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ヨハン・ニースケンスの牽引力

 ウィーンからの絵ハガキ

 ウィーンのシェーン・ブルン宮の美しい絵ハガキをもらった。フィギュア・スケートのかつての日本チャンピオン平松(旧姓・上野)純子夫人。発信地はフランクフルト。

 3月中旬にウィーンで行われた世界フィギュア選手権大会に、国際審判員としてペアのジャッジを務めてアメリカへ帰る途中だった。彼女はニューヨーク勤務の商社マンのご主人、2人の息子さんとともに数年の滞米生活。ことし5月には帰任の予定で、その引っ越し準備の多忙の中を、無償の名誉職たる審判の仕事で大西洋を越えたのだという。
 「今度の大会は渡辺絵美ちゃんが3位入賞し、日本の関係者は大喜びでした。私もジャッジとしての初の“世界”に緊張しましたが、まずまず・・・・・・。シェーン・ブルン宮は夢のような美しさです」とある。ロココ調の優美さで有名なこの宮殿は、ハプスブルク王家の夏の離宮だった。ハプスブルク家とくると私たちサッカー人は、あのオーストリア・ハンガリー帝国のフランツ1世と同じ名のサッカーの“皇帝”フランツ、すなわちベッケンバウアーを連想する。

 そういえば、78ワールドカップの帰途、アメリカでのベッケンバウアーを見たいと、ニュージャージーのジャイアンツ・スタジアムでコスモス−アズテックスを観戦したが、そのとき入場券を購入し、土地不案内のスタジアムへ運んでくれたのが平松夫人だった。


 イタリアHB団

 さて1978年6月21日、同じ“世界”でもこちらはサッカーのワールドカップ、2次リーグ最終日のブエノスアイレスは晴天、午後1時45分の気温は13・2度と、まるで春のよう。

 満員の観衆が起立する中で、両国国歌の吹奏。この大会でナマの国歌を聞くのは、オランダ2度目、イタリア4度目。壮重なオランダ国歌は、人口1300万、関東地方より少し大きいぐらいのこの小国のワールドサッカーでの位置を示す響きがあった。

 しかし、前半は明らかにイタリアが優勢だった。その因のひとつは、オランダがミッドフィルダーのニースケンスを後退させ、イタリアのロッシのマークにあてたからだった。ニースケンスは守備もうまいが、やはり攻撃に使ったほうがいいに決まっている。第一、彼が後ろへ下がることで、チーム全体の姿勢が攻めよりも守りになるはずだ。もちろん、老練のハッペル監督はそれも読んでいて、前半は守勢でゆこうと考えていたのかもしれない。

 それにしても、カウジオ、ザッカレリ、タルデリ、ベネッティの第2列が交互に前線へとび出してくるイタリアの攻撃はすばらしかった。その中で、口ヒゲをつけ、ちょっと背を丸めたカウジオのドリブルがきいていた。駿足、カカトでのボール扱い、浮きダマの使い方のうまい彼を止めるために、若いポールトフリートはファウルを重ねた。19分のイタリアの得点は、その見事な第2列の突進からでなく、ベテガの突進、例によって浮きダマに対する寄りの早さに、遅れをとったマーク役のブランツが後方からボールをける格好となり、これがGKを抜いてゴールへころがりこんだ。


 オランダのロングシュート

 後半にはいると形勢が一変した。ニースケンスが最後尾から前線へ進出し、その速さ、ジャンプ力、動きの広さでイタリアの守りを苦しめた。相手のFBの前でヘディングをとろうとするニースケンスは、衝突して倒れる場面も再三あったが、その体をはったプレーと気迫はチームに感染した。前半に2本しか出なかったオランダの中距離シュートが5本も砲門を開く。まず5分に、ブランツのあの20メートルの強シュートで同点。

 この日のノートに、私は思わず、大会のハイライトの得点と書いているが、31分に、もっとすごいハーンの長距離シュートが生まれた。

 逆転してからのオランダは、“74年の驚き”の再現だった。いま思えばニースケンスがベストコンディションだったら、大会は初めからもっと盛り上がっていただろうに・・・・・・。


 キープは有効な守り

 もっとも、前半と後半の形勢変化には、もうひとつ、イタリアが右ウイングの名手、フランコ・カウジオを引っこめたのも大きく作用したと思う。
中盤の右サイドでタッチぎわのキープも、中への切り込みも、自在にできる彼がいるのといないのでは、相手のディフェンダーに与える脅威が違う。彼のように、相手の裏へドリブルで抜いて出る選手は、その武器があるだけに「持ちこたえのキープ」もできる。オランダの激しさと運動量に圧迫されるとき、もし、彼が、タッチぎわにいてボールを受け、たとえ攻めなくても、攻めに出る気配を見せておいて、ボールをもちこたえてくれれば、乱れた守備網をチェックしなおせるだけでも違ってくる。

 さきの日韓戦で、後半押し込まれたとき、中村一義のドリブルが守りを楽にしたのは皆さんもご覧になったと思う。


 夜の部はさらにエキサイティング

 タイムアップ少し前に、コルドバのスコアが電光掲示に出て、場内が沸く。オーストリア3ー2西ドイツ。オーストリアの皇帝の名前から、自らのキャプテンを“皇帝”と呼んだドイツのファンは、いまアメリカへ去った自分たちのフランツ・ベンッケンバウアーの偉大さを思ったに違いない。

 「やはり、ワールドカップの決勝出場をかけたリバープレートは見ごたえがあった」と満足してプレスセンターへ引き上げる私は、その夕方から夜にかけてテレビの前で2次リーグB組2試合の大エキサイテイング・ショーを見ることになる。
  
(サッカーマガジン 79年5月10日号)

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