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パレルモで見たオランダ、そしてエジプト人の粘り

 バックスタンドの背後に大きな岩山があった。モンテ・ペリグリオ。山頂は900メートルを超える高さで、放送設備などの基地になっている。その稜線が、正面スタンドから見て右へ落ちてくるあたり、一気に懸崖になって、ほとんど垂直に近い岩壁を形成している。
 港近くの岩山だから、昔はいろんな船の出入りを見てきたんだろうナ、などと思う。

 1990年6月12日、空は高く青く、午後7時でも明るかった。この日、ミラノ発14時25分のBM107便でパレルモ空港に着いたのが予定通り16時過ぎ、空港に着陸するとき、いきなり窓外に現れたのが、やはり大きな岩山。山と言うよりは石の塊のようでもあった。地図を見たらモンテ・ペコローラ(910メートル)。雄大な景色、特に山の好きなわたしは、なんとなく浮き浮きしてくる。パレルモではきっといいことがあるゾ、などと思う。それに、なにしろ今日はフリットとオランダを見る日なのだ。

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 6月8日に始まったイタリア90(イタリア・ノバンタ)は、すでに4日間が過ぎた。

 開会式でイタリア式の華やかな演出に目を見張ったあとの開幕試合で、マラドーナのアルゼンチンがカメルーンに敗れた。

 翌9日、パリで、同じB組のソ連が0-2でルーマニアに完敗した。チャウシェスク政権を倒したときブカレストの広場で市民が歌った「オー・レー・オ・レオ・レオ・レー」が忘れられなかったが、テレビの画面から伝わってくる歌声も同じ「オー・レー・オ・レオ・レオ・レー」で、わたしが前から知っている、あのゆったりとした「オー・レー・オ・レー・オレー・オ・レー」ではなかった。そのメロディとラカトシュという選手が記憶に残った。同じ日、ローマでイタリアが、オーストリアを破った。開催国の登場でテレビを見た人はイタリアで2400万人に近く、一気に大会は盛り上がった。ボローニャではイギータのコロンビアがUAEを2-0で下した。

 つづく10日、40年ぶり出場のアメリカ合衆国がチェコに挑んだが1-5。トリノでC組の候補ブラジルがスウェーデンを2-1。ミラノではD組の西ドイツがユーゴを4-1で撃破した。

 同じ時刻のテレビ放送はブラジル戦がRAI(ライ)2、西ドイツ戦がRAI1。つまりイタリア国営放送が並行して放映、ブラジル戦が35.38パーセント、西ドイツ戦が29.20パーセントと高い視聴率を上げた。

 翌日の11日はジェノアでコスタリカがスコットランドを食ってアッと言わせ、サルデーニャ島のカリャーリで注目のイングランドがアイルランドと1-1で引き分けた。


 新星スキラッチとベッケンバウアー

 4日間で顔を見せた18チームのうち、カメルーンはもちろん、イタリアと西ドイツはナマにしろテレビにしろ、じっくりと見た(ブラジルは、あとでビデオを見直したが)。どうやら、この2チームが1番うまく持ってきているようだった。

 そしてイタリアは大会前からの懸案になっていたストライカーが、第1戦に交代で出たスキラッチが得点してチームの空気を一変させたことで、文句無しのトップができた。

 シチリア生まれの彼は、腰の上下動のないすばやい走りこみと巧みなボール扱い、細かく早いターン、小柄でいて、高いジャンプ力と強いヘディングという資質を持ち、なにより、点を取る場所を嗅ぎ分けるという、ストライカーの最も大切な本能を持っている。

 そのことは、試合を重ねるごとに明らかになるが、いまのイタリアの形の美しいタイプではなく、ビアリなどと同じ“ずんぐり型”で髪の毛も短い。長髪をなびかせてさっそうと走り、美しいフェイントや柔らかいボール扱いを見せるイタリアのプレーヤーのイメージとは違うけれど、わたしにいわせると、ナショナル・チームは、こういう非イタリア的なプレーヤーがいる方が、イタリアの特色が出る。

