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タンゴの国の行進曲

ありがとうNHK

 7月末から8月5日までのNHKのワールドカップ再放送は、まことに楽しかった。NHKの生中継あるいは録画中継のおかげで、日本国内でも多くの人が大会の雰囲気を味わったのだが、大会が終わって1ヶ月後に、再びカラーの画面で再現できるとは、まことに日本も結構な時代になったものだと思う。その録画放送の中で、軍楽隊がマーチを奏しながら退場してゆく場面があった。

 試合前のブラスバンド吹奏は、ヨーロッパのリーグやカップ戦でも、“きまり”のようになっている。こんどの大会でも軍楽隊の行進が場内の気分を高揚し、ひとつにまとめていた。そして、開始直前に、対戦する両国国歌を吹奏し終わると、バンドは「エル・ムンディアル(ワールドカップ)」行進曲を奏しながら退場してゆく。観衆はこれを拍手で送りだせば、さあ、いよいよキックオフという順になっていた。

 バンドのほうは警察、軍隊、それも、陸軍、海軍、儀杖隊、さまざまで、それがまた音楽の国だけに、なかなかの音色だった。メンドーサ(6月11日)でのバンドは白ずくめの服装で、ちょっと異様だったが、おそらく山岳部隊だったろう。

 こうしたバンドの退場行進のときの「エル・ムンディアル」は開会式でふんだんに聞かされ、すぐにおなじみになった。


マルチャ・オフィシアル

 「エル・ムンディアル」でキックオフした試合は45分をすぎて、ハーフタイムとなる。その休止時間があと2分くらいのところで、場内に流れるのが、もうひとつの行進曲「マルチャ・オフィシアル・デル・ムンディアル78(78年ワールドカップ公式マーチ)」。いわば、これが試合再開の前奏となる。

 マーチは

 ベインティシンコ ミジョネス デ アルヘンチーノス
 (アルゼンチン2500万国民よ)

 フガレーモス エル ムンディアル
 (ゆけ、ワールドカップへ)

という導入部から

 ムンディアル! ラ フスタ デボルティバ シン イグアル
 (ワールドカップ、この大会は格別のもの)

 ムンディアル! ウン グリト ケ エス クラモール ウニベルサル
 (ムンディアル、この叫びは世界の声)

とつづいて、

 すべての人に捧げよう われらの国旗 偉大で友好的で 至高の青(アスール)と白(ブランコ)を

と歌いあげる。軽快で、まことに調子がよく、また歌詞もいい。

 「マルチャ・オフィシアル」のレコードはフロリダ通り638ディスケリア(レコード店)で買った。ウインドに例のムンディアリートや大会マークをあしらったレコードケースがあり、マーチが街路まで流れてくれば、衝動的に買いたくなる。

 もっとも、なんでもやたらに、大会マークがついているから、中身を確かめないことには気を悪くする。ARGENTINA78とある立派なジャケットの中身が、すべてタンゴ集であったり、公式ボールのマークのついた本を開いてみたら、推理小説だった、というのもある。

 その“ビキンゴ(バイキング)”という立派な名の店でも、このマルチャ・オフィシアルのほかに「アルゼンチンよ、チャンピオン目指して燃えよ」や大盤の「フェスタ・アルヘンチナ・ロス・カンペオーネス」などのレコードも売っていたが、どれも歌詞はついていない。歌詞つきはないかと聞いても「ない」というだけだった。結局、カセットテープにも、このCBSからでてくる小盤にも「オフィシアル」の合唱の歌詞はなく、プレスセンターの通訳嬢に頼んで、手に入れてもらった。前述の訳らしき日本語は、この通訳嬢がスペイン語の歌詞を見ながら英訳してくれたのを、メモしたものだ。


フスバル・イスト・・・・・・
 
 ハーフタイムの終わりを告げ、後半開始の前奏として、行進曲を場内に流すのは、4年前の西ドイツのと同じスタイル。あのときは「フスバル・イスト・ウンゼル・レーベン(サッカーはわれらが生命)」という曲で西ドイツ代表のコーラスを吹き込んだ当時のポリドール盤は、爆発的に売れたという。

 そう、こんどの大会でも西ドイツでは、ウド・ユルゲンス指揮による代表チームのコーラス「こんにちはアルゼンチン」のレコードが発売された。ブエノスアイレスでも、これのスペイン語版が、ビクターから小盤で出ていた。曲はタンゴで、やわらかくて甘い。西ドイツの発売の分を取り寄せたら、前回と同じように、シェーン監督以下の代表チームがジャケットにおさまっていた。ただしそのなかに、もちろんあのベッケンバウアーの端正な顔はなく、ブライトナーのヒゲ面も、ミュラーの黒い髪もないのが淋しい。


失望の西ドイツ 意気あがるアルゼンチン

 そのベッケンバウアー抜きの西ドイツを、6月1日の開幕試合でみた。多くの有名な個性的技術者が消えたあとの西ドイツ代表の、1人ひとりについては直接みたわけではないのに、国際試合の成績などから高いレベルのチームを予測していた。それが、リバープレートの小さい凹凸で生じるイレギュラーバウンドの処理に苦しんだり、中長距離のパスが不正確(コンビネーションというより、キックそのものの精度の低さ)だったりするのに、とまどいを覚えた。

 そして、一見やわらかい身のこなしで中盤へ上がっていったリュスマンが、小さなバウンドのボールを取りそこねて、一挙にポーランドの逆襲を食う場面や、フィッシャーがゴール正面で、ボールの下をすくって高々とバーを越すのをみながら、わたしは、74年のあのベッケンバウアーという、特異なやわらかさとスマートさをもった主将のいた西ドイツと「フスバル・イスト・・・・・・」をふとなつかしく思い浮かべるのだった。

 その夜、フロリダ通りでは「マルチャ・オフィシアル」が流れていた。
 「ルチャール(ファイト) トリウンファール(勝利)」の歌いあげを聞きながら、寒さをしのぐための皮コートを買いに毛皮屋“ルーラ”へはいったら、女店員までが「あすアルゼンチンはハンガリーに絶対勝ちますからね」ときた。


(サッカーマガジン 78年9月25日号)

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