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パラグアイのロメロの成長を喜び、ウルグアイの大敗に”雨の神”を思う

 25歳のロメロ

 ロメロが歌っていた。その口もとに薄いヒゲがついていた。

 1986年6月7日、メキシコ・シティのアステカ競技場、気温30度、湿度20パーセント、風速2メートル、観客114500人。1次リーグB組メキシコ−パラグアイ。キックオフ前の国歌吹奏のとき、例によって双眼鏡で1人ひとりの表情を眺めながら、わたしはパラグアイのフリオ・セナル・ロメロの7年前を思い出していた。

 1979年夏に日本で開催された第2回ワールドユースで、わたしたちは天才・マラドーナに初めて接したのだが、このとき、ウルグアイのルベン・パス、韓国の崔淳鎬、李泰昊、パラグアイのロメロ、カバニャスなどの俊才をみることもできた。

 とくにロメロは、パラグアイの1次リーグ会場が神戸だったので、印象が強かった。FKの見事なカーブシュート、スルーパスを出すタイミング。もちろんボール扱い・・・・・・。

 大学在学中の彼は、チームの中では数少ない英語を話せる選手だった。礼儀正しく、準々決勝でソ連とPK戦で敗れたあとも、スタンドに別れのあいさつをしていた。

 ユース大会からしばらくして、北米リーグのコスモスにはいった。60万ドルとか80万ドルとかの契約料が伝わってきた。人口300万人の小国パラグアイではトップ・リーグのチームも、それほど裕福ではなく、いい選手は国外に流れる。ロメロはコスモスからブラジルのフルミネンセに移り、昨年は「南米最優秀プレーヤー」に選ばれていた。


 速さとインテリジェンス

 面白いのは、日本で若い彼をあまり評価しなかった人もあったことだ。走る格好がよくない。速くないという点も気になった。しかし、キックがいいこと、変な格好でも、ドリブルで相手を2人つづけて抜けること、なによりも敵味方の状況をみて、いいパス、それも中・長距離を出せること――インテリジェンスのあることが、わたしにはうれしかった。

 どういうものか、日本のサッカー人のほとんどは“遅い”、“のろい”という点を一番嫌う。成長期の釜本邦茂でさえ、「遅くみえる」ということだけで、評価の低かった時期もあった。だからロメロも「モノにならない」とみた人があっても不思議ではない。それが、いまでは南米を代表するスターになっている。

 試合はメキシコのキックオフではじまり、大声援を背にした地元チームが、2分に先制点を挙げる。GKラリオスからのボールを左よりのトーマス・ボーイがうけて、左前を走るセルビンへ。セルビンのセンタリングを取ろうとしたパラグアイのサバラがサンチェスともつれて倒れる。右外から走りこんだフローレスがノーマークとなって、右すみへきめた。


 ファウルまたファウル

 前半はこのメキシコの1ゴールだけ。両チームとも攻撃正面が狭く、グラウンドの半分くらいの広さのところに、22人がひしめき、その狭いところを意地になってボールを通そうとする。いわば典型的な古いタイプの中・南米サッカー。それでいて、テクニックがうまいので、結構スリルもある。ただし、接近戦が多いから、いきおい、ホールディングやトリッピング、なかには、ヒジ打ちなど、反則が続出する。相手にからまれ、カッとなって反則する。それに対して、相手は、つぎにちゃんとお返しをする。地元という甘えがあるのか、メキシコの反則が目立つ。あまりひどいので、勘定してゆくと10分間にメキシコが7、パラグアイが5あった。(試合後のテレビでは90分間でメキシコの反則は40あったという)


 ロメロの得点、サンチェスの失敗

 こういう調子がつづいて、最後に乱闘になるんだナ、とラテン・サッカーの一面をあらためて納得するが、さすがに、ここはワールドカップのヒノキ舞台、イングランドのコートニー主審の笛は巧みにコントロールし、試合は乱れそうで乱れない。

