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脅威のベルギーとシーフォ、そして選手育成について

 名手クビジャスはコメンテーター

 「やあ、ミスター・カガワ、おぼえていますよ。トウキョウで会いましたネ」

 あいかわらず、スマートで、人なつっこい目が笑っていた。

 ペルーの生んだ名選手、テオフィロ・クビジャスは、1950年3月生まれだから、ちょうど40歳をこえたところ、20年前の1970年メキシコW杯で、若い彼は5ゴールをあげ、ペレやトスタンのブラジルと果敢に攻め合って、世界を驚かせた。

 78年のアルゼンチンW杯では1次リーグの対スコットランドで痛烈な2ゴールを決めたのが、わたしにはとくに印象に強く残っている。右足を真っすぐに振って、ちょっとスライスがかったシュートで、ゴールの左上すみ、ニア・ポストへけりこんだ2点が、スターのそろったスコットランドを1次リーグで放り出すことになった。

 2年前の4月に東京ドームで難病エイズ対策の「KICK AIDS 88」 というチャリティ試合が行われたとき、来日した彼に78年の会心のシュートについて聞いたことがあった。たまたま、サッカー・マガジンの「ワールドクラスの技術」というシリーズ企画で、彼のシュートのことを書いた号があったので、それを手渡したら、とても喜んでくれたのを思い出す。

 1990年6月18日、ワールドカップ・イタリア大会の1次リーグE組の試合、ウルグアイ対ベルギーを17日の夜に見て、つぎの朝、9時56分ベローナのポルタ・ヌオバ駅発、IC(インター・シティ)のファーストクラスに乗ったとき、となりのコンパートメントにクビジャスが座わったのが見え、列車が動き出してから、話しにいったのだった。 現役の選手生活を止めてからクビジャスはフロリダに住み、「クビジャスのキャンプ・フットボール」という組織をつくり、サッカーの指導やテレビの解説などをしている。

 こんどのW杯では、アメリカ全土に放送するスペイン語放送のコメンテーターとしてメディアの仕事ができている。南米チームが主になるが、全部で36試合も放映するのだから、なかなかたいへんだろう。

 そして、お目当てのアルゼンチンは野戦病院のようにケガが多いし、ブラジルも強いが、まだ、魅力が出てこない、攻撃力が増加したというウルグアイも、昨夜のように完敗では・・・・・・と感想をもらしていた。

 ウルグアイは、相手の攻めを厚く守っていて、カウンターで点を取るハズなのに、はやばやとリードされたから、むずかしくなってしまったね、というわたしに、彼は同感、といいながら、ベルギーが思っていたよりもずっといいとつけ加えた。


 ベルギーの中軸シーフォ

 そのベルギーについては、まさに彼らの会心のゲームだったろう。昨夜の印象では、ベルギーはこれまでの80年代のベルギー代表よりも、もうひとつ上の段階にあがれるチームを作ってきた──という感じさえする試合ぶりだった。

 クビジャスと話したあと、同じ車輌の一番端のコンパートメントにいる松本育夫氏を見た。

 NHKのクルーといっしょで、やはりベローナからの帰りだという。1941年(昭和16年)生まれの「マッツァン」は宇都宮工校のとき全国高校選手権に出場していらい、早大、東洋工業とその成長期を見てきたから懐しいプレーヤーでもある。

 東洋工業の最盛期に、彼と桑田隆幸とで組んだ左サイドのペアーはこのチームの看板でもあった。練習熱心だった彼は、コーチのときも、コメンテーターの時も、じゅうぶんに準備をし、資料を整備するというから立派なものだ。

 その彼はベルギーのシーフォがすっかり、チームの中心になっていること、彼の能力があがっていることを強調していた。


 機略縦横のツイス監督

 自分のコンパートメントにもどって、前夜の試合経過をみる。ノートの端のメモに、こう記入してあった。

 「ベルギーのキツネ、ツイス監督の機略には脱帽する。前半2-0とリードしたチームが、退場処分を食って10人で戦う後半、その開始早々に、攻めに出て、3点目を取る──相手の気持ちに与える傷の深さ、それを考えてのことなのか。後半のキックオフのときに、ウルグアイのプレーヤーは、おそらくベルギーは専守防衛の形になると考えたのではないだろうか。そんなにはっきりではなくても、そう攻めてはこないだろうと思っていたのだろう。45分を0-2から巻き返すのと、0-3から回復するのでは、圧迫感がまるで違う。0-2なら1点とればあと1点で同点だと思えるが、0-3なら、よほど早いうちに1-3にしなければならないから──」

 試合の流れからいくと、この後半開始早々のベルギーの3点目が大きなヤマだったが、彼らの1点目もまず、この大会でのハイライトに数えられてよいものだった。


 外側からの攻め

 前半8分にウルグアイのフランチェスコリをベルギーのデモルがプッシングの反則でFK、このロブの攻めをベルギーがヘッドで返し、それをシーフォが拾ってキープしたところからはじまる。相手のタックルをはずそうとして、ボールは外へ、タッチがあってベルギー側のスローイン、ハーフラインから、また15メートル位後ろの右側からゲレツが投げる。相手コーナー近くからゲレツが投げるスローインは、まるでコーナーキックのように遠投するが、この中盤でのスローインも遠投だった。ちょうど、センターサークルの味敵方とも手薄なところへ投げこむと、クーレマンスがボールに寄った。

