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1992年トヨタカップ「テレ・サンターナのお家芸」

 後半に入っても、始めは互角の戦いが続いたが、60分ごろからバルセロナの動きが落ちはじめた。パスを多用するチームは、パスのコースを多くするために、チーム全体の動きが多くなくてはならない。運動量の減少はコース数の減少となって効果が薄くなる。70分ごろにミューレルのシュートがあったが、これは相手のミスパスから。後半開始直後からみせはじめたDFの攻め上がりが、このころから大胆になる。とくに右のビトールの上がりは、キープ力、スピードとも相手DFへの脅威となり、カフーとの連係は右サイドのスペースにウイングが二人いる形となってバルセロナを悩ませ、そこからFKやCKが増えた。
 79分にパリーニャに対するFKがゴール正面であり、ライーが見事なシュートをゴール左上スミに蹴り込んだ。このFKは、右からビトールがドリブルで入り、ライーに渡したボールからの攻めを、バルセロナがいったんは防いだものの、再びパリーニャが正面でボールをキープしたときに起こった反則。
 ライーのキックは、停止球ではなく1メートルばかり右のカフーに渡し、カフーが止めたボールをライーが右足で蹴ったもの。
 右サイドからのドリブル攻撃は、このゴールのあとも続いて、ビトールやカフーのステップ、フェイント、そしてすり抜けといった彼らの技術の楽しさを存分に見せた。
 それは1981年の正月に、サンターナが初めて代表チームを率いて、ウルグアイ・モンテビデオでのコパ・デ・オロで、強敵西ドイツを4-1で撃破したときの右サイド攻撃にも似て、選手時代ウイングだった彼の好みがあらわれていた。
 サンパウロという、彼が2年がかりで作りあげたブラジルNO.1の単独チームは、もちろん1981年、1982年(スペインW杯)、1986年(メキシコW杯)の代表チームとも違っている。ジーコのようなMFの大スターもいないし、あの黄金カルテットほどの中盤の魅力はないにしても、若い選手たちはタフで、スピードがあり、ライーやミューレルなどの老巧組は熟成度を高め、一様に1体1に強く、身のこなしも柔らかで強い。フィジカルフィットネスも十分のようだった。

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