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オペラ歌手の大会テーマソングと、ミロの大会公式ポスター…

6月12日(土)バルセロナ、ノウ・カンプ内のプレスセンターで

 フィールドの中央でFIFAトロフィーをさし上げる輪の中にベアルツォット監督がいた。その輪の外で、ロッシが、例によってクールな顔付きで、出口の方へ歩み寄っていた。

 その光景を見ながら、1980年夏のヨーロッパ選手権大会での不本意な成績から、ベアルツォットとロッシの二年間を思った。

 突然に表面に出た八百長事件、無実を主張したロッシだったが、二年間出場停止処分。ためにエースストライカーを欠いて、ホームでの大会はベアルツォットにとって苦しいものだった。81年のコパ・デ・オロもまた、さんざんで、ヨーロッパの目は西ドイツに注がれ、イタリアは、忘れられようとしていた。

 78年のワールドカップに思いきった若手の起用で四位を占めた老練な監督はただひたすら、絶えて、78年以来の子飼いの選手を軸にロッシの復帰を待ち続け、従来よりも進んだチームを作り上げた。実戦から長く遠ざかったロッシを使う決断と、それまで待った辛抱、人の輪の中と外に別れていた二人だが、心は通い合っていたに違いない。おめでとうロッシ、おめでとうベアルツォット…。


マニャーナ、マニャーナ

 「もうええ加減にして欲しいわ」──大阪で言うボヤキの一つも出てくる。何しろ「待つ」時間が多い。

 サッカーという競技が人気上昇中のアメリカ合衆国では「待たなくてよいスポーツ」と言われている。アメリカの子供達はこういう「野球は攻撃のときに打順が来るのを待つでしょう。打席に立てばボールが投げられるのを待つでしょう。守りにつけば、球が来るのを待つでしょう」と、そして「サッカーは、待たなくてよいから好き」と。

 そんな競技を愛しているはずのスペインだが、ここでの大会の取材にやってきた私は、毎日「待て」「待ち」「待つ」の繰り返しだ。

 予定を早めて6月8日にマドリッドへ来たのは、ホテル・リザベーションが未確認だったためで、この確認をして新たに二十日分ほどリザーブするために一日半待つことになる。それで足(航空機の切符)も確保した。ホテルもリザーブした。後は試合を取材するだけだ、と勇んで乗り込んだバルセロナで、まず試合入場券は各会場で、その都度渡しますと聞かされ、うんざりする。

 三月末に観戦したいゲームを記入した書類を組織委に送ってあるのだから、これまでの例で一括して貰えると思っていたのが大違い。それからは試合会場に着く毎に、プレス係のところで入場券を貰う。ついでに合同インタビューに出席の申込をする。インタビュー室が狭くて百人ちょっとだから制限がある。早めに申し込んでおくと×時に渡すという。×時に行くと、ちょっと待って欲しい。×時半に来てくれという。×時半に行ったら、すでに何人か並んでいる。僕は先に申し込んであるのだからすぐくれというと、名前を探してくれる。ところが昼間に書き込んだはずのノートの「切れ端」が無い。文句を言っても、券をくれる彼女と、申込を受け付けた彼女とは違うのだから話にならない。その間にも、列に地方のスペイン記者が割り込んでくるから、遅くなる者はますます遅れる。結局、新たに名前を書き込んで、インタビューチケットを手にする。大抵一時間は費やすことになる。もちろんたまたまスムーズに行くこともある。が、大体はこんな調子になる。


困惑する美女達

 待たされた挙げ句肝心の二次リーグ、イングランド対西ドイツの入場券が無いというのもあった。プレスセンターのカヤ事務局長が、この切符で、何処へでも座って欲しいというので、それに従うことにしたが、お陰で前半は机の無いところで重いノートを手に、首からカメラ、双眼鏡を下げ、カセットテープを地面に置くという哀れな格好となった。(後半は空いた机を見付けたが)

