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遊び場のなくなった西欧では、技術を「教え」なくてはならないと西ドイツ監督デアバルは語った

 82年ワールドカップ・スペイン大会への日本からの観戦ツアーが、6月末で2団体ともほぼ満員になったという。サッカー・ファンの熱心さには、ただ恐れ入る。そのワールドカップ予選の欧州第1組で西ドイツは4勝4敗、得点11、失点1でトップに立っている。アルバニアやフィンランドといった小国、東欧のブルガリア、隣のオーストリアらの強豪との1回戦を無キズで消化した西ドイツが、秋の2回戦も切り抜けてスペイン大会の代表となることは間違いなさそうだ。
『FIFAニュース』の成績表を眺めながら、私はパ・デ・オロでのデアバル監督を思い出すのだった。


これがサッカーさ

 デアバルさんとモンテビデオで会ったのは、80年12月31日の練習のとき、立ち話程度で、そのあとしばらくはチャンスがなく、次は1月7日、対ブラジル戦1−4の大敗のあとだった。プレスルームの前で「1−4とは驚きましたね」と言うと、彼は「ジス・イズ・フットボール(これがサッカーさ=サッカーでは何が起こるかわからんよ)」と。
 その夜、西ドイツの宿舎、コロンビアホテルへ行く。広報担当のT・ゲルハルト氏が語る。74年西ドイツワールドカップのときの組織委プレス担当で、スペイン語も英語もとても上手だ。
「ブラジルが2−1にしたところで我々の若いプレーヤーは絶望的になった。しかもここは南米で、ブラジルの選手は雰囲気によってますます張り切る。その差が1−4となった」
「西ドイツ代表にとっては、今大会はハンデがあった。シーズンの最中であること。気候もそうだ。シュティーリケやシュスターらのスペイン組は、ナショナル・チームのタイルマッチ、つまり、ワールドカップ予選やヨーロッパ選手権には参加することになっているが、タイトルマッチでないコパ・デ・オロについては、チームとの契約に入っていなかった。もしシュティーリケがいれば彼がリベロで、ボンホフはサイドバックかMFに回したろう(ボンホフにミスがあったという指摘に対する返事)」
「西ドイツに緩急の変化がないって? うん、いまの代表は若い。年委のある連中もそういうタイプではない。ベッケンバウアー型ではなく、労働型だね。だから、リードしているときでも、冒険的な攻撃を(DFが)仕掛けてそのために痛い目にあったりする。でなくても、疲労を重ねる」
「今日の試合では、直接的には、ルベッシュの欠場が堪えている。原因不明の発熱のためだった。ルムメンニゲがあれだけ相手を崩しても、ゴール前でヘディングの強い彼がいるといないでは、効果は違っている」
「ブラジルやアルゼンチンに負けたからといって、これがこの世の終わりとは思っていない。78年ワールドカップのとき、前半に南米遠征してアルゼンチンに勝ち、ブラジルと引き分ける好成績だったが、本大会はさっぱりだった。大会の一年半前にこういうテストができたのはよかったと思う。こんどのメンバー意外でも、西ドイツにはいい若手がいるからね」


遊ぶ時間と場所なし

 ユップ・デアバルさんはこうだ。
「アルゼンチン代表チームが、協会のバックアップも協力だし、メノッティがチームを握っているのは、相当強いと思っていた。思っていたとおりの力だった。しかし、ブラジルとウルグアイがこれほど良いとは、正直なところ、驚いている」
「南米では、選手は自然に生まれるが、ヨーロッパでは選手は育てなければならない。昔はドイツでも子どもたちは一日中ボールと遊んでいた。4時間も5時間もサッカーをしたものだ。公園でも牧場でも街路でも、サッカーをやれたのだが、いまのドイツでは市街地化が進み、公園やストリートでの遊びは禁止されている。だから子どもたちは1日に2時間もクラブで練習するだけだ。そのクラブのグラウンドも、いろんな年齢層が使うので、子どもたちの遊ぶ時間はますます短くなる気配だ。モンテビデオでは、あなたもご覧のように、長い砂浜や公園などで子どもたちはボールと遊んでいる。多くの空地、草地がサッカー選手を生むのだ」
「ベッケンバウアー、オベラーツ、ネッツァーなど。70年代前半の名選手は、1945年、46年に生まれた連中で、つまり、子どものころに充分ボールと遊んだ年齢層だ。ベッケンバウアーがクラブへ入ったときは、もうボール扱いの技術は充分だった。いまは子どもたちはクラブへ来てからスキルを学んでいる」

 ユース年齢の指導の経験豊かなデアバルさんは、ナショナル・チームを語る前にまずその背景から、欧州に比べて子どもたちの遊ぶ時間と、スペースの多い南米が、ボールテクニックで優位に立つこと、そして1974年に一度ヨーロッパの巻き返しはありはしたが、その後、この傾向が強まることを警戒するのだった。

 その夜、私はデアバルさんの言葉を反芻した。ドイツにしてあの悩みをもつ。ドイツよりなお子どもの遊ぶ時間もスペースも少ない日本をどうするのか“師匠格”の敗戦を目の当たりにして、ラプラタの夜は寝苦しかった。

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