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優秀選手の表彰とチャリティーへの寄付

大会の公式ホテルでペレに会う



「ミスター・カガワ。ちょうどいいところだ。時間をとらせないから、ちょっと上の階へあがりましょう」

 声を、かけてくれたのはトニー・シニョル氏。あなたにきっと喜んでもらえる人に会わせるからと、歩き出す。

 1992年6月22日、正午すぎにイエーテボリに到着したわたしは、ホテルへ荷物をおいたあと、中央駅に近いスカンディック・ホテルへ寄った。ここはヨーロッパ選手権大会の公式ホテルのひとつで、UEFA(ヨーロッパ・サッカー連合)の役員や、大会のスポンサーたちが泊っている。

 6階だったかでエレベーターをおりると、廊下に、テレビのカメラマンたちがいる。それも2組や3組ではない。ここですョ、大柄な彼らの間をすり抜けて小さな部屋にはいると、そこには、なんとペレがいた。

 テレビカメラが正面にあり,彼はインタビュアーの差し出すマイクになにやらしゃべっていた。
「ペレ、カガワです、元気そうですネ」

 彼は立ちあがって、わたしの肩を抱いた。
「おぼえていますョ、カマモトの試合のときに…、2002年W杯誘致のことで日本へゆきましたョ。近くまたゆくのですョ」

 なるほどトニーは大会の公式スポンサーのひとつマスターカードというカード会社の仕事をしている。ペレがこのカード会社と契約したことはどこかで聞いた。


 ペレと別れたあとでトニーから相談をうける。
「この大会でマスターカードが、1試合ごとに優秀選手を表彰し、そのプレーヤーの名で(選手が受けとる金額を)チャリティーに寄付する、いわばチャリティーつき表彰を行うことは知っているでしょう。

 これと同じやり方をことし秋に日本で開催されるアジア・カップで実施したいのですが…」



試合ごとの優秀選手とチャリティー


 マスターカードはFIFA主催の大会にスポンサーとなった。90年イタリアW杯もそうだったが…。わたしは、ユニセフ(国連児童基金)に協力する催しに恒常的にいくつかかかわっているし、1987年にはマラドーナと南米選抜を招いてユニセフ創立40周年記念試合をし、入場料収入のなかから、日本サッカー協会がユニセフへ10万j(当時の1550万円)を寄付するのを手伝ったこともある。
「いいしくみと思いますョ。1次リーグでの表彰選手への金額750$、準決勝1000$、決勝2500$と差をつけるのがいいのかどうか、そして、欧州では、こういう寄付のやり方をすると、メディアは記事にするが、日本では10万$ならともかく、1000$くらいでは、おそらく、そのつど新聞や放送にはのらないでしょう。したがって、顧客にアピールすること、場内で目立つ方法を考えたほうがいいのでは…」などと話し合う。



バスディアの犠牲者、子供の村…



 アピールの方法を考えているトニーの顔をみながら、この大会の、これまでの表彰プレーヤーと、寄付の送り先のリストを読む。

 1次リーグと前日の準決勝第1試合までは…

▽J・P・パパン(フランス)

▽J・イエンセン(デンマーク)

▽D・ベルカンプ(オランダ)

▽T・ヘスラー(ドイツ)

▽S・ピアーズ(イングランド)

▽M・ダーリン(スウェーデン)

▽K・リードレ(ドイツ)

▽M・ファンバステン(オランダ)

▽T・ブロリン(スウェーデン)

▽L・エルストルップ(デンマーク)

▽D・ベルカンプ(オランダ)

▽P・マクステイ(スコットランド)

▽T・ヘスラー(ドイツ)

 感心したのは、寄付の送り先が、それぞれの国できまっていること。フランスのパパンは、同国で試合場でのスタンド倒壊のあったバスティアの犠牲者救済会へ。

 デンマークはクロアチアからの難民へ、オランダはアフリカの飢餓救済活動へ、。

 スウェーデンはクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナ内戦の被害者へ。

 イングランドは白血病の研究機関へ。

 スコットランドは障害者救援活動の協会へ。

 ドイツは緊急子供の家へ…
となっていた。

 ドイツの「緊急子供の家」というのは86年のW杯でメキシコで試合をしたとき、ストリート・チルドレンの多いのに同情した選手たちが、ドイツFAとはかって、子供の家をケレタロ市に建て、その運営費を送っている。

 家の名は「DFB(ドイツ協会)のSOS(緊急)キンダードルフ(子供の村)」という。

 ヨーロッパのサッカーの選手や協会は、国の内外を問わず、日常的に社会活動をしていることが、こうした寄付の際の相手先から読める。

 あのヘスラーのカーブシュートや、ピアースのハードタックルが、僅かでも、苦しい状況にある人たちの役に立っている。

 マスターカード・アワード・ウィナーと書かれた選手たちのリストを見ながら、しばらく、わたしたちはプロサッカーの選手と社会意識を思うのだった。

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