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「ストリート・キャット」ロマーリオ

 94年USワールドカップには多くの「異常」現状もあったけれど、それによってサッカーの面白さが隠されてしまったわけではない。中でも優勝したブラジルのストライカー、ロマーリオは5ゴールを重ねただけでなく、攻めのスリル、ゴール前でのエキサイト・シーンを数多く生み出し、この大会で最も記憶に残る選手となった。


マラドーナの面影が…

 「ああ、この小柄な選手がロマーリオだったな」──右足の甲のやや外側でボールを押し出すようにドリブルする姿に、見覚えがあった。

 6月20日、ワシントンDCにあるシェラトン・シティ・センターのホテルにあるテレビは、4500キロ離れたサンフランシスコの、スタンフォード・スタジアムで行われているブラジル対ロシア戦を映していた。

 この日はワシントンのRFKスタジアムで行われるオランダ対サウジアラビア戦(19時30分)を取材する予定の私は、3時間半早くキックオフされるサンフランシスコのゲームを途中まで見て行くことにしていた。

 ロマーリオ・デ・ソウザ・ファリアというプレーヤーは、すでに私は二度ナマで見ている。最初は88年12月11日、東京・国立競技場でのトヨタカップ。オランダのPSVアントホーフェンとウルグアイのナシオナル・モンテビデオが対戦したときだった。

 大男揃いのオランダ人の中で、169センチのロマーリオが目立ったのと、その小柄な彼がゲレツのロングスローからヘディングで得点したから、余計に印象が強かった。この2年後、90年のイタリア・ワールドカップ一次リーグで彼を見た。トリノのブラジル対スコットランド戦。月日も、サンフランシスコと同じ6月20日だったが、どういうわけか、このときの彼はほとんど私の頭に残っていない。春先に足の骨を折って以来、久しぶりの代表復帰だったということもあって動きは鈍く、81分にミューレルと交代。そのミューレルのゴールでブラジルが勝った(1-0)という記憶がある程度だ。

 従って、私の頭にインプットされているロマーリオはトヨタ杯の姿なのだが、ESPN(米国のスポーツ専門の放送局。大会の全試合の放映権を取った)の画面に現れた彼は、5年前に比べると随分逞しく見えた。何よりも腰が安定し、後方からボールを受けるときに、相手を背にしながら少しぐらい押されても動かない。ドシッとした感じに見えたし、ボールを持ったときに、小さな身体なのに相手を威圧する風格があった。

 しばらく見ているうちに「ああ、これはマラドーナだ」と思った。そう、86年にメキシコW杯で見たマラドーナは、4年前のスペインW杯とは別人のように変容していた。今のロマーリオの成長ぶり、変わり様が、かつてのマラドーナと同じように見えたのだ。

 1966年1月29日生まれ、リオデジャネイロの貧しい家庭に育ったロマーリオは、少年期から働いた。リオやメキシコ・シティで車に乗っていて、信号などで止まるとフロントガラスを磨こうとする子供達が集まってくる。彼らにとっては、ガラスを拭って礼金をもらうのは、その日の糧を得る大切な仕事。往来を行き来する車の間を縫うように、巧みに働く彼らの中に、17〜18年前のロマーリオの姿もあったという。しかし、彼のサッカーの才能はリオ北部のクラブ・オルランドで人々の目に留まり、同じリオの名門、バスコ・ダ・ガマとの試合で4ゴールを叩き込んだときに、小柄なストライカーをこの名門クラブは逃がしはしなかった。

 やがてリオのリーグで、バスコ・ダ・ガマの小さなストライカーがサポーターを喜ばせ、相手側を驚かせることになる。85-86シーズンから3年間、123試合で73ゴールを記録した彼は、88年のソウル五輪でブラジル代表となり、チームは惜しくもソ連に敗れて銀メダルに留まったが、彼自身は7ゴールをあげて得点王となった。我が釜本邦茂から数えて5代(68年メキシコ五輪得点王)、後輩に当たる。


オランダからスペインへ

 この異色のストライカーをPSVアイントホーフェンが500万ドルで獲得。以来、彼は5シーズンをオランダで、1シーズンをスペインで働き、ヨーロッパで第1級のストライカーという評価を受ける。

 PSVではデビュー戦でハットトリックを記録したのをはじめ、3シーズン連続してリーグの得点王(19、23、25得点)。3年目の90-91シーズンは、アヤックスのベルカンプ(現インテル)と並んでのトップ・スコアラーだった。国内リーグだけでなく、欧州のカップ戦でも重要なゲームで得点を重ねたが、好調なときの彼は、ミランのバレージを初めとするディフェンス人も巧みにすり抜けて、対戦相手を困惑させた。

 93年にPSVからスペインのFCバルセロナに移る。あのヨハン・クライフが監督を務め、かつてPSVで仲間だったクーマンのいるこのチームは、今やレアル・マドリーに代わってスペイン・リーグのリーダーだ。ロマーリオの加入でストイチコフとともに強力な攻撃陣を形成したバルサは、大激戦の末に93-94シーズンも制し、4年連続のリーグ・チャンピオンとなる。今年5月、欧州チャンピオンズ・カップで決勝に進みながら、ミランに0-4と大敗したため、敗戦の印象の方が強くなったが、ロマーリオ達は新シーズンもチャンピオンズ・カップに挑戦する可能性を残したのだった。

