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互いに”本家”の自負を持ち競う対決でマラドーナは自らの偉大さを示した!

 プレス・バスの中で

「あなたはどこから」
「日本から」
「きょうは、どちらが勝つと思う」

 会場へ向かうプレス・バス。右隣に座った記者との会話。

「フィフティ、フィフティだろうが、マラドーナの調子がよければアルゼンチンだネ。あなたは?」
「わたしも予想はアルゼンチン。しかし、感情的にはイングランド。ロンドンに住んでいるからネ」

 1986年6月22日、メキシコ・ワールドカップは5月31日の開幕から3週間をへて、準々決勝に移っていた。

 前日、グアダラハラで、フランスとブラジルの好ゲームを堪能し、試合のあと、同市のプレス・センターになっているホテル「フィエスタ・アメリカーナ」で西ドイツとメキシコの熱闘をテレビ観戦した。フランス-ブラジル戦が技術の粋(すい)を尽くしたのなら、モンテレイでのこの試合は、“巨人”の名誉と、“開催国”の意地をかけた対戦で、西ドイツが後半なかばから反則退場で10人となるハンデを負いながら、0-0。延長は0-0となってPK戦で勝った。プレス・ルームの通訳のメキシコ美人たちが、試合の流れに興奮するのが面白かったが、時間の経過とともにドイツ人の体力がメキシコ人を圧倒するのが、狭い画面から伝わってくるのだった。例によって、グアダラハラ発の飛行機が遅れて、メキシコ市に帰着したのは深夜だったが、なにしろ、この日は、マラドーナ対イングランドの好カード。ホテルの朝食もそこそこに、プレス・センターにかけつけ、アステカ競技場へ向かうバスに、はやばやと乗りこんだのだった。


 アラブの新聞の国際性

 そのバスで隣り合わせたのは、ロンドンに住むアラブ人の記者。もらった名刺は折りたたみ式で、表紙はアラビア文字。あけると、M・A・AL AWAAM SPORTS EDITORとあった。

 彼の属している会社は「××××××ワッタスイート」という長い名前で、リヤドに本拠を置くとともに、ロンドン、ニューヨークと地中海の3都市に発行所があり、日刊新聞2紙と雑誌を発行しているという。

 記事や紙面のやりとりは通信衛星を使うらしい。アラブ語圏だけでなく、世界の2つの大きな中心地にも進出しているところがすごい。といったら、ロンドンにいる方が、いろんな圧力がかからないからいいんだという。

 石油によって豊かになった、とは聞いていたが、アラブの同業者のスケールの大きい国際性はちょっとしたショックだった。

「モロッコが1994年あるいは98年のワールドカップに立候補したそうだが、サウジにも、その意志はあるのだろうか」
「モロッコは非常に熱心だネ・・・・・・サウジアラビアはやろうと思えば設備の方はいいんだが、運営が問題だろう。実際の運営にあたる人の数(かず)が足らないと思う」

 なるほど、日本の8倍の国土に1千万人の住むサウジでは、スタジアムはできても、世界各国からの観客を受け入れ、宿泊させ、会場へ運ぶこと、世界中からの5千人もの報道関係のための通信、それらの設備はともかく、それを運営する人員の不足を心配するのか――。なんとなく納得しながらも、「施設は問題はないハズだ」という言葉にちょっとひっかかる。

 そして経済の超大国といわれながら6万人のスタジアム(サッカーに使える)が、ただひとつという、わが身にくらべると、いささか憮然(ぶぜん)として窓外に目をやるほかはない。


 “母国”イングランドと南米のパイオニア

 サッカーの母国イングランド。そのイングランドでFAが創立されてから、わずか30年後の1893年に、南米大陸でもっとも早く、サッカー協会(アソシアシオン・デル・フットボール・アルヘンチーノ)をつくったアルゼンチンは、いわばラテン・サッカーの源流。両者は、互いに尊敬しつつ、互いに“本家”の自負を持ってはり合ってきた。

 1966年にイングランドで開催されたワールドカップで、両国代表が対戦したときの対立意識は、欧州対南米の対立まで高まったこともあった。

 1982年のスペイン・ワールドカップは、フォークランド紛争の直後だけに、1次リーグを勝ち進んだ両チームが、どんな試合を演じるか注目されたが、どちらも別の組の2次リーグで敗退してしまった。

 こんどのイングランドは、1次リーグでのスタートはよくなかったが、3試合目から立ちなおり、相手DFラインの裏へ走り込む、両翼からの攻めと俊敏リネカーのゴールに伝統の光彩を輝かせた。

 アルゼンチンもまた、開幕前に気づかわれたマラドーナの故障は回復し、チームは試合を重ねるごとに、巧味と強さを増した。ビラルド監督と選手たちは1戦ごとに自分たちのスタイルに自信を持ち、自分たちのフィジカル・フィットネスを確信しはじめたように見えた。