 かつて1974年の大会で西ドイツが勤勉、力闘型のプレーヤーが多かった中で、優雅なボールタッチとターンで、常に悠々として見えたベッケンバウアーがいた。

 いわばベッケンバウアーの洗練された物腰が、頑健な西ドイツの中のアクセントとなり、西ドイツは力闘の特徴を出せたともいえる。甘いぜんざいを作るのに砂糖だけでなく少量の塩を加えることで味をよくするのは、調理の基本である。


 フォクツ流のスライディング

 異質のスキラッチを得たことでイタリアは生き生きしたが、一方西ドイツは、ドイツ伝統のタフネスと運動量、それに鍛えられた技術で、チーム全体が見事にまとまっているようにみえた。

 ユーゴ戦は、はじめ西ドイツを脅かす個人技術を見せていたユーゴが、中盤での激しく度重なるチェックに次第にいや気がさしてきたようにみえた。相手をはさんでボールを奪いにいくとき、FWの選手でも、短く鋭いスライディングを敢行する。ああ、これはフォクツの仕こみかな、と思うほどショートレンジのスライディングはきいている。

 1974年大会の2次リーグでユーゴと西ドイツがあたり、当時、欧州でもっともテクニックのあるウイングと注目されていたジャイッチをフォクツが完封したことがある。

 足もとにボールを止めて、ふわりとターンするユーゴ人のプレーは、ブラジルなどの南米と比べても、タイプは違うが感嘆するほどの“利き技”で、南米の選手もよくしてやられるのだが、その第一人者ドラガン・ジャイッチを抑えたのが、フォクツのショートレンジのスライディングだった。間合いに入ったな、とみたら、もうスライディングしていたフォクツに、さしものジャイッチも、なにもできなかった。

 そのフォクツのタックルがダブるほど、彼の弟子たちは相手からボールを奪うのがうまかったし、粘り強かった。ドイツ人にとってユーゴが性格的に相性のいいチームだったせいもあるが、まずことしの西ドイツはいける。これまでの82年、86年に比べると、一段上のチームをベッケンバウアーは持ってきた、という感じだった。


 軍事上の要地だったパレルモ

 試合前に競技場のすぐ横の丸いテントのプレス・センターで、日本のカメラマン諸氏に会う。大会には日本から25人、外国の通信社、雑誌社との契約で5人と、イタリア、西ドイツに次ぐ数だ。“王国”ブラジルよりカメラマンが多いのだから大したものだ。

 そんな日本人のグループの中に作家の村上龍さんの姿もあった。子ども向けの雑誌の仕事だそうで、こういう人気作家がサッカーのことを書いてくれるのかと、うれしくなる。

 テレビのトーク番組にも出ているだけに、話しっぷりが気さくで、人をしゃべらせるのも上手だ。パレルモの歴史を話していると、つい戦中派のクセが出て、「第二次世界大戦に連合軍がイタリア本土に上陸するとき、アフリカからシチリア島にまず上がる。パレルモも要衝(ようしょう=軍事上大切な地点)の地だから、当然やってきたでしょう」というと、戦争映画好きの作家は「それじゃバットン大戦車軍団ですね」と目を輝かせた。

 その第二次世界大戦の戦後処理で共産勢力が拡大し、ヨーロッパは東が社会主義体制の国々となったが、45年が経ち、大変革が起こり始めた。

 そんな90年代のヨーロッパでのワールドカップに、極東の、かつて対戦の中に身を置いたわたしが、連合軍の戦車軍団が通った近くで、サッカーの試合を見ることができる。

 村上さんと話しながら、ふと自分をタイムトンネルの中に置いているのに気が付いたものだ。

 午後8時20分、オランダ・チームがフィールドにあらわれる。試合前のウォーミングアップは西ドイツと似ていて、横一列に並んでランニング、そのときに、ステップのふみかえ、体のひねり、ターンを入れるところも同じだ。長い特徴のある黒い髪をなびかせてのフリットのランニング、大きなストライドから、小さなステップ、と入念だ。

 午後9時キックオフ。スタンドの一隅にエジプトの海軍だろう、白い制服のグループが目立つ。エジプト・チームが試合前にわざわざ走っていって、彼らに手をあげていたが・・・。

 わたしのお目当てのフリットは、前半に3回いいプレーをする。左からのクロスをライカールトがヘッドでつなぎ、それをフリットがまたヘッドで落とす、ファンバステンがこれをボレーシュート。はいらなかったが“大関の揃い踏み”といった感じのパスとシュートの組み合わせだった。