 そんなロマーリオのキャリアを思い出しているうちに、ブラジル対ロシア戦の画面は、27分に左CKからロマーリオのW杯初ゴールを見せてくれる。ベベットの蹴ったボールは、ゴール正面でジャンプしたM・サントスを越えてファーポストに落下。そこへロマーリオが入ってきて、落下点を右足アウトサイドで押さえ込むようにゴール右下へ決めた。長身のM・サントスはおとりだったのだろうが、その裏へ入ってくる一瞬の速さと、落下点をとらえる足の動きは誠に素晴らしかった。

 この試合の後半、ロマーリオのドリブル突破がトリッピングを誘い、ライーがPKを決めてロシアを突き放したが、ロマーリオの突破力、シュート力、そしてポストプレーの巧さと周囲の状況を読む早さは、開幕ゲームの1試合で彼を大会のスターに押し上げた。

 一次リーグ第2戦のカメルーン戦で、ブラジルは攻撃の多彩さ、アイデアの豊かさ、技術の高さを存分に発揮。ロマーリオもまた、ドリブルによる中央突破からのシュートで先制ゴールを決めている。ドリブルして、自分の前に転がしたボールを右足のトウ(つま先)でつつくように蹴ってGKの下を抜くシュートは、彼ならではの技。ドゥンガがアウトサイドで出したスルーパスを、相手DFの前へ、外から内に入って右足でトラップしつつ開始したドリブルの、前段部分はただただ見ほれるほどの巧みさだった。

 第3戦のスウェーデン戦は、私自身もシルバードームで実際に取材し、0-1からロマーリオがドリブルシュートを右足アウトで決めるのを、ゴール斜め後ろから見た。

 MFからのパスを一度戻ってカベになり、そのリターンを受けて正面やや左、25メートル辺りからドリブルするのだが、パスを受けるときの姿勢──右肩を前にした半身から、ボールを戻しておいて、今度は左肩前の半身に変わる(仲間とボールを見る)スムーズな動き。更には、後方からの短いパスを右足アウトで止め、同じ右足アウトでタッチしながらの1歩目、2歩目の前進と、それに続く3歩目の左でのタッチ。そして4歩目の右足タッチで押し出してからのシュート(ペナルティーエリアにかかってすぐ)にかかる一連の「足運び」の見事さ。スウェーデンのシュバルツやラルソンの追走を許さぬ速さ、後にビデオで見て改めて感嘆したものだ。


密集地帯でのすり抜け

 大勢のDFが守っているゴール正面を巧みにすり抜けるロマーリオのドリブルは、二次ステージ1回戦で対戦した開催国・米国との試合でも発揮された。レオナルドのレッドカードで10人となっても、技と力の差で攻め続けたブラジルは、相手の密集防御に手を焼きながら、74分にベベットのシュートでゴールを奪う。これはロマーリオが中央突破を図り、相手3人を惹き付けてから右のベベットに渡したパスからだった。

 ブラジルにとって最強の相手ともいうべきオランダとの準々決勝は、両チームが後半に5得点する激しい攻防となった。この試合における最初のゴールはロマーリオ。相手のパスミスを奪ったアウダイールからのロングパスを、ベベットが左へ開いて受ける。ベベットがタイミングを図って中央へ低いクロスを送ると、走り込んできたロマーリオがダイレクトシュートで決めたのだった。ここでもショートバウンドを押さえたアウトサイドキックに、彼の持ち味が生きていた。

 そして問題の2点目、後方からロブのボールが上がったとき、オフサイド・ポジションにいたロマーリオは下を向いてトボトボと歩き、ゲームに関与する意志のないことを示した。レフェリーは笛を吹かなかったが、オランダDFはオフサイドと判断してプレーを止めた。そのスキにベベットがボールを奪い、GKをかわして2-0としたのだった。

 ロマーリオはプレーの中で、時々、自分がボールを受ける気がないような様子をし、突如として動き出すことがある。いわゆる「死んだふり」のジェスチャーで相手を惑わすのだが、オランダ戦ではレフェリーも引き込まれたのだろう(後で明らかになったFIFAの見解は、オフサイドだった)。

 再びスウェーデンを相手にした準決勝は、彼のヘディングが決勝点になった。右からのセンタリングが、ジャンプしたライーを越えると、走り込んだロマーリオがジャンプヘッド。それまで再三に渡って彼のシュートを防いできたGKラベリも、どうしようもないゴール。ライーをおとりにしたチームの「惑わし」作戦の成功だった。

 決勝では、結局ゴールを生み出せなかったため、彼は得点王にはなれなかったが、ロマーリオが演じた攻撃の主役としての働きは大会最優秀選手、ゴールデンボール賞を受けるに十分だった。「ストリート・キャット」と自称する彼の敏捷性と、相反する落ち着き、そして老獪さによって94年米国W杯は輝きを増したと思う。

(サッカーダイジェスト 1994年9/28号より)

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