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コロンビアの多様な面白さ、西ドイツの攻撃への意志

 コロンビア、この新鮮な驚き

 前半を終わって0-0、いささか困惑したといった表情で控え室へ去ってゆく西ドイツのプレーヤー、「この調子ならいける」と自信満々を表すコロンビア側を眺めながら、さあ、後半に西ドイツはどうするのかと思った。

 1990年6月19日、ミラノのジュゼッペ・メアッツァ競技場、通称サン・シーロでのW杯1次リーグD組第3戦。もうひとつのD組の試合、ボローニャでのユーゴーUAE(アラブ首長国連邦)とともに、午後5時にキックオフし、45分が過ぎたのだった。

 すでにユーゴを粉砕(4-1)、UAEを一蹴(5-1)した西ドイツは2勝していて、第2ラウンドへの進出は確定していた。コロンビアはUAEに2-0で勝ち、ユーゴに1-0で敗れて1勝1敗。ボローニャではユーゴが勝って2勝するだろうから、第2ラウンドへ進むため、勝つことが第一、悪くても引き分けがギリギリの条件だった。

 そんな大会での背景とは別に、わたしは1987年のコパ・アメリカ(南米選手権)から、急にクローズアップされたイギータたちのコロンビアが、西ドイツとどう戦うか。前年の第10回トヨタ杯で、コロンビア代表の主力でもあるナシオナル・メデジン・クラブが“天下”のACミランと大接戦を演じているだけにこの対戦はとても興味があった。

 コロンビアは、アメリカ合衆国のブッシュ政権が麻薬撲滅の政策を打ち出してから、いまでは、悪の巣のようにもいわれ、サッカー界にも、麻薬カルテルの手が伸びているとのうわさもある。いわば、わたしたちは“理解しにくい”地域ともいえた。


 多様な風土と人種

 熱帯権ながら涼しく暮らしやすいアンデス高地と、東方ブラジルにつながる大平原地帯やカリブ海、太平洋のふたつの海に面した熱帯の低地といった気候風土の多様性と、スペイン人などの欧州系、“黄金伝説”の源となったチャプチャ族をはじめとするインディオの子孫たち、さらにはアフリカ系、そしてそれらの混血という人種構成の複雑さは、政治的には統合のむずかしさを生み、そのために生ずる貧困から、ストリート・チルドレンをはじめとするさまざまな社会問題をかかえてはいるが、それでも、この国の未来は洋々たるものがあるという人もいる。

 わたしには、その民族と風土の多種多様がとても魅力的で、すぐれたサッカータレントを生み出すひとつの条件とも思えるし、3千万人という、パラグアイやウルグアイとはケタ違いに多い人口が、さらに優秀プレーヤーの土壌のようにみえるのだった。

 実際、3年前にアルゼンチンで初めてみたコロンビア代表チームは、まことにすばらしく、わたしの頭にあった“南米”のイメージそのものだった。

 テレ・サンターナ監督の80年代前半のブラジル代表は、たしかに見るものを“うっとり”させたし、86年、メキシコでのビラルド監督とマラドーナのアルゼンチンは文句のつけようがなかったが、わたしの個人的な好みからいくと、いささか洗練されすぎた感があった。そんなぜいたくな不満を87年のコロンビアは新鮮な驚きで解消してくれた。

 ‘89年のトヨタ杯のナシオナル・メデジンはイギータと前進守備と浅いラインのオフサイドトラップでACミランに攻撃のアイデアをつくらせないままに90分を終わらせた。ミランのFKのスペシャリスト、エバニの左足FKのタイミングが早く、ナシオナルの(カベを構成した)プレーヤーにふれて、方向が変わったことで、決勝点となったが、フリットのいないACミランにとっては、勝ちはしたものの、やっかいな相手だったろう。


 欧州の旗手・西ドイツの困惑、救いはマテウス

 そうしたコロンビアを「ヨーロッパの旗手」とも言うべき西ドイツがどのように攻略するか、わたしにはワクワクするような楽しみだった。

 フタをあけてみると、開始早々こそ西ドイツ独特の早いテンポに、コロンビアはちょっと、とまどったものの、やがて自分たちのペースをとりもどした。そのきっかけは、やはりイギータ。突破してくる西ドイツの先端を、彼の素早い判断と前進で食い止め、それも、実になに気ない素ぶりで、攻めをつみ取ってしまうことで、チーム全体に自信をもたせた。

 前半に彼がみせた前進守備は14回、そのうち5回はエリアの外かぎりぎりのあたりだったろう。エリア外でボールを取り、浮いたボールを頭でついて出て西ドイツの2人にはさまれて転倒するといった場面もあった。本来なら、拍手か喜びの笑いが生まれてくるところだが、ほとんどの観衆が西ドイツ側だったから、イギータとバルデラマには口笛の方が多かったが・・・。

 浅いDFライン、それも、MFが相手ボールのときに早目に後退して第一防御線をつくり、そのすぐ後方に、2人のセンターバックを軸にした第二防御線を形成する。西ドイツの得意なウイング(つまり、両サイドバック)から切りくずしか、クロスパスに対応するためには、相手のサイドにボールがわたるときには、MFの一人が内側からDFが正面からつめ、ときにはFWが後方から囲む。

 自分たちがボールを持てば、止まるとみせて走り、走るとみせて止まり、ゆっくりとしたテンポから、突如としてトップスピードに変わって、相手を置き去りにする。そしてバルデラマが、特有のつっ立った姿勢から、まことに効果的なパスを送る。