 ワンバウンドで浮いたボールを、近づく相手より早く、右足アウトのボレーで、軽く叩いて、左のペルサペルへ出し、自らは反転して中央を前へ走る。そのクーレマンスに、もう一度ペルサペルがパスを出すと、クーレマンスはダイレクトでリターン、そのパスがペルサペルにゆくのでなく、さらに外側へ、FBのデウォルフが、ペルサペルの左外側をかけぬけて、パスを取り、左からファーポストへ速くて高いクロスを送る。中央やや右よりから走るデグリースの外側から、クライスタースが寄せていて、みごとなジャンプヘッドをきめた。

 攻撃の正面を広くし、パスは内側の一人にではなく、その外側を走る味方にわたした、スケールの大きな展開。長さ105メートル、幅68メートルのフィールドの広さを使ったサッカーならではのゴールだった。

 ゲレツのスローイン、クーレマンスの浮き球の処理、左ききデウォルフの正確なクロスといった技術と、走る距離の長さ、速さが一体となっていた。


 後退してゴール前を固めればロングシュート

 2点目はシーフォのロングシュートで、これも超ビューティフルだったが、これも中盤でクーレマンスが相手のヘディング・ボールを胸で止めて、後方にいたシーフォにわたすところからはじまる。

 シーフォは左のパンデルエルストへわたし、ここから、さらに左のペルサペルへ。ペルサペルはクロスをあげようとみたが、すでにゴール前にウルグアイDFの数がそろっているとみて、またうしろのバンデルエルストへもどす。ペナルティーエリアを固め、空中戦にそなえているウルグアイの意表をついて、バンデルエルストはハイクロスをけらずに、中央のシーフォへ、グラウンダーのパス。シーフォが完全にノーマークなのを見て、ウルグアイのDFが一人飛び出してきたが、すでに遅く、シーフォの右足はダイレクトで(止めないで)ボールを叩き、ボールは左下すみにはいった。

 1点目の早い攻めに対して、相手が深く守ったのをロングシュートという別の手で崩したのだった。

 そして3点目──

 ゲレツが2度のファウルで退場処分をうけて10人になったベルギー、なにしろゲレツはウルグアイの俊足、ソサを止めるのだから、ついファウルもでてしまう。

 後半はじめは守備を厚くして相手の出方を見るのかと思ったら、1分にならないうちに攻めに出た。相手のミッドフィールドはプレッシャーをかけてこないと見ると、GKから投げられたボールを取ったバンデルエルストは左サイドをドリブルし、2人目を抜いて右足アウトで内側へもちこみ、中央へパスをした。攻撃の先端を走るデグリースのうしろから走ってきたクーレマンスがこのボールを取る。大きなトラッピングで、ボールを押し出し、右足のシュートを右下すみへ決めた。

 クーレマンスのシュートをはじめてみたのが、’80年の欧州選手権、イングランドのゴール前だったが、どの位置からのシュートでも、そのスイングは大きく、ゆったりとみえた。

 イレブンの一人ひとりが自分の得意なワザと動きを生かした勝利には間違いないが、80年の欧州選手権のときの専守で相手を焦らせることからはじめるやり方だったのが、いまは多彩な攻めをみせるようになっていた。

 それはやはり、シーフォという、ベルギーでは珍しい“柔らかさ”を持つ才能が伸びてきたことによるものだろう。

 6年前の1984年、フランスでの欧州選手権のビッグな舞台で彼をはじめてみた。ランスでのユーゴ戦で16番をつけてあらわれた彼は、当時18歳だったか、スラリとして、年相応に、体つきはちょっと弱々しく、そのくせボールを持ったときに、ずうずうしいのが印象に残っている。いや、彼の個人的な技術よりも、まだ18歳の若者に、周囲のベテランたちが彼にボールを集めるところに、興味があった。

 こういう技巧派は、若いうちはたいてい90分はもたないとか、いつも全力をつくさないとかいう点で、嫌うコーチもあるのだが、ベルギーは代表チームのツイス監督が、あえて起用し、周囲とともにシーフォの力をのばしてきたのには感心する。

 日本でも、近ごろは個性を生かすとか、特性を大事にするなどと、よく聞くが、だいたい、どこでも、技巧はあっても、ムラがあるとか、ファイトが表面に出ない、とかいうプレーヤーは使おうとしないようだ。

 いまのシーフォのみごとなロングシュートや、ドリブルで、ウルグアイの選手にからまれても、へこたれないプレーをみると、つくづく、いいプレーヤーを育てるということはすばらしいと思う。

 マッツァンこと松本育夫氏をはじめ、有能なコーチが、たくさん日本から大会に集まっている。

 そうした日本の指導者たちが、ひとつひとつの試合のなかから、選手が、どのように育ってくるかを読みとってもらえば、日本のサッカーもどんどんよくなってくるだろう。

 ミラノへ走る列車のなかで、この日の午後の忙しいスケジュールを予習するのでなく、わたしはしばらくベルギーのチームカラーの変化とそれを担う、中軸プレーヤーの成長に日本のプレーヤーの同じような成長をかさねて考えるのだった。

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