賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >丘の上のオランダ宿舎

丘の上のオランダ宿舎

ワールドカップ・クイズとサッカーの絵

 英国BBC放送のワールドカップ・クイズに当選した神戸の吉田清一さん(81)が夫人のカメさん(75)といっしょにロンドンへ招待され、アルゼンチン、オランダ両国選手のサインボールやサッカーの風景画などを贈られたという先号トピックス欄の記事は、やっぱりBBCだなァ、と楽しかった。六甲山麓の吉田さんのお宅へお電話して、そのうちにサインボールなどの写真を撮らせてほしいとお願いしておいた。そのときのお話では、6年前に日本貨物検数協会の理事を退かれるまで、ずっと海運畑だったとか。「若いときは大阪商船に勤めていたんですヨ」と聞いた。大阪商船といえば、先月号のワールドカップの旅でふれた「あるぜんちな丸」の会社である。「サッカーは好きで、ちょいちょい見た」吉田さんにお目にかかれる機会が楽しみだ。別送の風景画というのもどんなものだろうか・・・・・・。

 サッカーの絵といえば、今度の大会中ブエノスアイレスで女流画家、スサーナ・ソロさんの個展があった。18年間、サッカーをテーマにしてきたという女史の絵には、ゴール前の競り合いや、ボールをめぐる1対1の争い、そして勝利の喜びなどが生き生きと描かれていた。


アコンカグア南面

 BBC放送のクイズから絵画の話になったが、今回の“ワールドカップの旅”は前回に続いてアンデスのドライブ。

 メンドーサから約100キロ、ウスパヤタ(ウスパジャタ)はアンデスの前山群ともいうべき3000メートルから4000メートルの山塊と、アンデス主山脈との間にある高度約1750メートルの広大な盆地だった。メンドーサ河の本流と北からの大きな支流が合うところ。季節がら“木々は緑に”
とはいかないが、水の豊かな、まさにビッグ・バレー、牛や馬が放牧され、兵営もあった。

 そこからさらに100キロ、メンドーサから193キロの国境の村、ラスクエバスは、冷え冷えとした空気の中で静まっていた。国境を越えるバスがやってきて、乗客は旅券の検査を受ける。道路の左手の丘にキリスト像があって名所なのだが、道路は氷結して車は行けない。小さな税関の建物の内部の壁に、ワールドカップのアルゼンチン代表チームの1人ひとりの写真入りポスターがはってあった。

 南米大陸最高峰アコンカグア(6960メートル)を見たのはラスクエバスへ着く少し前、正確には1978年6月12日12時25分、道路の脇にアコンカグアとある大きな看板が立っていて、その地点が巨峰の展望台ということらしい。はるか谷の最奥、雲間にあらわれた南面は、壮烈な険しさだった。

 日本やヨーロッパのアルプスなら北は地面が日が当たらず、寒くて氷が発達する。アイガーの北壁やマッターホーンの地壁など北面は難所の代名詞だが、南半球のこの北域では南側が日は当たらず寒く、北面は明るく輝くのだ。


オランダ宿舎は1300メートル

 ウスパヤタとメンドーサの中間にあるポルトレリジョスで、オランダ・チームの宿舎「グラン・ホテル・ポルトレリジョス」へ寄った。前もって許可を受けていなかったので衛兵に丁重に立ち入りを断られた。丘の上にあって見晴らしのよいスペイン風のこのホテルは、この次メンドーサへ来るなら、
ぜひ泊まってみなさい、とイグレシアス通訳が勧める。

 確かにすばらしい環境だ。だが、オランダ選手は、必ずしもこのホテルがよかったわけではない。レンセンブリンクは、ノドを痛め、頭も痛いといい、何人かが風邪をひいたとも聞いている。
「なぜでしょう。こんないいところなのに」とイグレシアス氏。

 前日、6月11日のオランダ・チームの動きは鈍かった。得失点の計算上、勝たねばならぬというわけではなかった。そんな気分的なものがあったにしろ、1次リーグのオランダは期待はずれだった。
 
 彼らは、こういう空気の乾いた高原地帯は肌に合わないのではないだろうか。ホテルは1300メートルで、高度の影響が出るほどの高さではないが、大陸の内部にあるということとともに、海に近く、海抜0メートル、いや0メートル以下のオランダとはずいぶん違うはずだ。

 なんとなく、わたしは4年前の西ドイツ大会を回想した。ドイツ語でニーダーラント(低い土地)と呼ばれる国からきた彼らは、ハノーバーやゲルゼンキルヘンのいわゆる低地ドイツで猛威をふるいながら、山の都・ミュンヘン(高度700メートル)で敗れたのを・・・・・・。

 では、コルドバやブエノスアイレス、あの低い土地でのオランダ人の2次リーグ以降の試合ぶりは、いったいどんなふうになるのだろうか――。

(サッカーマガジン 78年12月25日号)

↑ このページの先頭に戻る