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ナシオナルのレセプションでサー・スタンレーは日本でのトヨタ・カップの意義を語った

ワールドカップ予選とリベルタドーレス杯

 トヨタ・カップが今年も開催の気配で、欧州や南米からの通信は、日程(11月か12月)などの話し合いが進められていることを伝えてきている。ヨーロッパの代表となるのは、もちろん、80−81年欧州チャンピオンズ・カップの勝者リバプール(イングランド)。南米の代表は、ただいま進行中のリベルタドーレス杯で決まる。5組に分かれて行なった1次リーグが終わり、9月には各組勝者の5チームに前年優勝のナシオナル(ウルグアイ)が加わって2次リーグに入る。

 一方、8月からウルグアイ代表チームのワールドカップ南米予選(第2組)が始まり、まずコロンビア、ペルーとホームで戦ったのち、9月にはベルー、コロンビアのアウェー戦に出かけることになる。モンテビデオ市民も、ナシオナルの事務所もあの8ヶ月前のコパ・デ・オロのときと同じような緊張と興奮の日々が続くに違いない。


『エル・パイス』紙の親切

 さて、そのコパ・デ・オロを追うわたしの「オーパ・ラプラタ」。1980年12月29日夕にモンテビデオに到着してから10日が過ぎた。パルケホテルの生活も慣れ、近くのレストランとも馴染みになった。
 大会を観戦しながら、もう一つの仕事であるナシオナルの取材も進んでいた。2月11日に東京でノッティンガムと戦うこのクラブはコパ・デ・オロの代表チームに7人を供出していて、全員そろったユニホーム姿のカラー写真を撮影するチャンスがない。クラブにも手持ちはなく、プログラム製作上どうしても必要というので、『エル・パイス』紙の編集長を訪ねてもらいに行ったりした。『エル・パイス』紙は放送局も持っている大きな新聞で、そこの写真部長は、事情を聞いて、同紙の一面を飾った(80年リベルタドーレス杯優勝の)カラー写真を無償でくれた。

 読者サービスのためのナシオナル・クラブの記念品も、クラブと契約して製作販売しているMAM&LAPSICという店で買う。ついでにこの店で大会の記念品も。これは例の「エル・チャルーア・フットボリスタ」(チャルーア族のフットボール坊や)――セレステのユニホームを着てハチ巻きをしめたインディオの坊やがウルグアイの紋章に模したボールをけっている――のシンボルマークをあしらったものがいっぱい。


サー・スタンレーとの再会

 朝から町を飛び歩いたあと、紺のスーツに着替えて10月8日通りのナシオナル・クラブの事務所へ。この日、1月7日午後1時に、クラブがFIFAのアペランジェ会長以下の役員招待レセプションをすることになっていた。
 前日までとは見違えるほどキレイになったクラブの会議室には、3色のクラブ旗が飾られ、応接室の古い調度(1899年の創設以来のイスや机や戸棚)もふき込まれて光っていた。もちろん、ご自慢のカップ、トロフィ、最初のモンテビデオ盃や、リベルタドーレス杯、ワールド・クラブ・カップなども、文字どおり燦然。
 レセプションはクラブのアイアコック会長とFIFAのアペランジェ会長の挨拶のあと、立食形式でもっぱら、飲み、つまみ、語る。その間にこちらはアイアコック会長、ウルグアイ協会会長、南米連合会長、UEFA会長らに、2月11日の試合についてのメッセージをもらう。これにはクラブの広報担当のプラポ氏が英語の通訳として協力してくれる。

 サー・スタンレー・ラウスFIFA名誉会長には久しぶりの挨拶をする。1958年の第3回アジア大会のときに来日したラウスさんと、わが先輩・田辺五兵衛さん(故人・元関西協会会長)が22年ぶりに会ったら、ラウスさんは田辺さんが昔にプレゼントしたネクタイピンをみせて、君にもらったものだと、語ったという。そういう情のこまやかな人柄だ。

 テレビ局がやってきて、レセプションの模様をビデオ撮りしたあとラウスさんに例のプラポ氏の通訳でインタビューする。

――長くFIFAの仕事をされたサー・スタンレーにとって、いま一番、心に残るものは何でしょう。

「それは、世界中に友人ができたことです。サッカーのおかげでわたしは世界を回り、多くの人と会い、いい友人をたくさん持つことができました」

――ナシオナルが2月に日本でノッティンガムと試合しますが、これについて……。

「今までのホーム・アンド・アウェーとは違いますが、これは会場を提供する日本にとって大きな意味があります。ご存知のように日本人は何事にも勤勉です。いま彼らはサッカーでもヨーロッパや南米のトップに追いつこうと努力しています。現に、このコパ・デ・オロにも、カガワ記者が取材に来ているでしょう。こういう熱意のある日本で、欧州と南米のトップクラスのクラブ・チームがいいプレーをみせることは、彼らにプラスになると思います。わたしは日本がそのうちにヒノキ舞台に出てくると思っていますョ」

 にこやかに語るサー・スタンレーを見ながら、何事も、良い方に解釈し、日本サッカーには常に温い目を注いできたこの85歳の“巨人”にわたしたちは、いつ朗報を届けられるのか…としばらく考え込むのだった。

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