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1992年トヨタカップ「カウンターに破られたゾーン」

 後半の55分ごろから両サイドのフルバック、とくに右サイドでDFビトールが、カフーとともに二枚のウイングのように攻め上がるようになったサンパウロを見ながら、やはりテレ・サンターナのチームだと思った。
 1992年のトヨタカップは、ヨーロッパの代表があのヨハン・クライフが監督をしているバルセロナで、南米が久しぶりのブラジル。それもテレ・サンターナという魅力的な監督の率いるサンパウロというので、前人気も高かったし、また実際に試合はとても面白く、戦術的にも技術的にもトヨタ杯13回の歴史の中で、トップランクの一つといえた。
 試合直後の記者会見で、サンターナ監督は“ゲーム全体の印象を”「前半10分ばかりバルセロナの方がよかった。とくに中盤から前方への動きがよく、この時間帯で1点を奪われリードされた。そのあと、こちらにもよい攻めができて、同点となってからは互角になった。後半は自分たちの方が、自分のプレーができるようになって、そうしたなかでライーのシュートが生まれた」と語っている。
 対バルセロナの作戦についてはとくに語らず、「サンパウロの日頃の力を出すことを第一と考えている」とは、前日まで繰り返し言っていた言葉。前半はじめは、まず相手ボールを“奪うこと”“奪ってからの攻めを速くする”ことを考えたに違いない。
 バルセロナが攻撃的なチームであること、そしてパスを多様するチームであること。ロングパスを出すクーマンと、ドリブルに定評のあるラウンドルップ、そしてシュートの上手なストイチコフを警戒することーなどは注意してあったろう。相手DF間でのパスに対して、ミューレルやパリーニャ、ときにはライーなどが追い込み、プレッシャーをかけて、前線からのディフェンスに手を抜かなかった。ラウドルップに対しては、数回のファウルを含めて厳しいマークを続けた。
 1点を先制されたのは、サンパウロが左サイドから攻撃を仕掛けたときで、中央のパリーニャがパスをカットされ、カウンターされたためだった。  バルセロナ側が、それまで10分間に見せたような“つなぎのパス”を何回か交換してからーというのでなく、ボールを奪ったグァルディオラが、そのままドリブルで直進してストイチコフに渡すと、ストイチコフは左足で30メートルからのビューティフル・シュートを決めた。ゾーンディフェンスは、こうした速いカウンターに破られやすいものだ。それまで左サイドにいたストイチコフが中央部の(彼には)シュートレンジ近くにいる危険に気がつくのがいささか遅かった、ともいえるが、ここはグァルディオラの意外性と、ストイチコフの“左足”に拍手を送るべきだろう。
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