 次いで左サイドを出たフリットがクーマンのパスを受けて走り、中へクロスを出した。テレビで一度みた彼の特徴ともいわれるボールのけり方、右でタッチしたボールをノーステップというのが、前に出ている位置で、ボカッとける。ああ、このタイミングの早さが、ひとつの売り物でもあるのか、などと思う。

 もう1度、左サイドで、相手3人を前においてタテに持ち出して左足でクロスを送る。結局は得点にならないが、フリットのイメージのプレーだった。

 一人の選手に注目していたら、アッという間に45分がすぎ、ハーフタイム。まだオランダが点を取っていない。エジプトはGKがしっかりしているのと、どの選手も競り合いに強く、なかなかノーマークのシュートをさせない。前半33分には、右からのクロスからシュートがバーの上を越え、ハッとさせる。

 後半にファンバステンのパスからチャンスが生まれ、左からのクロスをキーフトが決めた。ゴール前を横切るクロスにライカールトが飛び込んだのが、自然のけん制になっての得点だった。

 まあ不満足だが、これでオランダ1勝と思ったが、エジプトはタイムアップまであと7分のところでPKをもらってアブデルガニが決め、1-1の同点にしてしまった。

 エジプトのプレーヤーは体格もいいし、タフでボール扱いも上手だ。オランダは、きっちりと守るエジプトに対して長いパスが多い。これでは、そこで競り合いに必ず勝てるのでなければ得点になりにくい。試合のある時間帯で10メートル〜15メートルの早いパスと中盤でパッ、パッと交換し、プレーヤーが早く動いて攻めこもうとする時間が、何分かあった。

 83年のヨーロッパ選手権は見ていないからなんともいえないが、おそらくオランダの特色はこれだろう。この速い短距離(といっても長め)パスの交換から、ロングパスが出れば相手への脅威になるだろう。そしてそこへ、ファンバステン、フリットらがからむと「オランダ強し」と言うことになるのだ──と納得する。しかし、このやり方は、よほど皆の調子がそろわないとむずかしいだろうとも思う。

 それにしてもオランダ選手は、固い感じはあっても一人ひとりが上手だ。フリットやファンバステンが完調になれば、当然、優勝をねらう力があるのになあ、と惜しい感じ。

 一次リーグの間に、1年休んでいたフリットの調子がもどるか、そしてフリットとともにチームが上昇してくれれば望ましいのだが・・・。


 アフリカ選手の逆オーバーヘッド

 しかし考えようによっては、パレルモはオランダ人にとって決していい場所ではない。気候的にも涼しいはずのオランダが、アフリカのすぐ近くで試合をするのはハンデキャップもある。午後9時と言っても結構暑いから彼らには大変だろう。

 それにくらべるとエジプト人の方は、これと同じ条件か、もっと暑いところで暮らしている。

 さきにカメルーンがアルゼンチンを倒したのは、場所は北のミラノだった。気候的にはハンデはなかったが、カメルーンのプレーヤー達の足腰の強さと、足を延ばす早さがものをいった。この日の試合でもエジプトのプレーヤーの競り合ったときの強さ、とくにボールを取り合うときの足音や、体のバランスのいいのが目についた。
 20年前だったか、デットマール・クラーマーが私にアフリカでコーチしたときの印象を話してくれた。

 「試合でこんなストライカーがいた。後方からのライナーのボールを前方へ走りながら前方宙返りをして、カカトでボールをシュートして、見事にゴールへ決めた。わたしがあとで、そのシュートをほめ、そのプレーヤーにもう一度、やってみせてほしいといったら、彼は、自分がなにをしたか、まったく覚えていない、といった」

 この逆オーバーヘッドの話は、そんな離れ業を動物的感覚でやってのけるアフリカ人の特殊な才能をとらえている。

 サッカーが今のように訓練方法が発達し、プレーヤーの技術も全体に向上し、戦術が進歩する中で、こうした生まれながらの才能を持つアフリカ人たちが、いよいよ伸びてくるのか──黒人の血の混ざったフリットのプレーの片リンを見せてもらい、エジプト人の粘りに感心しながら、わたしは、サッカーの広さや、大きさを思った。

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