 後半にはいってパラグアイが攻め、メキシコは受け身になる。6分のFK、ロメロの一発は高くあがり、スチェティナのFKのリバウンドをトラレスがシュートして右にはずす。

 ロメロがタッチするパスが生きはじめ、小さいロプがメキシコDFラインの背後に落ちはじめる。

 後半37分にロメロのクロスをイックスがヘッドして右ポストにあて、メキシコ側をひやりとさせる。そして40分に右スローインをグアシュが投げ、カニェテがつないで、ゴール正面でロメロがヘディングをきめた。

 攻めて攻めて、やっとの同点ゴール、喜びを爆発させたロメロたちは、3分後に地獄に落とされる。

 反撃に出たメキシコのサンチェスにDFがファウル、PKとなった。

 しかし、左足で、左スミを狙ったサンチェスのシュートをGKフェルナンデスが、みごとに読んでセービング。いささかシュートが弱かったこともあるが、GKのファインプレーで、パラグアイは、地獄からまた天国へもどることができた。

 6月4日にケレタロでウルグアイ−西ドイツ、5日にレオンでフランス−ソ連、6日にグアダラハラでブラジル−アルジェリア――と、欧州、南米の“大国”の試合を追ってきたわたしには、この日のメキシコ−パラグアイは戦術、戦略の面で“洗練”に欠けているが、かえって土俗的な面白さがあり、これがサッカーの原点なのかも知れない、などと考えるのだった。


 ウルグアイはティアロックの祟り

 ネサウアルコジョトルはメキシコ・シティの東の湿地を埋めた造成地。そのダウンタウンの中に新しいスタジアムがつったっている。
 
6月8日、プレス・バスで到着した午後3時半ごろから強い雨で、バスからスタジアムのわずかな距離でびしょ濡れになってしまった。
  
 1970年のワールドカップ・レポートは(英国人の書いたものを読んだせいか)暑さについての話はあっても、雨が多いなどということはなかった。6月のこの時期のメキシコ・シティは、雨の時期で、日本の夏の“夕立ち”に近い降り方をする。それも日によっては、どしゃ降りになる。「だから、雨を避けていた、といえば会合に遅れた言い訳としてとおるのです」(ある在留邦人)ということになる。
 そんな雨で濡れて重くなったグラウンドで行われたE組のデンマーク−ウルグアイはまったく予想外の展開となった。10分にエルケーアのシュートでデンマークが先制。M・オルセンが持ちあがり、ラウドルップがパスをうけてタテに出て、エルケーアにわたした。もっともデンマークの得意なラインだった。

 そのラウドルップに、ウルグアイのCBボシオが、キッキングの反則を犯したところから雲行きが怪しくなった。狙ってけったようだったから、マルケス主審は、黄色を出す。そして、5分後にボシオが、アルネセンに対して、ファウルをした。そこでマルケス主審は、赤カード、退場を命じた。


 10人で攻める

 10人になったのだから、まず、守りを固めて追加点を阻み、そこを足場に同点ゴールをとろうとするのか、と思ったら、ウルグアイが意外にも再三、攻めに出る。

 4分にアルサメンディのボールを奪ってデンマークが速攻・長走で2点目をあげた。

 前半終了間ぎわにフランチェスコリが相手の反則を誘発してPKで1点を返したが、後半6分にラウドルップのシュートで再び2点差、あとはまったくデンマークの一方的な試合となった。

 試合後、ボラス監督は「守ってカウンターを生かすよう指示したのに」とがっくりだった

 球場からプレス・センターに向かうプレス・バスの中で、デンマークの壮快な攻撃、6−1の大勝を反すうしながらも、何故、ウルグアイが10人の不利で敢えて攻勢に出たのか、不思議でしょうがなかった。来日し、いっしょにお茶を飲んだことのあるボラス監督が気の毒でもあった。

 プレス・センターに近づいたとき右手の窓外に、石の像がちらりとみえた。国立人類学博物館の入り口に立つ「雨の神・ティアロック」の巨大で奇怪な姿だった。

 「うん、あの雨の神様の祟りかも知れない」と、とけぬ謎を押しつける“相手”をみつけたわたしは、一度博物館へゆこうーと、とりとめなく思うのだった。

旅の日程

▽6月7日 メキシコ・シティ
▽6月8日 ネサウアルコジョトル(メキシコ・シティ)

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