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芸術的で戦闘的、技術的で戦術的と、これこそサッカーの一戦の幸せに酔う

 ティガナは深呼吸をし、無精ヒゲをはやしたプラティニは、昂然と顔をあげていた。黄色のカナリア軍団(ブラジル)の左端にいるヒゲのソクラテスは胸に手をあて、右端のジュニオールは歌っていた――。1986年6月21日11時50分、グアダラハラ市のハリスコ競技場。試合前の国歌吹奏――記者席で起立しながら、双眼鏡で選手たちの表情をのぞく。スタンドを埋めたブラジルのサポーターの大合唱が沸きあがるなかで、わたし自身も、しだいにエキサイトする。ブラジル国歌が終わり、こんどはフランス国歌、ラ・マルセイエーズの親しいメロディーに、思わず「アロン・ザン・ファン・ド・ラパトリーユ。・・・・・・」と声が出てしまう。

 いっしょにラ・マルセイエーズを歌いながら、ブラジル−フランス戦という当代随一といえる試合をこれから見られる、という期待と、こんなに早く、両チームが対戦することを惜しむ感情とが交錯するのだった。


 互角の前半、ブラジルの先制

 ブラジルのキックオフで開始されたゲームは、あっという間に45分がすぎた。プラティニ、ジレス、ティガナの三銃士とこれを支援するアモロ、フェルナンデスでつくる短・短・短・長のリズミカルなパスワークは、ストピラ、ロシュトーの2人の対照的な2トップとみごとな歯車をつくって、ブラジルの堅固な守りを脅かした。

 一方、ブラジルは、ジーコを温存しながらも、ソクラテスとジュニオールを起点に、カレッカとミューレルの2人のスピアヘッドを生かして鋭く、フランス・ゴールに迫まる。

 82年ワールドカップの“黄金の4人”と呼ばれたミッドフィールド・カルテットは、すでに組めなくなったが、フィールドを縦横にかけめぐるアレモン、それにディフェンシブ・ハーフの深い位置から、攻めあがるエウゾなどが、ソクラテス、ジュニオールを支える。さらには右のFBのジョジマール、左のブランコが、再三、両翼に展開してパスの往路は豊富にあった。

 3分にアモロのシュート。そのあとにアレモンのロングシュートがとんだのを皮切りに、フランスは前半に8回、ブラジルは7回チャンスをつくる。はじめのうちフランスのパス攻撃にちょっと受身になっていたブラジルが12分のカレッカのドリブルシュートのあたりから、冴えてくる。相手ボールのときに、すばやく2人が寄せ、ときには3人で囲み、ボールを奪う。奪えば、そこから攻撃開始、前へ渡し、横へパスし、彼らの自在の攻撃をつづける。

 14分にソクラテスがペナルティーエリアの左内側でノーマークシュートをし、GKのリバウンドをカレッカがつっこんでCKとなる。左斜めへ出たボールを受けるさいに、ソクラテスがみせたターンと、それにつづく左足のシュートは、わたしにも意外だったし、フランス側も意表をつかれたのではないか。

 こういうとき、ディフェンダーはマークに迷いが出る。それが、されに状態を悪くする。フランスのGKバツのキックをブラジルが拾いソクラテスへ、右よりにいたソクラテスはタテにドリブルしてから、左手後方のジュニオールへ。ジュニオールは右タッチぎわに開いてフォローしていたジョジマールへ、ジョジマールは、ペナルティーエリア右端あたりのミューレルへ。ミューレルは左足で流すようにすぐうしろのジュニオールへわたし、自分は反転して再びパスをうけて突破の構えをしたのち、再びジュニオールへ。彼は左足で、自分の左に開いていたカレッカへ。まったくノーマークのカレッカは右足の強シュートを右コーナーにけりこんだ。


 外からの攻めで1点をかえす

 1点を追うフランスの攻めが忙しくなる。4試合無失点のこれまでの記録が示すようにブラジルの守りは、参加チーム中ナンバーワンとの評価だ。ジュリオ・セザールという黒人の長身DFと、主将のエジーニョの2人のセンターDFのディフェンスは、パーフェクトに近い。ヘディングが強く、体の反転はきき、読みがよく、粘り強い。その守りをくずすのにどのようなテがあるのか――。

 25分ごろに右サイドからアモロが進入して、深い位置からシュートのような早いクロスをゴール前に送った。ロシュトーがとびこんでGKカルロスともつれ、CKとなったが、それまでの中央地帯の攻めとは違うものだった。

「なるほど、やはりサイド(翼)から、DFラインの裏(GKとの間)を通すのを考えていたか――」

 39分のフランスの得点はサイド攻撃のバリエーションといえた。

 アモロとジレスがリターンパスを交換し、全体の動きがスローダウンしているとき、右斜め前へロシュトーが走り、そこへジレスからボールが届いた。ロシュトーは右外へ動きながら、ふりむきざまに、中へクロスパス、エジーニョの胸にあたったボールは、ゴール前に流れて、GKカルロスがつかもうとするところへ、ストピラがダイビングするようにつっかけて、カルロスともつれ、ボールは左ポスト前へころがる。そこには、プラティニが走りこんでいて、左足できめた。

 このプレーには実は伏線がもうひとつある。フランスが1点を失った直後に、ブラジルのペナルティーエリア外で、ロシュトーのふりむきざまのシュートをエジーニョがハラにうけて、しばらく苦しんだことがあった。

