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メンドーサへ D・ローとの会話

メンドーサの魅力

 6月11日、ブエノスアイレスの国内便空港アエロパルケを午前7時に離陸したAR(アルゼンチン航空)554便は、機首を西にメンドーサをめざしていた。

 この日のメンドーサ行きは、はじめの予想では、第4組の1、2位を決める試合になるはずだったが、スコットランドは、いきなりペルーに敗れ、まさかのイランと引き分けてすでに2次リーグ進出は絶望的となっていた。したがって勝敗の興味なら、同じ日にマルデルプラタで戦う第3組のブラジル対オーストリアだったが、英国4協会からただひとつ本大会へ出てきたスコットランドと前回2位のオランダ、それにアンデスの最高峰アコンカグアと田園都市メンドーサと4つの要素が絡む魅力に結局、引き寄せられてしまった。



 「デニス、この新聞写真はだれだい」
「ジョーだ。ジョー・ジョーダンだ」
“ベルト着用”のサインが聞こえてしばらくしてから、通路の向こうと、わたしの隣席の男のやりとりが聞こえた。
“デニス・・・・・・やはりデニス・ローだった”とわたしは胸の中でつぶやく。アンデスを見ようと右窓ぎわの席を占めたわたしの左の席へ彼がはいってきたときに、そのダニー・ケイ(有名な映画スター)に似た顔つきから、ローだと気づいたが、「金髪の悪魔」といわれたにしては、いささか髪が茶色がかっているのと、思ったより背が高いので、確信が持てなかったのだった。

 7時30分に朝の飛行の慣例でパンとケーキとコーヒー(または紅茶)をスチュワーデスが配る。しばらく目をつむっていた彼が、紅茶を飲むのを横目で見ておいて話しかける。
「あなたは、デニス・ローですネ」
「そうです」
「わたしは日本のスポーツ記者です。4年前西ドイツでの大会であなたとスコットランド代表チームの練習を見にいきました。あのフランクフルトに近いタウヌスの山中です」
「ああ、覚えていますよ。タウヌスの山の中のグラウンドでね」


理想のインサイドFW

 デニス・ロー(Denis Law)は1940年2月24日スコットランドのアバディーンで生まれた。4年前の大会のときは34歳。出場選手のなかで最年長で、すでに最盛期をとっくに過ぎていた。

 学校を出るとすぐプロ入りし、18歳で代表に選ばれるという“神童”ぶりで20歳のときにマンチェスター・シティに買われ、翌年はイタリアのトリノが彼を求める。そして1962年、彼は再びイングランドに戻る。今度はシティではなく、マンチェスター・ユナイテッド。11万5千ポンドは当時イングランド最高の移籍金だった。16年前の1億1500万円である。

 このころから1960年代の後半にかけての彼は、グラウンドの“王”だった。そのブロンドは金色の王冠になぞらえられ、相手にとっては悪魔のような男というところから“金髪の悪魔”といわれるようになった。

 古いポジションの呼び名でゆけば、彼は理想的なインサイドフォワードとされた。とくにゴール前へ上がってゆくときの強さは抜群だった。そのシュート、ドリブル、ジャンプ、ヘディング、そしてスピード。壮烈なオーバーヘッドキックで点を取ることもあり、名GKバンクスにも、ハイクロスに合わせてとびこんでいく彼のジャンプは脅威だった。なにしろ、あのジョージ・ベストが「彼はどんなときでも自分の思いのままにプレーできる選手だ」と讃嘆したほどだ。


シュートはインステップ

 こんどの大会には新聞の解説で、もちろんスコットランドを主に見ている。だからコルドバへはすでに2度いったそうだ。
「スコットランドがオランダに大差をつけて勝つとは予想できないから、2次リーグ進出はむずかしいですネ」
「そうです。もう望みはないでしょう。いい試合をしてほしいと思っているんです」
「印象に残るチームは」
「イタリアです。非常にバランスがとれていると思います」

 スチュワーデスが、紅茶、コーヒーのお代わりをつぎにくると、彼はコーヒーですね、と念をおして注文してくれる。ちゃんと、こちらの手もとを先に見ておいてくれている。

「最近のプレーヤーは足の甲(インステップ)できっちりボールをとらえることより、曲げる球をけろうとする傾向が強いのですが、どう思いますか。わたしは西ドイツのフィッシャーがボールの下をすくってポーランド戦でゴール近くから高くバーを越したのを見ましたが、ああいうのを見ると、よけいにそう思うのです」
「シュートはやはり、インステップでけるのがいちばんです。正確でまた強いシュートができますからネ。サイドキックでも、もちろんけります。これは正確にねらうということでは、安定していますからね」

 ことさらに、現代のプレーヤーについてはふれず、彼はさらりと、しかし、熱心に手真似をまじえてインステップとサイドキックのシュートの正確性を強調した。

インステップ論が終わると、彼のほうから日本のサッカーについて聞いてくる。ジョージ・ベストが彼のことを書いた一節に「デニスは知識欲が旺盛で、テレビでいちばん好きな番組はクイズ、それも大学生が好む知性派の番組だ」というのがあったのを思い出す。

 軽食のあと、彼はしばらくうとうととする。わたしは、“スコットランドの巨人”に会えた興奮で、睡眠不足はどこかへとんでしまった。そして8時40分、メンドーサ空港につくと機窓を通してはるかな西の山なみの上に、ひときわ大きいアンデスの巨人アコンカグア峰(6960メートル)が真っ白な姿をあらわしていた。

(サッカーマガジン 78年11月10日号)

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