこの国を東から西へ横断する小旅行は、南部の海岸地帯とは別の興味があった。時間はかかっても、12時41分着と、向こうへついてから余裕があるのがなにより安心、6月18日は飛行機の故障でイライラしたことを考えると、まことに気楽だった。

 といっても、ストックホルムで前半はホテル・アマランテン、後半はSASストランド・ホテルと合計9泊もしたから、その間に買った新聞や雑誌、もらったパンフレットなどもふえて、列車に乗りこむには、準備が必要だった。ヨーロッパの客車は、入り口のステップが高いので、重い荷物を一人で持ちあげるのは、ヘタをすると腰を痛める。そのために、前日デパートでバッグをひとつ買って、重い印刷物を分敢した。鉄道のチケットも、中央駅で買っておいた。スウェーデンの鉄道は乗車券(二等)とグリーン車券と、指定席券と別々になっていて、三枚の合計は111.4クローネ(2536円)、わが国のJRなら12060円かかるから4.75倍。ホテルやタクシー料金の高いスウェーデンだが、こういう公共の乗り物となるとやはり福祉国だ。

 タクシーで56クローネ(1275円)も出して早目に駅へつき、5クローネでカートを借りたまではよかったが、列車の到着プラットホームの表示が「11」と出たのは8時10分前。シェパード犬をつれた警官にきくといったん地下へおりてゆくのだという。HISS(エレベーター)をみつけて、並んで待ち、11番ホームに着いたのは8時だった。

 このグリーン車の禁煙席は、通路の片側が2人席、わたしの側が一人席で、合計15席、喫煙席とはガラス戸で仕切られている。これだけ、ゆったりしておればありがたいと、席の横にカバンを置き、メモ帖を取りだして前日の試合をふりかえる。



1958年へのノスタルジー



 6月21日の試合はスウェーデンの全国民に1958年の再現を期待させた。第6回ワールドカップの開催国として、ベスト4に進んだスウェーデンは、この34年前の6月24日に世界チャンピオン、西ドイツと戦い前半1−1、後半2−0、3−1で快勝して、決勝へ進出。会場はイエーテボリのウレッビで、彼らはストックホルムへ“凱旋”し、6月29日にペレやガリンシャのブラジルと戦って2−5で敗れたが、世界にペレを送り出したこのW杯は、スウェーデン人にとって、彼らのサッカーを世界に印象づけた大会だった。

 こんどのEURO'92で、新聞やテレビは、つねに1958年へのノスタルジーを見せていた。テレビの特別番組で、58年の会場を列車で巡り、当時の選手たちが、それを回顧するのがあり、その映像のひとつひとつに,スウェーデンの人たちのサッカーそのものと、58年大会とスウェーデン・サッカーへの思い入れの深さをあらためて知ったのだった。



ヘスラーのFKとリードレ



 しかし、今回は"決勝へ"の望みは、ドイツの強烈な巻きかえしに妨げられた。1次リーグでオランダに完敗したドイツは、その試合に欠いていたDF陣の故障が回復し、ベストの布陣をもってきたのに対して、スウェーデンは1次リーグで、もっとも目ざましい働きをしたシュバルツが警告2回のため出場できなかったのが痛かった。

 18分のヘスラーのFKが両軍を通じて最初のゴールとなったが、それまでも、ドイツは中盤での早い動きによるポジション・チェンジと正確なパスでスウェーデンを悩ませた。

 FKは、ヘスラーの対CISの1点と似た地点だったが、こんどはゴール左下へみごとに決めた。前半はこの1ゴールだけだったが、後半13分にザマーとヘスラーのパスワークからザマーがドリブルして左から中へ入れたボールをリードレが決めて2−0とした。プロリンのPKで1点差としたが、ドイツは攻めの手をゆるめず、88分にヘルマーのキープからのスルーパスをリードレがビューティフルなシュートでしめくくった。タイムアップ直前にインゲソンの大きなロブをK・アンデルソンが長身を生かしてGKイルグナーよりも高く跳んでヘディングを決めたが、勝負はそこまでだった。

 わたしはノートに「ベストメンバーのドイツの強さ、決勝でオランダと再戦したいというフォクツ監督の願いがかなうことになった」と書きこんであった。メモを閉じ、窓外を見るとカタリンホルム駅、まだ、イエーテボリまで320キロ余、3時間の旅が残っていた。

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