 このふりむきざまの、すばやいシュートはロシュトーの得意なプレーのひとつ。それをハラにうけたということは、エジーニョの位置どり(ポジショニング)の確実なことの証明でもある。39分の失点のときも、ボールはエジーニョの胸に当たったのだから、彼のポジショニングとしては間違っていない。ただし、ロシュトーのキックの早さ、ボールのタイミングを予測できなかったところに、コースに立ちながら、はじきかえせず胸をかすめてボールの方向がかわってゴール前を横切ることになってしまった。

 前半を終わったときの、わたくしのメモにこうある。

「芸術的で戦闘的で、技術的で戦術的、これこそフットボール、これこそサッカー。フランスは彼らが動かせるボールそのものに緩急があり変化があり、ブラジルは、ボールをもつときの1人ひとりに、ステップがあり、ターンがある。生涯、最高のスポーツエンターテイメントを見るしあわせに酔う。プレーをしている両チームも、いい相手と、いい試合ができることを喜んでいるのではないか――」

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 翌日の新聞にマラドーナの感想があった。

「ボクが見た試合の中で最高だ。いつまでもこんないい試合は見つづけたい、終わってほしくないと思った」


 芸術は死闘にかわる

 観戦する側は楽しくても、暑熱の中、プレーヤーは大へんだったろう。

 後半にはいってフランスの動きが落ちる。ジレスも、足を痛めたフェルナンデスも・・・。ブラジルが優位に立ち、再三、攻めこむ。しかし、フランスも、その半分の回数は、相手に迫まる。

 フランス・ゴール前のピンチは10秒後にはブラジル・ゴール前でのティガナのドリブルとなり、わたしのメモ帳は、書き込みでうまっていった。25分にブラジルはジーコを投入、ミューレルに代えた。そのジーコが、すぐみごとなスルーパスを送る。相手のパスを奪ったブランコが、ジーコに渡して突進する。一呼吸おいてジーコは斜行するブランコの前へ、ピタリと合わせる。ノーマークのブランコに、GKバツはとび出し、足を手で払う以外になかった。

 しかし、このPKをなんとジーコが失敗する。ゴール右側をねらったつもりのジーコのキックは、スミへはいかず、防がれてしまった。

 前半の終わりごろからブラジルのシュートに、体も読みもうまく反応していたGKバツは、このPKで、さらに“乗ってくる”。後半の終わりごろの守勢一方もみごとに切り抜けてしまった。


 ああ、ソクラテス

 延長にはいると、ブラジル側の疲れも目に見えてきた。それでも、なお1点を求めて攻めこむ両チーム。死闘と呼びたい過酷な戦いのなかにみせるテクニックはどちらも一級品だった。延長の後半にフランスにも決定的なチャンスがあった。ロシュトーに代わって出場したベローヌがノーマークとなってボールを追ったとき、ペナルティーエリアの外でGKカルロスが両手で突きとばした。明らかに反則だったが主審はアドバンテージをとり、バランスを崩したベローヌが結局ボールを処理できずに終わってしまった。

 そして、タイムアップ直前には、こんどはブラジルの決定的なチャンス、右からゴール前を横切るボールに対して、ノーマークのソクラテスがいた。しかし、ボールは彼の右足の下を通り抜けてしまう。スタンドのブーイングも当然だったが、わたしには、あれほどけんめいに走ったソクラテスが気の毒だった。

 それにしても、ソクラテスほどのプレーヤーが、左へ傾いた体を復原する力もないほど燃え尽きていたのか。


 運命のわかれ目

 12時にはじまった試合は2時間20分かかって1-1のまま終わり、こんどはペナルティースポットからのキック。つまりPK戦に移った。

 ブラジルの最初のキッカーがソクラテス。例によって無表情に、ボールから1歩のところに立ってけった。PKの失敗はほとんどないというソクラテスのシュートは、ゴール左上へ。しかし、タマは弱く、先にとんだバツが左手のフィスティングで防いだ。

 スタートからハンデを追ったブラジルは、2人目(アレモン)、3人目(ジーコ)がきめ、フランスは、ストピラ、アモロ、ベローヌがきめて2-3、4人目のブランコとプラティニ、ブランコはきめたのに、プラティニは、なんとバーをこしてしまった。

 超一流のシューター・プラティニの失敗でスタンドは大きくどよめき、ブラジル人たちは再び希望を取りもどす。しかし、5人目のJ・セザールのシュートは、左ポストを叩いてしまった。同じポストにあたっても、ベローヌのは、GKの背中にあたってゴールへとびこんだ。それもカルロスがとぶ方向を読んだからだった。天国から地獄へ・・・落胆するブラジル側に対して、フランス5人目のフェルナンデスが止めを刺す。右足のキックは、左スミにとび、カルロスは右へとんだ。ブラジル人とは逆にプラティニは、地獄から天国へ・・・、スタンドに向かってかけ出し、控え選手とだき合ったフェルナンデスのところへ、プラティニがとんできて、固くだきあった。

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 プレス・センターへ向かうバスの中で、力なく歩く黄色のユニホームを着たサポーターをみながら、ジーコやソクラテスの悲運に同情しながらも、これほどの試合のできる彼ら、ジュニオールやプラティニやジレスやロシュトーたちを羨ましく思うのだった。

旅の日程

▽6月21日 グアダラハラ

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