 西ドイツは、この日、左サイドのチャンスメーカーであるブレーメを欠き、代わったブフリュウグラーが彼ほどできないのが響くのと、右のロイターも相手のうまいマークにあって、サイド攻撃を封じられ、中央突破は、オフサイド・トラップにかかり、タイミングよくすり抜けると、そこにはイギータがいる──。DFの中央部は堅固で、クリンスマンもフェラーも1対1での突破はむずかしい。いささか手づまりのまま終わった45分だった。

 そんな前半で、バルデラマが負傷して、いったん退場して、5分後にフィールドにもどってくるとき、マテウスが、わざわざタッチラインまで迎えにいったのが印象的だった。ちょうど、正面スタンド側のタッチラインでファウルがあって、両方が険悪な空気になりかけていたのと、マテウスのこのパフォーマンスが救いとなったが、ことのとき、わたしはベッケンバウアーがマテウスをキャプテンにした理由がわかったような気がした。


 横切るドリブルと後方からの突進

 ハーフタイムでの、いろんなわたしの思いを残したまま、後半はコロンビアのキックオフではじまる。戦局は、時間の経過とともに西ドイツのタフネスが少し優位に立つようにもみえ、投入されたリトバルスキの自信あるボールキープが目立つが、コロンビアのDFラインは健在のまま時間がすぎていく。

 そんなとき30分に、決定的なチャンスが生まれた。右側でキープした西ドイツのロイターが中へドリブルしてはいってきた。ゴール前25ヤードあたりを斜めに持ちこみ、中央付近で、右足アウトサイドで、自分の右斜め前、攻める側から言うと左サイドよりへボールを流しこんだ。マテウスが第2列からダッシュしてノーマークではいり、イギータがとび出してくる前にボールをふわりと浮かせた。文句なしにイギータの上をこえたボールはバーにあたる。リバウンドをねらったのはクリンスマンかフェラーのどちらか、それと、かけもどったイギータのジャンプとが交差し、ゴールにはならなかった。

 「うーん、この手があったか」と一瞬、わたしの頭をあるアイデアがよぎる。

 しだいに受け身になるコロンビアだが、ピンチにはイギータが働いて切り抜ける。切り抜けるだけでなく、彼の、さりげない演技は西ドイツ側をイラだたせ、味方を落ちつかせる。

 そのイギータがついに防げないシュートがはいったのがあと2分というところ。

 相手の左サイド、スローインからのパスをアウゲンターラーがせり勝って奪い、すぐ前のマテウスへ。マテウスは後方からのボールを、これもマークされながら、ダイレクトで前へ、もどって受けたフェラーが、またマテウスにかえす。ドリブルしたマテウスが、再びフェラーにわたす。フェラーは1人はずし25ヤード付近に4人で守備線をつくる相手DFの前を左へ斜めにドリブル(ラインの間に1人、味方のクリンスマンがいた)守備網が中央に寄った、その外側へ、第2列からリトバルスキが走りあがり、フェラーからパスをうけた。内側からけんめいに追うエレーラより早くドリブルでエリア内にはいったリトバルスキの左足シュートは、ニアポストの上に突きささった。

 喜びにわく西ドイツ側、がっくりして、フィールドにすわりこむコロンビア、しかし、そのあとでまたコロンビアの同点ゴールが生まれ、同点のままタイムアップ。

 ヨーロッパと南米の特色を、もっともよく備えた両チームの対戦は最後の2分間でエキサイティングな結末となって、スタンドは沸きたち、両チームのサポーターを満足させて終わった。


 攻めへの執念

 あまりの面白さにタイムアップ後も、しばらく記者席から立つのが惜しく、メモを整理する。

 そして、もう一度思う。西ドイツがゴールを奪ったのも、同点ゴールを奪われたのも、彼らの、あくまで攻撃しようという意志のあらわれ、勝つための試合なら1-0のときに、守り固めにはいるのに、なお2点目を取ろうとして、攻め込んだ。

 しかもフェラーは左サイドでキープするのに、コーナーへいって時間をかせぐのでなく、もう一度、中へ持ちこもうとして、3人を相手にドリブルし、そのボールを奪われてから一気にカウンターを食ったのだった。

 軽率ともいえるが、あのときのフェラーは、もう1点という意欲があるように見えた。

 それに、わたしにとって重要なのは、コロンビアの同点ゴールそのものだけでなく、コロンビアにも、なんとか盛りかえそうという気持ちが残っていたことと、西ドイツが奪ったゴールの原因がフェラーの斜め横へのドリブルだったこと。30分のロイターのドリブルと似たプレーであったことが面白かった。

 日本ではドリブルとは相手をタテに抜いて出るのが効果的ということになっている。横へのドリブルは、「横バイ」といって歓迎されないが、相手の守りが安定しているときに、横へ突っ切るドリブルは思わぬ効果があるものだ。

 40年前、わたしがまだプレーヤーであったころに、横切るドリブルを戦術のテーマに実験したこともあるし、来日したポルトガルのエウゼビオ(ベンフィカ)が神戸で、真横にタッチラインからセンターまで(25ヤード付近を)ドリブルするのも見た。

 そんないくつかの昔のことを思い出しながら、コロンビアを攻めあぐねた西ドイツの選手たちが、オフサイド・トラップにはまらない攻めを自分達で生み出したことに、私はひとり満足するのだった。
 
 この日のメモの30分のチャンスと西ドイツのゴールのところに、執念と横切るドリブルと書きこんで、立ちあがった。

 ヨーロッパ同士、イタリア−チェコのテレビを見るいい席をプレスセンターで確保するために──。

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