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”アデランテ・メヒコ”のリズムも心地よく、甦るアステカの興奮!

 メキシコ代表の合唱

 エレ キポ ティコロ
  ティエネ ムチョ コラソン
 イエン ラ カンチャ ロ デモスターラ

 コネスタディオ イアフィシォン
  コナロホイ コンバロール
 フビロソス デセ アフィートリオン
 El equipo tricolor 
  tiene mucho corazon
 Yen la cancha lo demostrara
 Con estadio y aficion
  con arrojo y con valor
 Jubilosos de ser anfitrion
 コネトレーガ(メヒコ)
  イ コン フィーブラ(メヒコ)
 コナプローモ(メヒコ)
  コナドール
 ヤンテ トード ポル デランテ
  エラムビシオナル エル ゴール
 Con entrega(mexico!)
  y con fibra(mexico!)
 Con apolomo(mexico!)
  con ardor
 Y ante todo por delante
  el ambicionar el gol.

 バスは快速で走っていた。2人分のゆったりしたシートで、わたしはテープレコーダーのイヤホンから流れる歌声を聞いていた。

 1986年6月4日、早朝5時すぎにメキシコ・シティのホテルを出発し、ケレタロへ向かうチャーター・バスだった。

 曲は「アデランテ・メヒコ」(!ADELANTE MEXICO!)この大会のために作られてメキシコ代表チームが歌っている。

 “エル・エキポ・トリコロール”が “エレ・キポ・ティコロ”と聞こえる出だしの部分から、明るく調子がよくテレビなどを通して、メロディーはなじんでしまった。到着早々にプレス・センター隣のホテル「エル・プレジデンテ・チャペルテペック」の売店でレコードとカセットテープとを買った。どちらも1500ペソだったか、レコードのジャケット(写真)の表紙は代表チーム(ラ・セレクシオン・メヒカーナ・デ・フトボル)21人。裏面は21人の1人ひとりの顔とサイン。代表は22人だが、ウーゴ・サンチェスが抜けている。録音のときに、レアルマドリード(サンチェスの所属クラブ)の都合がつかなかったのだろう。

 B面はレコードもカセットも「ラ・オーラ・ベルデ」(LA OLA VERDE)“緑の波”。

 アデランテ・メヒコは“進めメヒコ”ということになるか。

 プレス・センターの通訳、グロリア・ベレンデス・ラミレス嬢が教えてくれた歌詞の意味は――、
 「メキシコ・チームは心あたたかく
フィールドでは
熱情と豪胆と勇気を持ち
開催の大きな喜びを示す
全力を尽くして戦い
 クールで情熱的で
 ゴールへの意欲を
 持って進む」
といったことらしい。

 歌詞は2番まであり、2番はくりかえしになる。

 4分の4拍子の楽しいマーチを聞いていると、前日のメキシコ−ベルギー戦、あのアステカ競技場の興奮がダブってくる。


 アステカ競技場、10万人の大合唱

 「6月3日、朝は雨が強く、10時前には巨大なアステカの屋根から水がもっていた」と、わたしのメモにある。

 プレス席の机に大ツブの雨が落下するので驚いて見あげたら、なんと屋根に、ところどころ穴がみえた。その強い雨が止み、両側のゴール前のシートが片づけられて両チームが練習をはじめる。

 ベルギーは、1980年の欧州選手権のときからのGKパフ、DFのゲレツ、FWのバンデンベーグ、MFのバンデレイケン、クーレマンスらがいるが、メキシコのプレーヤーは今回が、わたしには初めて見る顔ぶれ。

 ユーゴ人の監督ミルチノビッチは試合前に練習で、短いダッシュを2回、スワープを1回、ターン(5度)を1回、ラン・アンド・ジャンプを1回、全員にやらせていた。

 試合前のセレモニーで、選手が整列したとき、機械の故障で国歌が場内のマイクに流れず、いささか拍子抜けだったが、スタンドからメキシコ国歌が沸きあがり、それがたちまち、10万人の大合唱となった。グラウンドに散りかけたメキシコ代表は円形に立って、胸に手をあて、ともに歌う。

