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マルデルプラタ 寒い南風

デュイスブルクの声

 「こちらはとても涼しいので、サッカーだけに取りくんでいます。朝と、午前と、午後と、みっちりやっていますよ」
 
 暑い大阪からデュイスブルクへ電話をかけたら、元気な松本育夫監督の声がかえってきた。ユース代表候補の欧州遠征も終盤にかかって、だいぶ練習もし、成果もあがったという。若い人がみっちりやっていると聞くのは、うれしいことだ。朝早くから・・・・・・という松本君のことばに、涼しく、明るいヨーロッパの夏の朝と、その中でボールをける彼らを思い浮かべたものだ。


遅い6月の夜明け

 ヨーロッパや日本と逆の南米の6月、ブエノスアイレスの朝は遅い。

 6月3日8時にブエノスアイレスのアエロパルケを離陸したAU824便は、まだ暗いラプラタ河を北に見て、東南へ機首を向けていた。

 6月1日は開幕戦の西ドイツ対ポーランド。2日はアルゼンチンがハンガリーを破るのをリバープレートで見た。夜のアルゼンチン戦の前にプレスセンターのテレビでフランス対イタリアのそう快な攻め合いに心を奪われた。

 例によって夜の12時、日本時間の翌日お昼の12時に本社と電話で連絡し、記事を送り、寝たのが午前2時。寝不足でボヤーッとしていても、飛行機に乗るときはうれしくて眠気は飛んでしまう。

 アルゼンチンにはアルゼンチン航空(AR)とアウストラル(AU)の2つの航空会社がある。ARのほうは日航と同じように国際線もやっていて、AUは全日空というところか。両方ともサービスは悪くないが、国内専用だけにAUのほうが、搭乗記念(といっても単なる紙切れだが)をくれたりして、少し心づかいが細やかな感じがする。朝の機内食は菓子パンとジュースがうまい。


カジノのある大ホテル

 ラプラタ河を左に見ていた機は、やがて針路をかえ、はるか左に大西洋をのぞむ。しばらく内陸部を飛んで、洋上へ出た、と思うとマルデルプラタ空港への進入にはいっていた。

 マルデルプラタは、ブエノスアイレスから400キロ、50分。銀(プラタ)の積み出し港として、そして、いまではカジノのある避暑地として夏(12月〜2月)に多くの観光客を集め、平常40万のところへ300万人が押しよせるリゾート都市だ。

 ここでの私の目的は、もちろんブラジルの試合。3日午後1時45分のブラジル対スウェーデン。この日には、第3組、第4組の各2試合があった。時間のかさならないペルー対スコットランド(コルドバ)、イラン対オランダ(メンドーサ)はプレスセンターのテレビで見る。

 マルデルプラタでの宿泊はグラン・ホテル・プロビンシャル。カジノのホールをもつ、ばかでかい、当地1番のホテルという。それがカジノのホールを大会中プレスセンターとして開放し、電話、電信から記者室、机、タイプライターを備えている。

 スタジアムは市のスポーツセンターの一角にあって、この大会のために国費で建設された近代的なデザイン。ただし、みなさんがテレビでもご覧になったように芝の根がついておらず、ブラジルのボール扱いの職人たちはその職人芸を発揮できずに、すっかり気を悪くしていた。

 テレビではクビヤス(ペルー)の右足のFKが印象的だったが、それよりもスコットランドの不出来に気が重くなった。そしてまた、オランダには“安定”はあっても74年のあの“驚き”はなかった。


海岸のドライブ

 翌朝、ホテルの食堂で海を見ながらコンチネンタルブレクファストをとる。アルゼンチンではホテルの宿泊料には朝食ははいらない。

 コーヒーは、ブラジル同様ブラックをのむ人も多いが、ブラジルほどの香気に乏しい。したがって、こちらはミルクコーヒー(カフェ・コン・レチェ)をたのむ。

 海を眺めているうちに、思いついて、プレスセンターの係に市内観光のタクシーのチャーターを頼む。手分けして電話をかけ、20ドルで1台見つけてくれた。

 英語のしゃべれる運転手は、ときおりの雨の中を、漁港、漁師の町、高級別荘地を回り、この家はいい形だから写真をとったらどうか、これは有名な××の家だ!などと説明し、海岸ぞいに走る。
 
 道路から見える小さな軍港には、古ぼけた潜水艦が浮かび、その手前の芝生の練兵場にはゴールポストが立っていた。そして1隻の海防船が青と白の旗をかかげて沖を航行していた。

 雲の多い空は、岬ひとつ南へこえるごとに暗さをまし、大西洋の波は、そのたびに荒々しくなるのだった。車をおりて浜に立つと、この南風の冷たさはどうだ――そういえば、ここにビエンストール(南風)という曲があった。が、あれも、われわれの感覚の南風でなく木枯らしのことだった。

 太陽が北に照り、南風が冷たいという北半球とまったく異なるここの自然のなかで、だれも南に憧れをもちつづけてきたアルプス以北のヨーロッパ人たちは、どんなふうに感じているのだろうか――初日いらい冴えない中、北欧勢のプレーを思いながら、わたしは、しばらく南大西洋の暗い海原に見入るのだった。

(サッカーマガジン 78年10月10日号)
 

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