 キックオフ前のセレモニー。アルゼンチンの新しい国歌の壮重なメロディー、そして、それを聞くマラドーナの表情に、彼の充実ぶりを感じ、そしてまた、耳に馴染みの英国国歌の吹奏と、それにつれて、右手側ゴールのうしろのスタンドから沸きあがる「ゴッド・セイブ・アワ・クィーン」の大合唱に彼らの期待の大きさを知るのだった。


 マラドーナ マラドーナ

 そんなイングランドのサポーターの期待、ロンドン在住のアラブ人記者の希望を、マラドーナが打ちくだく。

 ルジェリ、ブラウンの2人のCBの安定、クシューフォ、オラルティコエチェアのサイドバックの積極性、中央DFラインの前で、いわゆる“前方のリベロ”のような動きをするバチスタの自在。エンリケ、ジュスティ、マラドーナのMF、そしてブルチャガ、バルダーノのトップ。彼らMFとFWのバスケットボールのように、右から左、左から右と、移動する攻撃展開は、必ずしも一定しないために、相手DFにはつかみにくい。(1月に来日したビラルド監督にきいたら、試合によって、動く方向を変えたという。この試合では、マラドーナは、右後方から攻めるようにしていたと――)

 ために、イングランドは、アルゼンチンに対して後手で追うことになり、なかなか効果的な攻撃に移れない。

 前半を0−0で終わったあと、後半5分に奇妙な、そして驚くべきゴールが生まれた。

 左サイドでボールを持ったマラドーナが、中へドリブルし、相手に囲まれながら、中央のブルチャガにわたす。ブルチャガは浮かせて止め、これをパス(おそらく浮きダマで)しようとしたのを、イングランドのDFが一瞬早く、ポンとけった。ボールは高くあがり、とび出してきたGKシルトンがジャンプしてつかもうとしたが、それより早く、マラドーナが、ボールの落下点でジャンプしていた。

 スタンドから(この日はマラドーナを撮ろうと)カメラのファインダーをのぞいていたわたしには(まさかマラドーナの手があたったとは)わからず、ヘディングにしては、ずいぶん、いいタイミングだったのだなぁと思いながら、シルトンが、自分の左手をあげ、レフェリーになにかいっているのを、マラドーナの頭が彼の手に当たったから、ファウルといっているのだろうと思ったのだった。ボールがゴールインしたのを見ながら、一瞬、ちゅうちょしていたマラドーナは、やがて、かけ出し、タッチラインそとで、ガッツポーズをしてみせた。

(プレス・センターへ帰ってビデオをみたら、はっきりとマラドーナの手がボールを突いていたし、カメラマンの沢辺氏は、彼が手でボールへいったのを見た、といっていた)

 こののちに、議論の的となった得点から4分後に、マラドーナのスーパー・ドリブルによる、スーパー・ゴールが生まれる。

 ハーフライン手前の右サイドで、彼がボールを持ったとき、わたしは、どういうわけか、カメラをとりあげ、シャッターを切った。もとより、シャッターと、フィルムの巻き取りも手動、小さいといっても300ミリの望遠だから、マラドーナを追って焦点を合わせるのは、いささかアマチュアにはむずかしかったが・・・・・・。ともかく、望遠レンズの中での彼のスワープのすばらしかったこと。ことに、最終局面で、シルトンがとび出してくるとき、左肩をちょっと引いてけん制した(ように見えた)のにはヒザをうつ思いだった。ハーフラインの手前で、後方からボールを受け、外側にベアーズリー、内にリードと2人の相手をおき(ゴールを背にした状態)左足の小さなかかえこみで、反転から外へ逃げ、ハーフラインをこえてから、DFブッチャ−を左足アウトサイドで(ボールをタッチし)内にかわし、ペナルティーエリア外で相対するフェンウイックを、左足インサイドでボールを右へうつして外へ、タテにはずして、ペナルティーエリアに進入。外からブッチャーの追走を背にしながら、とび出して内側から詰めてくるGKシルトンを外へはずし、左足でシュートは一見、ころころと転ったように感じたが、あとでビデオをみると、相当なスピードで、キックした左足は、きっちり振られていた。4人を抜いて50メートルをドリブルし、なお、ゴールキーパーに対しての反応が適切であるところに、ディエゴ・マラドーナが、偉大なゲームメーカーであると同時に、スーパーなストライカーであることを示したのだった。

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 イングランドは、73分に投入したバーンズの左からの切りくずしによって1点を返しただけ。あれだけ簡単にバーンズがドリブルで進入できるのだったら、もう少し早目に使えなかったのかと、ヤジ馬は思うが、このあたりに、すでに攻撃展開のイメージの定着した(チーム内部で)チームと、大会の後半になって、出来あがってきたところとの差なのかも知れない。いずれにしても、この日はマラドーナ・ショー。この日のメモにはこうある。

「超人的なビューティフル・ゴール。そして、奇妙な、本来なら成立しないゴール。これもサッカー、これもマラドーナ」

旅の日程

▽6月22日 メキシコ・シティ

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