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芸術の国のタレント集団

 名人のするどい指摘

 8月のある日、大先輩の川本泰三さん(ベルリン・オリンピック代表、大阪協会会長)を訪ねた。わたしのほうがちょっと忙しすぎて、ブエノスアイレスから帰ってはじめて、というごぶさたぶりだったが、お目にかかれば話は「どうやったワールドカップは」となる。

 「結局、ドリブルのうまいのと、ロングシュートのできるチームが決勝に残ったという感じでした」というと、
「まあ、そういう感じもあったね。サッカーはドリブルとシュートが80パーセントだから・・・・・・。それだけでもいかないから、あとの20パーセントをいろいろやるわけだが、どうも、いまの日本サッカーは、その80パーセントを脇にのけておいて、残りの20パーセントばかりを、やっているのと違うかな」
などと、例によって“名人”独特の歯切れのよい指摘があった。
 「テレビで見ただけだが・・・・・・」といわれる名人だが、もうひとつ皆さんに披露しておきたいポイントもあった。それは――
「ワールドカップのテレビで見た試合は、どれでも、試合中の1対1でボールをもったプレーヤーが必ず優位に立っている。アルゼンチンのだれかがボールをもてば、そのもったプレーヤーが、彼をマークするオランダ選手に対して優位に立っている。もし、その立場が逆になって、オランダ側がボールをもてば、今度はボールをもったオランダ選手が、奪いにくるアルゼンチン選手より有利なのだ。このことが、いまの日本サッカーと根本的に違っている」

 幸い東京12チャンネルで、ワールドカップをまた放映してくれるようだ。多くのファンにはレベルの高いサッカーを楽しんでほしいのと同時に、“選手”を目指す若い人たちや指導者は、川本さんの指摘を頭に入れておいてほしいと思う。
なにも目新しいことではなく、原則なのだが、いまは、この原則からはずれているようにみえるからだ。


 低調な6月の初旬

 さて、前回の「ワールドカップの旅」でわたしは大西洋に面したマルデルプラタに出かけた。このマルデルプラタ(銀の海)市へは、グループリーグのブラジルの第1、第2戦を取材するために6月3日と7日の2度、ブエノスアイレスから飛んだのだった。

 最初の対スウェーデン(1−1)、次の対スペイン(0−0)で、ブラジル代表チームとコウチーニョ監督の評価はガタ落ちになった。2度目のマルデルプラタは、スペインの個個のプレーヤーのおもしろさという予想外のプラスはあったにしても、わたし自身はうすら寒い気候も手伝って、なんのために400キロも飛んできたのかと不満たらたら。

 黄色と緑のシャツを着たブラジル応援団といっしょになって、コウチーニョを呪いたくなったものだ。

 西ドイツとブラジルにいささか裏切られた感のあった1次リーグの2回戦まで、つまり6月1日から7日までの“低調な6月初旬”の救いとなったのは、市民たちの外来者、われわれに対する親切さと、ゲームでは1組のリーグだった。

 アルゼンチン、フランス、ハンガリー、イタリアの4強がいっしょになったこの組は、まさにワールドカップの本大会という実感だった。とりわけ、わたしには、昨年、サッカー好きを誘ってブタペストでハンガリー対ソ連、ニースでフランス・リーグを見て歩いていただけに、見覚えある選手もいて、楽しさもひとしおだった。


 トリコロールの芸術家

 フランス代表チームは、そのおなじみのトリコロール(3色)のスマートなユニホームと同じように、心地よいリズム感のある華やかな攻撃。ショート、ショート、ショートを短いパスをつなぎ、わずかなスキ間を見つけてパスを通す。そのタイミング、コースのうまさは、サッカーのひとつの醍醐味ともいえた。

 その基となっているのが、1人ひとりが狭いスペースでボールを扱う能力。もち方がうまく、すぐそばにいる敵にも取れそうにない。そしてその安定したもち方から、1人で突破(アルゼンチンのように)してゆこうとするのでなく、仲間のみつけたスペースへつないでゆく。

 GKを含めて守りに問題はあったが、このフランスの攻撃はイタリアを驚かせ、アルゼンチンを追い込み、ついには欧州の多くの記者に「フランスはアルゼンチンに敗れたのでなく、レフェリーに敗れた」という同情的な記事を書かせるほどだった。

 もっとも、わたしには、このフランスにとっての不幸は、結局、ベスト・チームを組めなかったこと、とくにウィングのロシュトーが負傷でコンディションのよくなかったこと(第1戦は欠場)が大きな失望だった。

 ロシュトーは1955年生まれ、ことし23歳。若いときからドリブラーとしての才能を認められ、正確なセンタリングとシュートをもつ代表的なウィングだった。ワールド・サッカー誌などでは「うなぎ」という形容を使っていたが、昨年、ニースで見たサンテチエンヌのロシュトーのドリブルはそれほど「なめらか」でなく、いささかギクシャクとしたところもあった。もっとも、切りかえしのタイミング、切りかえしてから次に出てゆくときに、一種独特の“間(ま)”があって、それが結局、敵の間を抜けて出る「うなぎ」のもとになっている、といった感じだった。

 そういう特異なウィングを欠けばせっかくの華麗な攻撃も、アクセント不足で、相手への大きなダメージとならなかったのではないか。
    


 1978年は、フランスがワールドカップ3位をかちえた58年スウェーデン大会から、ちょうど
20年。この国がワールドカップで上位に進出することは、ファッションの国、芸術の国などの一面だけをみていたわたしたち仲間のフランス観に、サッカー強国という、別のイメージを植えつけてくれるはずだった。

 1978年夏のフランス代表チームは、いろいろな意味で惜しいチーム。もう少し見たいタレント集団だった。

(サッカーマガジン 78年10月25日号)

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