 ホストチームとして大きなプレッシャーを背負っている選手たちにとっては、この大合唱は、なによりの激励になったに違いない。


 メキシコのセットプレー

 はじめのうちは、どちらも慎重だったが、メキシコの攻撃が、思ったよりオープンにボールを出すのに感心する。22分に右よりのFKからキラルテのヘディングでメキシコがリード。トーマス・ボーイのけったボールに対して、3人の緑(ベルデ)のユニホームがとびこんだ、その真ん中にキラルテがいた。

 FK、CKのチャンスにCBが参加するという、典型的なセットプレーをきちんとできるところに、練習量がうかがえる。

 深くて重い芝で、鈍くみえるベルギーに対して、メキシコの動きは軽快で、37分には左のCKから2点目が生まれる。トーマス・ボーイのけったライナーを、二アポストのアギーレが頭で流し、ファーポストのサンチェスがノーマークのヘディングで叩いた。

 この国のサッカー界で1番の人気選手、サンチェス。彼の名前ウーゴ(HUGO)にひっかけてスペイン・リーグの得点王“ウーゴール“・サンチェス(”HUGOL“SANCHEZ)という本がよく売れている。テレビでもネッスル社のコマーシャルでもオーバーヘッドキックをみせている。

 そんなスター・ストライカーの得点でスタンドはそれこそ、ラ・オーラ・ベルデになる。

 緑のユニホーム、白いパンツ、赤のストッキング(歌にあるトリコロール=3色)に対し、白ユニホーム、赤いパンツのベルギーは、前半終了間ぎわに1点をかえす。

 右サイドからのゲレツの長いスローインを、GKパブロ・ラリオス・イワサキがパンチを失敗し、ゴールマウスへ流れたのをバンデンベーグがヘディングした。

 後半はベルギーがクーレマンスを前に出し、じわじわと圧迫したが、メキシコは交代選手(ボーイに代わってエスパーニャ)を入れて守りを強化して2−1で逃げ切った。

 ホスト国のチームが、よくトレーニングされているのと、MFのトーマス・ボーイのパスのうまさにうれしくなったが、気になったのは、ちょっとファウルの多いこと。感心したのは、観客が終始、チームを励ましたこと、例の立ち上がってバンザイの格好(両手をあげる)をするオーラ(波)をくりかえし、好プレーにはかん声で、安易なバックパスなどには口笛で非難するなど、ツボを心得た応援ぶりだった。

 競技場を出てからが大変だった。プレスバスで、いつもなら30分〜40分でプレス・センターに帰りつくところを3時間もかかってしまった。勝利に興奮した若者たちがメーンロードで踊り歌い、車が動けなくなってしまったのだった。車が渋滞すると排気ガスが立ちこめる。暑さと、ガスのニオイで気持ちが悪くなったものもいた。

 道路のマヒは、夜になっても続いた。プレス・センターから自分のホテルへ帰るのに、タクシーの運転手さんは目貫き通りをさけて回り道をした。単に勝利を祝うというだけでなく、日ごろ抑圧された不満を爆発させる貧しい若者たちが多かったという(不満のひとつにワールドカップの入場料が高すぎたこともあるとか)。

 *   *   *

 そんな前日の回想は、ようやく、明けはじめた窓外の景色とともに、きょうへの期待に変わってゆく。

 いずれにしても、メキシコの1勝は大きい。

 1970年のワールドカップでこの国は準々決勝へ進出したが、その1次リーグの第1戦は、ソ連との0−0の引き分けだった。それにくらべると、今回のスタートはずいぶんいい。メキシコFAも、大会組織委員会も、メキシコの“前進”にホッとしているだろう。

 寝不足の、いささかボヤーッとした頭だが、車窓に展開する雄大な景色(それに思ったより山が多いこと)と“アデランテ・メヒコ”のリズムは、わたしの心を浮きたたせる。ケレタロでは、どんな試合がみられるかな――。ハイウェーを200キロ余り向こうで、この日12時キックオフのE組第1戦、南米の小さな巨人・ウルグアイとヨーロッパの王国・西ドイツの対戦に、はや心はとんでゆくのだった。

旅の日程

▽6月3日 メキシコ・シティ
▽6月4日 メキシコ・シティからケレタロヘ

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