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マラカンナはブラジルの看板

 1992年7月19日、リオデジャネイロのマラカンナ・スタジアム2階席の一部が崩れて二人が死亡、87人が負傷という惨事があった。1950年に建設された20万人収容という、ブラジル・サッカーのメッカで起きた事件は、多くのブラジル人に大きなショックを与えた。
 マラカナは、英語でいえばミュニサバル、つまり市営競技場ということになる。1950年のワールドカップをブラジル国内で開催したとき、ベロオリゾンテ、ポルトアレグレ、サンパウロ、クリチーバ、レシフェなどとともにリオデジャネイロも開催都市となったが、このとき世界は、例を見ない大きなスタジアムの出現に驚かされた。
 大会最終日、ブラジルが引き分ければ優勝という対ウルグアイ戦には、有料入場者199,854人を記録。そのほとんどの期待を背にしたブラジルが、1-2でウルグアイに敗れたことも、また大きな驚きでもあった。
 いらい、このスタジアムはブラジルの看板、リオの名所となり、年間に100試合、200万人を越す観衆を集めるだけでなく、リオの観光コースの一つとして多くの人が訪れるようになった。1970年に発表された資料によると、1950年6月から70年までの20年6か月試合総数は1,823。その観客総数は58,182,003人。5,800万人というブラジルの人口の半分にあたる人が、ここでサッカーの試合を見たことになる。その後の20年間、つまり現在までを加えると、ブラジルの人口(1億2千万人)に近い数が、ここで観戦したことになるだろう。

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