 大体、こんなに待たされるとはどういうことだと、疲れているとつい、当たりたくなる。対して、黒い目の美人の受付係は、ただ「アイムソーリー」を繰り返すだけ。

 その困惑した美しい顔を見ていると、「マニャーナ」の国へ来て一時間や二時間くらいでブツブツ言う方が悪いのかなと思ったりする。

 何しろ7,500人ものマスコミのうるさいのが集まる大会なんて、世界でもこれまでにモスクワ・オリンピックぐらいだろう。

 こういうことの初めてのスペインにしては上手く処理するのは至難に違いない。

 観光客なら年間3,800万人、人口(2,700万人)を遙かに超える多数がやって来る。だから沢山の人を扱うのは上手なはずだ。現に「ムンディアル82」の旅行・宿泊部門では何万という海外からの旅行者の輸送宿泊を引き受けている。観光客は、あくまで遊びだが、「働くため」にこんな多数がやって来るとは、まさに空前だと思う。

 そうそう、観光の第一線ということになるとホテルになるが、私がバルセロナのホテルへ名刺入れを忘れたことがあった。こちらであった人の名刺の他、クレジットカードも入っていたものだから、慌ててそのホテルに電話したらホテル・レセプションは「保管してあります。送りましょうか、またおいでのチャンスがありますか」と答えた。やはりこっちの方はしっかりしているようだ。


エル・ムンディアール

 こんな事情で、取材の手順ということになると、これまでより要領も条件も悪いけれど、そんなゴタゴタがあっても、ここはやはり楽しい国だ。

 前号の開会式の号でも触れたが、オープニング・セレモニー一つにしても、芸術性豊かで、色彩も音楽も演出も大したものだ。

 その音楽の一つ、開会式で聴いた曲、エスパーニャ82の大会讃歌のカセットテープを買った。例によって歌詞が付いていないが、プレスセンターのエレナ・デューセン・ビラシエロスという長い名の若い美人に頼むと、ポリドール・レコードの歌詞のコピーを持ってきて、それを見ながら英語を付けてくれた。私が日本語にしてみる。「日はスタジアムの上に輝き スペインで 今大パーティーが始まる 熱気がグラウンドに満ち 応援の旗が波を打つ 席は埋まり 楽しい歌が聞こえ 観衆はエキサイトし 選手に拍手を送る
エル ムソディアール 全ての国が 試合のためにやって来る
エル ムンディアール サッカーの勇士達 さあ戦いだ
エル ムンディアール グラウンドはもうお祭りだ
エル ムンディアール 全ての人は この歌を歌い続ける」

 歌詞は二番まであり「エル・ムンディアール」がリフレインになる。

 この歌のレコードの歌い手に、人気絶頂のオペラ歌手、プラシド・ドミンゴを持ってきたところがミソだ。彼の甘く、綺麗なテノールはスタジアムでも町でも、氾濫している。


スポーツと音楽と美術

 こうしたオペラ歌手をテーマソングの歌手に持てくるところ、そして「芸術」がサッカーのような大衆的なものに顔を出すところに、スペインの面白味があるのかも知れない。それはまた、大会公式ポスターをミロが描いたのとも、通じるものを持っている。このフアン・ミロのポスターは上にボールとプレーヤーが円形の中でミックスされてサッカーしているところを表し、グレーの色の部分にサッカーには欠かせない観衆を表しているという。現代の巨匠の作品として魅力ある作品。このオフィシャル・ポスターの人気は高いようだ。ミロはまた、大会のプレスセンターに当てられたパラシオ・デ・コングレソス(国際会議場)の正面玄関の壁画に彼の独特の色調の壁画を描いている。

 今年のワールドカップでは、単なるスポーツ大会の上に、「スポーツと音楽と美術の調和」といったテーマが加わり、スペイン大会の特色とも言える。それだけに、全ての手が広がることになり、随所に混乱も起こりうる。誰かが「オーガニゼイションはケイオスだ」と言ったが、混沌(ケイオス)の中から、何かが生まれてくるのだろうか。そういえば、サッカーそのものも、いきなりアルゼンチンや西ドイツが敗れて、ちょっとした混乱からスタートした。

 82年ワールドカップの魅力はミロの絵のごとく、ゴチャゴチャとしてよく分からないが、何とも言えぬ明るさを持っていることなのかも知れない。

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